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古本夜話1185 テーヌ『英文学史』と『文学史の方法』

 ずっとゾラにふれてきたので、彼に大きな影響を与えたとされ、本探索1177で金森修も挙げていたテーヌ『英文学史』も取り上げておこう。

 テーヌの『英文学史』は一八六三年にアシェット書店から三巻で出版され、六四年に一巻が加えられ、六九年に五巻に分かれたれ、定本化されている。ゾラは一八六二年に取次も兼ねるアシェット書店に勤め、翌年にはその宣伝部主任となり、テーヌ、ミシュレ、サント=プーヴなどとも知り合い、六四年には処女短編集『ニノンへのコント』、六五年には長編小説『クロードの告白』(山田稔訳、『世界文学全集』16所収、河出書房新社)を刊行している。つまりゾラはテーヌの『英文学史』を近傍に置き、その出版と併走するようにして、デビューを飾っていたことになる。ちなみにダーウィン『種の起源』フランス語版は六二年、クロード・ベルナール『実験医学序説』の出版は六四年で、ゾラの文学者としての誕生にはそれらの著作が寄り添っていたのである。

f:id:OdaMitsuo:20210803205401j:plain:h110 (『クロードの告白』) 種の起原 上 (岩波文庫)  実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

 テーヌの『英文学史』は現在に至っても全訳されていないけれど、その第一巻の序論を中心とする翻訳は昭和七年に岩波文庫で出ていた。それは『近代出版史探索Ⅳ』601の瀬沼茂樹による翻訳編纂で、イポリイト・テエヌ『文学史の方法』であった。当時瀬沼は同604の千倉書房で円本の『商業全集』の編集に携わっていたはずだ。

文学史の方法 (岩波文庫) 銀行経営論 (1935年) (商学全集〈第18巻〉) (『商業全集』)

 そのことはともかく、瀬沼がテーヌの『英文学史』を翻訳するにあたって、その第一巻の「序論」である『文学史の方法』を選んだのは、それが『英文学史』の簡略なコアとして把握されただけでなく、編集者も兼ねていて、時間的制約は必然だったことから、『英文学史』全巻の翻訳は無理なので、『文学史の方法』が選ばれたと推測される。戦後版において、「序論」以外の「歴史と方法」「スタンダアル」「バルザック」の三編が追加されたのは、訳者の瀬沼にしても、テーヌの紹介者としての物足りなさをずっと感じていたことを示しているのだろう。

 だが逆に読者からすれば、『文学史の方法』によって、わかりやすくテーヌの『英文学史』のエッセンスにふれることができたのではないだろうか。テーヌはドイツやフランスにおける歴史学の変化が文学研究に起因するとして、次のように始めている。

 文学作品なるものが単なる想像の戯れでもなければ、熟しやすい頭から創りだされた独りぼっちの気まぐれでもなく、われわれをとりまく習俗の縮図であり、ある精神状態の指標であることが明らかにされた。このことから、文学上のもろもろの記念碑的な作品にもとづいて、数百年も昔に、人間がいかに感じ、またいかに考えていたか、ふたたびその仕方をみいだすことができると結論した。実際にこれを試み、しかも十分な成果を収めることができたのである。

 つまり文学作品の中に見出される「習俗」や「精神」の「感じ方」や「考え方」を歴史学の重要な問題として位置づけ、そのことを通じて、歴史学の「対象・方法・手段・法則と原因との概念」に変化が生じたことになろう。それは二十世紀のアナル学派に引き継がれていったと思われる。

 このような視座に基づき、テーヌは「歴史的記録は眼に見える具体的な個人を再構成する手段として必要な指標にほかならない」を始めとする八つの事柄を挙げていくわけだが、ここではその五の「三箇の本質的原動力—人種—環境—時代—歴史はどうして心理的力学の問題となるか、どういう時代において予見が可能であるか」に焦点を当ててみる。なぜならば、ここに人種、環境、時代をベースとする「ルーゴン=マッカール叢書」の起源をも見出せるからだ。

 テーヌは人種、環境、時代が三箇の源泉となり、「本源的精神状態」が創出されるとして、それぞれを定義しているので、簡略に抽出してみる。「人種」(la race)とは人間が出生とともに備えている「生具的・遺伝的諸性向」をさし、それらは「気質や体格にいちじるしく現れる差異性」に結びつき、民族によって異なっている。「環境」(le milieu)とはこの人種の生活している場であり、人間は自然に包まれ、多くの人間に取り囲まれながら生きている。そうした源初の永続的な集積に偶発的な「物質的・社会的諸情勢」が人間の持って生まれた性質を毀損したり、補正したりする。それに気候風土も影響を与えているのである。

 また第三の要因として、「時代」(le moment)が挙げられる。人種と環境という内部と外部の原動力の協働が創出してきた所産がその後に続くものを創り出していくのだが、そこには「習得速度」があり、それがいかなる時代をとるかで、その刻印も変わるし、全体の効果も異なってくる。このようにして、「人種」=内部の原動力(le ressort du dedans)、「環境」=外部の圧力(la pression du dehors)、「時代」=既得の推進力(l'impulsion déja acquise)が定義される。それは「一民族の場合でも、一植物の場合でも、同じこと」だとして、テーヌは続けている。

 同一の気候とは同一の土地における同一の樹液は、その植物の継続的な生育段階に応じて、相異なる種々な形態、すなわち芽・花・果実・種子と、生み出していくが、これはちょうど後につづく形態が常に先行する形態を条件として、その先行形態の死滅から生まれてくるというふうにしてである。

 これがゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の発想と創造へと結びついていったと考えるべきだろう。「人種」とはルーゴン=マッカール一族、「環境」とはナポレオン三世がもたらした社会情勢、時代とは第二帝政期に他ならないし、ルーゴン=マッカール一族の「家系樹」こそはその象徴的な体現であったのだ。


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