出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1194 ツルゲーネフ『文学的回想』と「トロップマンの死刑」

 本探索1173のドーデ『巴里の三十年』において、ツルゲーネフの『思い出』が届いたことを記し、同書を閉じていることを既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210719111237j:plain:h120

 そこで角川文庫にツルゲーネフ『文学的回想』(中村融訳、昭和二十六年)があったことを思い出し、読んでみた。これは一八六八年にドイツの温泉地バーデン・バーデンで書かれ始め、七四年にモスクワで初版が刊行されたものなので、八三年のツルゲーネフの死後、ドーデの手元に届いた『思い出』とは内容が異なっているのかもしれない。なぜならば、ツルゲーネフがドーデの悪口をいっているに該当する部分はないし、ドーデは登場していないからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210821102227j:plain:h120

 ツルゲーネフはこの『文学的回想』で、プーシキン、ベリンスキイ、ゴーゴリ、レールモントフなどを自らの小説の登場人物のように細やかに描き、そこに彼らがそれぞれ忘れえぬ人たちであることのイメージとその余韻を漂わせている。当初はそのうちのレールモントフと『現代の英雄』に言及するつもりだったのだが、「トロップマンの死刑」という章があり、そこには思いがけずにマクシム・デュ・カン(『文学的回想』の表記はデュカン)が登場しているので、こちらにふれることにする。
 
現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)

 デュ・カンの同じ邦訳タイトルの『文学的回想』(戸田吉信訳、冨山房)には四分の一の抄訳のためか、ツルゲーネフは姿を見せていないけれど、フローベールとの関係からすれば、それなりに長い交際だと推測される。蓮實重彦はそのマクシム・デュ・カン論『凡庸な芸術家の肖像』(青土社)において、「五六年の夏という時期にパリに到達してしばらくフランス暮しを計画したロシア人作家にとって、知り合って損のない人物の一人としてマクシムが存在していた」と述べている。それはデュ・カンが『パリ評論』の編集者で、ツルゲーネフの戯曲を掲載したことにもよっている。
 
f:id:OdaMitsuo:20210821104702j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210821112619j:plain:h120

 ある一家を皆殺しにした「トロップマンの死刑」は一八七〇年のこととされるので、その立ち会いにデュ・カンがツルゲーネフを誘ったのは、当時の二人の関係の親しさを伝えているのかもしれない。ツルゲーネフが語っているように、それは「少数の特権者」だけに許されるもので、しかもそこにロシア人も加わることになるわけだからだ。それにギロチンによる死刑はミシェル・フーコー『監獄の誕生』(田村俶訳、新潮社)が指摘するごとく、「芝居がかった大規模な祭りの姿をおび」、「見世物にされ」ていたのである。ツルゲーネフも書いている。「ロケット監獄の付近には、断頭台(ギロチン)がそろゝゝ持ち込まれるのではないかとそれをあてこんで、もう幾晩も続けて数千という労働者がつめかけて来て、夜半すぎにならないと散らないという有様だつた」と。

監獄の誕生<新装版> : 監視と処罰

 アルフレッド・フィエロ『パリ歴史事典』(鹿島茂監訳、白水社)を参照すると、一八三七年にロケット監獄は死刑囚用に創設されていたが、死刑執行人のサンソン一族は四九年に停職となり、その第一助手ジャン=フランソワ・エダンレッシュが七二年まで後を継いでいるので、トロップマンは彼によって処刑されたことになる。私が勝手にフランス版『子連れ狼』と称んでいるサンソン一族をモデルとする坂本眞一のコミック『イノサン』(集英社)を引用できなくて残念だけれど、この時代にすでにサンソン一族は終わっていたのである。

パリ歴史事典 子連れ狼 1 イノサン 1 (ヤングジャンプコミックス)

 ツルゲーネフはデュ・カンの提案に「度膽を抜かれた」が、「ろくに思案もせずに賛成し」てしまった。それもあって「自分自身への罰としても、また他人への戒めとしても」、「トロップマンの死刑」を書くことにしたと述べている。パリの郊外にあるロケット監獄にはギロチンが運びこまれ、群衆も集まり出し、暁方の三時には二万五千人を超えていた。

 ツルゲーネフたちは監獄の中に入り、トロップマンに会い、死刑の時がきたことを知らせる。彼は脱衣し、着替えるのだが、その行為はスマートなまでに単純だった。それもあって、「トロップマンの監房にいた間ぢうは、なんだか一八七〇年ではなく一七九四年(フランス革命末期にジャコバン派が多数の王侯貴族をギロチンに送っていた年をさす―引用者)の頃のやうな気持で、我々もたゞの市民ではなく、ジャコバン党かなにかで、そこらの殺人犯などではなく王政主義の侯爵でも処刑してゐるやうな気がした」とされる。

 トロップマンが死刑囚の常として、泣いたり喚いたりもせずに、冷静な単純さを常に保っていた真情は「彼が墓場まで持ち去つてしまつた秘密である」とし、ツルゲーネフは小説において風景や人物を招くようにして、淡々とトロップマンの死刑に至るプロセスとディテールを追い、最後の瞬間を迎える。

 遂に木で叩くやるな軽いコツンといふ音が聞えた—それは受刑者の首を押へてその頭を動かないやうに支えてゐて、刃が通るための縦の溝のついた首輪の上半月が落ちたのだつた・・・・・・。つゞいて、なにかが急にかすかに唸り、転げ落ちて―どさりと倒れた。まるで動物の巨体でもが斃れたやうだつた・・・・・・私にはほかにこれ以上適切な比喩を求めることは出来ない。気も心も遠くなつて・・・・・・。  

 ヴィクトル・ユゴーは一八六二年の 『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳、岩波文庫)の第一部第一編四のギロチンのシーンにおいて、「それを見るものは最も神秘な戦慄を感ずる。あらゆる社会の問題はその疑問点をこの首切り刃のまわりに置く」と書いている。ツルゲーネフはこのシーンを想起したのかもしれないし、死刑シーンに続く彼の表白はそのことを暗示しているようにも思われる。

レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)

 なおジョルジュ・バタイユは殺人鬼トロップマンの名前を用い、破棄された最初の文学作品『W・C』を書いた。またトロップマンは『青空』(天沢退二郎、晶文社)の主人公、語り手の名前として再び使われることになる。

f:id:OdaMitsuo:20210821160539j:plain:h123


odamitsuo.hatenablog.com

[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら