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古本夜話1192 デュマ・フィス『椿姫』とその翻訳史

 続けて、新潮社『世界文学全集』30に収録の『サフオ』『死の勝利』を取り上げたが、もう一作も同様で、それはデュマ・フィス、高橋邦太郎訳『椿姫』である。

f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』30)

 たまたまこの巻には「世界文学月報」がそのまま残っていて、『近代出版史探索Ⅳ』623の成島柳北が明治五年にパリで『椿姫』の芝居を見たという書簡の掲載、高橋による『椿姫』の最初の翻案である、明治十八年の天香逸史閲、醒々居士編『新編黄昏日記』の紹介、同二十二年の加藤紫芳訳『椿乃花把』の書影、映画化された『椿姫』の八シーンが一ページに収録されている。

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 現在では『椿姫』はほとんど読まれていないと思われるが、大正から昭和前期にかけては小説、戯曲、映画とメディアミックス化され、ひとつの物語の範となっていたと推測される。『世界文学全集』にしても、その表紙カバーの絵は『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴオチエで、『椿姫』が巻頭作品であることも、そうした時代を表象しているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210816113435j:plain:h120(『世界文学全集』30『椿姫』)

 その時代のニュアンスを伝えている『世界文芸大辞典』(中央公論社、昭和十一年)の『椿姫』解題を引いてみる。

 『椿姫』つばきひめ La Dame aux Camélias(1848)デュマ・フィスの小説。娼婦マルグリット・ゴーティエは純潔な青年アルマン・デュヴァルと真剣な恋に陥ちたが、一家の名誉を思ふ青年の父は、女の純情を認めながらも息子と別れることを懇請した。女は、止むなく、己の恋を犠牲にして男を棄てる。その後女は健康衰へ、青年が女の犠牲を知つて駈けつけた時は女は臨終の床にあつた。―作者は、この作に於て、浪漫的な恋愛情熱を描きながらも一方飽くまで現実に即して社会の慣習を無視してゐない。そしてそこに不浄の過去を持つ女の救ひは由緒正しき男性との恋愛にあるといふ作者の社会観が窺へる。女主人公のモデルは、当時艶名を馳せたマリー・デュプレシMarie Duplessis(1824-47)といふ女性である。この作は五幕物に劇化、一八五二年ヴォードヴィル座に上演されて画期的な成功を収めた。即ち劇に於ける写実主義の勝利を意味する。尚、ピアーヴは作詞ヴェルディ作曲の歌劇『ラ・トラヴィアタ』はこの小説を改作せるものである。

 ここには『椿姫』がもたらした社会的波紋と舞台、歌劇化は示されているけれど、『サフオ』と同様に、十九世紀特有の地方出身の青年と高級娼婦の男女間闘争は指摘されていない。アラン・コルバンも『娼婦』 において、「高級娼婦たち」、すなわち「娼婦の世界の頂上」に属するドゥミ=モンデーヌ、ファム・ギャラントなどにふれ、彼女たちを描いた文学作品が多いと述べているが、『椿姫』への言及はない。それはヒロインのマルグリットが自身の言葉を語り、書く存在であり、彼がテーマとする娼婦像のカノンをなりえないからだろう。

 娼婦 〈新版〉 (上)

 それに加えて、この『椿姫』の語り手の「私」は町で家具や骨董の競売広告を見て、その下見に出かけ、その家財道具がすばらしい部屋に娼婦が住んでいたことを知る。だが「私」は競売で骨董などではなく、「書物一冊、製本上等。天金。標題はマノン・レスコオ。第一頁に書入れがあります。十法(フラン)。」に思わずオファーする。それは競売人の「書入れがあある」という言葉に誘われてしまったからだ。そしてまさにこの『マノン・レスコオ』の一冊が『椿姫』の発端であり、語り手の「私」を通じて、マルグリットと主人公のアルマンの物語が始まっていくのである。それは『椿姫』が『マノン・レスコオ』の物語を反映していることを暗示させている。

 そういえば、先の「月報」にアベ・プレブオ、広津和郎訳『マノン・レスコオ』の広告があったことを思い出す。これは未見なので『新潮社四十年』を確認してみると、大正八年の出版である。またやはり新潮社から大正十一年には福永渙訳の『椿姫』も出されているが、これは英語からの重訳だったことから、『世界文学全集』収録にあたって、高橋によるフランス語からの訳にあらためられたのであろう。高橋は先行するすべての訳が「いずれも各々長所を有志、愛読せられた」ゆえに「殆どすべての翻訳を参照した」と述べているので、『近代出版史探索Ⅱ』333、324の長田秋涛訳『椿姫』を収録した木村毅編 『明治翻訳文学集』(『明治文学全集』7)の「明治翻訳文学年表」をたどり、それに大正時代を補足してみると、次のように抽出できる。

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1 天香逸史、醒々居士 『新編黄昏日記』 駸々堂 明治十八年
2 加藤紫芳訳 『椿の花把』 春陽堂 明治二十二年
3長田秋涛訳 『椿姫』 『白百合』 明治二十九年
4   〃    〃  『万朝報』 明治三十五年
5   〃     〃  早稲田大学出版部 明治三十六年
6 三原天風訳 『椿姫』 中村書店 大正二年
7太田三次郎 『椿御前』 春陽堂 大正三年
8福永渙訳 『椿姫』 石渡正文堂 大正四年
9 加藤朝鳥訳 『椿姫』 生方書店 大正十五年

 3の『白百合』連載は不明だが、4の『万朝報』連載は風俗壊乱で発禁処分を受け、連載中止となり、裁判を経て禁が解け、早稲田大学出版部からの刊行の運びとなったのである。大学出版部と娼婦小説の意外な組み合わせは、ひとえにその「序」で長田がいうように、デュマ・フィスは「欧州五大文豪の一人」で、『椿姫』が「純文学の標本」「十九世紀中五指に屈せらるゝ傑作」と見なされたことによっているのだろう。長田訳はマルグリットを後藤露子、アルマンを有馬寿太郎とするものだが、端正にして格調高く、大学出版部の名を裏切るものではない。パリやその演劇界に通暁し、また『世界の魔公園巴里』(文禄堂書店)を著わしている著者ならではの訳で、やはり同年の早稲田大学出版部の尾崎紅葉名義の『鐘楼守』も長田訳とされている。なおこれはユゴーの『ノートルダムの傴僂男』で、この昭和に入ってからの翻訳と戦後の児童文学への継承は、拙稿「講談社版『世界名作全集』について」「松本泰と松本恵子」(『古本探究』所収)を参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20210819143933j:plain(『魔公園巴里』)鐘楼守 ノオトルダム・ド・パリ 下 (国立図書館コレクション)

 またリストに掲載しなかった大正十一年の新潮社版『椿姫』は、8の石渡正文堂版の譲受出版だったことがわかる。新潮社にしても、譲受出版を手がけていたのである。


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