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古本夜話1193 桜井鷗村訳『蛮人境』とその原作

 前回、長田秋涛に再登場してもらったので、やはり旧幕臣の翻訳家で、同じように晩年は実業界に転身した、『近代出版史探索Ⅲ』531などの桜井鷗村にも再び言及してみる。それは友人から『蛮人境』という翻訳書を恵送されたこと、また本探索1189のイギリスの出版社シャトー・アンド・ウィンダス社とも関連していると思えるからだ。

 同書は明治四十二年四月に同532の丁未出版社から刊行されている。鷗村はその序に、十年以上前に十数冊の冒険小説を刊行したが、その後は筆をとらなかった。だが昨年ヨーロッパを回遊し、ロンドンに四ヶ月滞在した際に、日本で「御伽噺、昔物語」に加えて、「殊更に怪奇を好んで、少年の軟柔なる心を挑発すること無き冒険小説」が隆盛になりつつあると感じたとして続けている。

 帰朝せねば我も昔へ還りて、此種のものに旨と筆を執らばやと思ひ、且つは又た我子等の追々年まさり行くにつれ、噺聞かまほしと常に責むるやうにもなりたれば、一時の寝物語よりは、しかず、さやうなものを文に書き与へんにはと、即ちここに其著手として述ぶるは、前にいへる類の第三種に属するもので此の『蛮人境』である。

 鷗村のいう十数冊の冒険小説とは、『近代出版史探索Ⅲ』533で既述しておいたように、明治三十三年から四年にかけて、文武堂から刊行された『初航海』『孤島の家庭』、それに続く「世界冒険譚」シリーズ十二冊をさしている。そのうちの『初航海』は『明治少年文学集』(『明治文学全集』95、筑摩書房)、『孤島の家庭』と「世界冒険譚」の『航海少年』は 『若松賤子・森田思軒・桜井鷗村集』(『日本児童文学大系』2、ほるぷ出版)に収録され、その鷗村が自負する当時の冒険小説の位相にふれることができる。

 明治文學全集 95 明治少年文學集

 ほるぷ出版の同巻所収の岡保生編「桜井鷗村年譜」によれば、鷗村は明治四十一年六月に大隈重信の依頼を受け、大隈編『開国五十年史』(英文)をイギリスで出版するためにロンドンに赴いている。そして翌年の十二月にやはり丁未出版社から帰朝土産としての『欧州見物』を上梓しているけれど、『蛮人境』のほうが早い。

f:id:OdaMitsuo:20210820111757j:plain:h120(『欧州見物』)

 『蛮人境』は「父の船に乗りて蛮地に赴いた一人の少年が、思ひもかけぬ災難がもとで、獰猛なる土人の国に深入りして、多年の苦しき月日を送るが中、野蛮の民も同じく情知る人間で、鬼のやうな国にも、鬼ばかりは棲はず、屢ば義あり涙ある者の助を受け遂に再び本国へ帰る、其間の勇壮惨憺たる経歴」を有する。それは「英国の海軍少佐カメロン氏の名高き著書」に基づき、編述したとされる。また補足すれば、その表紙絵は『近代出版史探索Ⅲ』592の鷗村の弟の桜井忠温の手になるもので、先の『日本児童文学大系』掲載の口絵画家は不詳とされていたが、その画風の共通性からして、忠温だと思われる。

 さてこの『蛮人境』=「カメロン氏の名高き著書」のことになるのだが、そこでのZola , His Excellency 巻末のChatto & Windus 出版目録を繰ってみたところ、何とそれらしき一冊が見出されたのである。それを示す。Cameron (Commander V. Lovett), The Cruise of the “Black Prince” Privateer. 鷗村はCommander を「海軍少佐」としたと思われる。

 『蛮人境』の主人公の少年フランクは十七歳で、学校の寄宿舎に入っていたが、父はペトレル号の船長で、アフリカへの航海に同伴することになった。「人を食ふ蛮人や、椰子や象、鰐魚や河馬の巣とも云ふべき阿弗利加」は怖いけれど一度はいってみたいと思っていたのだ。しかし船は乗っ取られ、フランクは酋長の養子となって三人の花嫁を持つことになって、アフリカでの波乱万丈の体験を重ねていくことになる。邦訳タイトルを、『私掠船の黒い王子』とすれば、それらの内容と重なってくるはずだ。だが鷗村の翻案の実情は不明なので、類推でしかないのだが。

 またこれも確認のために、『リーダーズ・プラス』を引いてみると、“Verney Lovett Cameron” が見出され、英国の探検家であり、同一人物だとわかる。主著としてAcross AfricaOur Future Highway to India が挙げられているが、この両書は『蛮人境』の原作ではないだろう。

リーダーズ・プラス

 さてこの『蛮人境』をめぐって書いてきた理由は「我子等の追々年まさり行くにつれ、噺聞かまほしと常に責むるやうにもなり」、そこで「さやうなものを文に書き与へん」としたのは誰なのかを明らかにするためである。

 その一人は本探索1186の『売笑婦エリザ』の訳者桜井成夫で、彼は明治四〇年生まれだから、年代的にも一致することになる。そういえば、『売笑婦エリザ』にしても、十九世紀フランスのひとつの『蛮人境』に他ならなかったのだ。

f:id:OdaMitsuo:20210804151217j:plain:h120(『売笑婦エリザ』)

 ところがその後の調べで、残念ながら『蛮人境』の原作はThe Cruise of the “Black Prince” Privateerではなく、In Savage Africaであることが判明したことを付記しておく。

In Savage Africa (Original and Unabridged Content) (Old Version) (ANNOTATED) (English Edition)


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