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古本夜話1184 水上斎訳『酒場』と木村幹訳『居酒屋』『夢』

 成光館版「ルーゴン=マッカール叢書」は本探索1179『死の解放』、同1180『芽の出る頃』の他に、もう一冊あり、それは水上斎訳『酒場』で、昭和三年十一月の再版とされている。「改訂」と付されているが、それは大正十一年の天佑社版の譲受出版を意味しているのだろう。ちなみに『芽の出る頃』とまったく同じ造本の六九〇ページだが、函がないことが残念だ。おそらく『酒場』のほうも、それなりの美しいものだったように思われるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210803111528j:plain:h120(成光館版)f:id:OdaMitsuo:20210803110843j:plain:h120(天佑社版)

 水上訳は大正十二年の新潮社の木村幹訳『居酒屋』より先駆けていて、その初訳者としての自負もこめた「小序」に、次のように記している。

 『酒場(ラソンムワール)』一篇は酒毒女淫に腐爛せる茶毒的空気に充たされたる巴里の一画を背景として一労働者の家族の凄惨なる生活を描ける一副の絵巻物である。かの作者が畢生の力作たるルーゴンマツカール叢書約二十巻の一部で続いて出版された名作『ナナ』の前篇又は姉妹篇ともみられる可き一大前篇である。

 そして「近頃彼れの作品の頻々として日本に移植せらるゝは吾人の実に歓喜措く能はざる所」という文言も見え、本探索1179で示しておいたゾラの翻訳が大正時代にひとつのムーブメントと化していたことを伝えていよう。それが新潮社の『ナナ』のベストセラー化として結実し、さらに続いていったことになる。したがって、水上は飯田旗軒に続くゾラの翻訳の功労者の位置を占めるといっていい。しかし水上は『日本近代文学大事典』に立項も見出されず、『芽の出る頃』の関口鎮雄と同様にプロフィルが定かでない人物であった。

f:id:OdaMitsuo:20210723104645j:plain:h110(『世界文芸全集』7)

 ところが黒川創の『国境[完全版]』(河出書房新社、平成二十五年)を開き、冒頭の小「漱石・満洲・安重松-―序論に代えて」を読んでいると、夏目漱石の手紙の中に、『ボヴァリー夫人』の訳者としての水上がいきなり出てくる。漱石は明治四十二年に満州と朝鮮を旅行した際に、『満洲日々新聞』の新聞小説に、水上の『ボヴァリー夫人』訳を取り決めてきたことを報告し、連載のために引き続き翻訳を慫慂しているのである。

国境 完全版

 その手紙を引用した後、黒川は水上のプロフィルも提出しているので、それを引いてみる。彼は薺(ひとし)の表記を採用している。

 手紙の相手、水上薺は、一八八〇年(明治一三)生まれ、東京帝大文科(英文学専攻)を一九〇五年(明治三八)に卒業した青年であり、第一高等学校時代から小山内薫と同級で、大学在学中には“水上夕波”との筆名で、「読売新聞」日曜付録、「帝国文学」「明星」などに、テニスン、シエリーバーンズ、ワーズワースなどの英詩の翻訳をさかんに寄せていました。(中略)
 大学卒業後、水上の関心は、教員生活の傍ら、ツルゲーネフ、モーパッサン、アナトール・フランスら、大陸作家の小説に移っていきました。当時、日本の知識層の青年たちの海外文学との接触が、大抵そうだったように、彼も、これらの作品を翻訳するには英語版からの重訳でした。加えて、「帝国文学」や「心の花」に、自伝的な自作小説を発表したりもしていました。

 これで水上が漱石の教え子で、『満洲日々新聞』に水上夕波名で初邦訳『ボヴァリー夫人』を、明治四十三年一月から四月にかけて連載した事情と経緯がわかる。だが黒川はそれが植民地の新聞だったこと、水上が出版の世界から姿を消してしまったこともあって、ほとんど知られていないと述べている。

  しかし水上は、成光館版の『酒場』が昭和に入ってからも重版されていたことを考えれば、その後も出版の世界に属していたと見なせよう。だがそのような大正時代の訳者のニュアンスは水上より二年遅れて、大正十二年に新潮社から『居酒屋』(『世界文芸全集』11)を翻訳刊行した木村幹にもいえる。だが彼のほうは『日本近代文学大事典』に立項を見出せるので、それを引いてみる。

 木村幹 きむらもとき 明治二二・一・一〇~?(1889~?)小説家、翻訳家、一高を経て東京帝大にすすみ、政治科、仏文科を二年ずつ在学。はじめ豊島与志雄、新関良三らと「自画像」に拠り、ついで佐藤春夫らの星座同人となり、創刊号に『銀座の帰り』(大六・一)『半処女』(大六・二)などを発表。創作集『駒鳥の死』(大八・三)が発禁となる。新聞記者なども勤めた。ゾラの『居酒屋』『夢』などを訳し、またジョルジュ=ペリシェーの『最近仏蘭西文学史』(大一二)などの著書がある。

 木村にしても水上と同じく、没年は不明のようだ。木村の『居酒屋』はフランス語からの訳で、重訳ではない。だが「訳者序」において、「食はんが為めに倉皇として辛くも成し遂げた、この訳書」、また「私は現在のミリユウにも翻訳業にも、出来る事なら早くおさらばを告げたい人間だ」との言が見えている。どのような翻訳に至る経緯と事情が絡んでいるのかは不明だが、私は『夢』を『夢想』として訳した者でもあるので、木村訳『夢』(『世界文学全集』19所収、新潮社)を詳細に参照し、同巻の『ナナ』と並んで、拳々服膺させてもらった。それが名訳だと感嘆したことがあったので、それらの言をそのまま受けとめるわけにはいかない。いずれ木村の小説のほうも読んでみたいと思う。

f:id:OdaMitsuo:20210803165141j:plain:h110(『世界文学全集』19)夢想 (ルーゴン・マッカール叢書)

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