出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1203 「海外文学新選」とスキターレッツ『笞の下を潜つて』

 新潮社は海外文学翻訳シリーズとして、「ヱルテル叢書」に続き、「海外文学新選」を刊行している。これは前者の倍以上の三十九冊が出され、長篇、短篇、戯曲集など多岐に編まれ、その「趣旨」は奥付の上部のところに次のように謳われている。

 近代文学の未だ紹介せられざる名篇と共に時代に先駆けする最新の作品を網羅し、パンフレット型の廉価版として公にする。
 全然原語より移して一切の重訳を避けるは勿論、編纂者に於いて十分の信用を置き得可き訳と認めたものゝみを収める。
 第一期刊行として既に決定せるもの百五十冊。毎月三冊を随時出版する。

 編纂者と担当分野を示せば、有島生馬が全装幀とイタリア、千葉勉と横山有策が英米、田代光雄と山岸光宣がドイツ、山内義雄と吉江喬松がフランス、片山伸と米川正夫がロシア、笠井鎮夫がポルトガル、永田寛定がスペイン、ルビエンスキイがペルシャとなっている。実際に永田の1のイバニエス『死刑をくふ女』、米川は3のアンドレェエフ『イスカリオテのユダ』、山内は5のフランス『影の弥撤』、横山は6のドリンクウォータ『エブラハム・リンカーン』、笠井は13のベローハ『バスク牧歌調』の訳者も兼ねている。

f:id:OdaMitsuo:20210902095821j:plain:h125 (「海外文学新選」15、『卵の勝利』)

 これらの編纂者と訳者には未知の人物たちも見えているけれど、『大正期の文芸叢書』の紅野敏郎によれば、早稲田と東京外語の関係者だとされているので、ただひとりの外国人編纂者のペルシャ担当のルビエンスキイは東京外語の教授だったのではないだろか。

大正期の文芸叢書

 この大正十三年から刊行され始めた「海外文学新選」の全書影は『新潮社四十年』に掲載されているけれど、端本はともかく、全冊を揃えるのは難しいようだし、ここでしか読むことができない海外作家と作品も多いと思われる。これらの明細は『日本近代文学大事典』第六巻や紅野の前掲書に収録されているので、必要とあれば、それらを見てほしい。私が入手しているのはまさに端本で、その24のスキターレッツ『笞の下を潜つて』である。四六判並製、一四九ページの佇まいはその「パンフレット型の廉価版」を表象していよう。訳者の関口弥作は編纂者の八杉貞利の教えを受けたとされるので、東京外語出身だと思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110 

 ただ幸いなことに著者のスキターレッツは中央公論社版『世界文芸大辞典』に立項されているので、それを引いてみる。『増補改訂新潮世界文学辞典』には立項されておらず、ここでしか見出されないと考えられるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20200107101338j:plain

スキターレッツ Stepan Gavrilovitch Skitalets (1868~1941)ロシヤの小説家。サマーラ県の農家の出身。グースリ(絃楽器の一種)弾きの父と共に門付芸人として諸所を放浪す。後旅廻りの劇団のコーラス唄ひとなる。三十歳にしてサマラ市の新聞に詩を寄稿し、ゴーリキイの知遇も得、一九〇〇年短篇『オクターブ』を以て文壇にデビューし、多くの作品を公けにした。第一次革命の同情者として数次補導されたが、一七年のボルシェヴィズムと相容れず、ために国外へ亡命した。日本へもトライしたが、偶々関東大震災に遭つて倉皇として去る。数年前転向を声明してソヴェート連邦に復帰した。彼は二十世紀初頭ロシヤ文学に一勢力をなしてゐたゴーリキイを中心とする「ズナーニエ」派の作家として、この派の特色(欠点も含めて)を明瞭に体現してゐる。即ち、素笨な革命的犯行思想を克明な自然主義的手法で包んだものが、彼の作品の大部分をしめている。代表作『野戦裁判』。

 ここに「グースリ(絃楽器の一種)弾きの父と共に門付芸人として諸所を放浪」とあるように、また関口が「はしがき」でスキターレッツがペンネームで、「放浪者」を意味していると書いていることからうかがわれるように、『笞の下を潜つて』はそれらを描いた著者の自伝として読むことができる。そのタイトルは農奴として父や祖父が通り抜けてきた笞を伴う生活、主人公の少年の半生を象徴していよう。父は農奴から居酒屋の雇われ店主、放浪のグースリ弾き、指物屋などの生活を送り、それに同伴する少年の眼を通じて、ロシアの十九世紀末の社会が描かれていく。

 そうした中で、少年は行商人が売りにくる絵双紙本を父にほしいと哀願したが、金がないといって買ってくれなかった。そのために少年は父の金を盗み、薔薇色の表紙に騎士が描かれた『ドン・キホーテ』を入手し、騎士の苦悶を読みながら、父や自らの運命と共通するものを見出していた。頭上から「お前もドン・キホーテのやうになるのだ・・・・・・ドン・キホーテのやうに!」という囁きが聞こえてくるようだった。

 それは安い絵入り本だと推測され、イワン・スイチンが『本のための生涯』(松下裕訳、図書出版社)の中で、大衆のためのニコーラ市場向けの本とよんでいるものだったように思われる。スイチンはロシア最大の出版者のひとりで、一九一四年にはロシア出版物の四分の一を発行していたとされ、ニコーラ市場とはモスクワのニコーラ門にあった身近な大衆市場をさしている。そこでスイチンによって出版され、仕入れられた大衆本が行商人によってロシア中に売られていたし、『笞の下を潜つて』の少年が買い求めたのもそれらの一冊だったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210902120036j:plain:h120 (『本のための生涯』)

 このニコーラ市場の作者たちについて、スイチンは「文学界から離れたところで、だれにも知られず、世間の人びとからさげすまれながら、自分の『文学活動』にはげんだ」と述べ、彼らが次のような人たちだったと書いている。

 書物の底知れぬ知恵におじけづいて学業なかばで退いた神学校生徒、あらゆる種類の放校者、飲んだくれの役人、酔いどれ司祭、職を失い評判を落とし希望をなくしてしまった総じてあらゆるたぐいの敗残者たち。(中略)
 だがこれらの人びとは、ある意味では「巨星群」で、目もくらむような冒険を信じがたいような恐怖のくりひろげられる「大衆」小説の型をつくりだしたのだ。

 スキターレッツにしても、この系譜上に位置するように思われる。来日の事実も含め、これらは日本の近代文学と併走していた『近代出版史探索Ⅱ』275などの立川文庫を始めとする無数の講談作家たちの存在を彷彿とさせてくれる。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら