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古本夜話1204 笠井鎮夫『近代日本霊異実録』『日本神異見聞伝』

 前回、新潮社の「海外文学新選」のポルトガル文学の編集兼訳者として、笠井鎮夫の名前を挙げておいた。だがこの笠井には外国文学者としてのプロフィルの他に、もうひとつの側面があり、それは『日本近代文学大事典』の立項にも見えている。

 笠井鎮夫 かさいしずお 明治二八・一二・二七~平成元・五・二一(1895~1989)スペイン語学者、スペイン文学者。岡山の生れ。大正八年東京外語卒業後、同校や南山大学、京都外語大などで教鞭をとり、「スペイン語四週間」(昭八)など語学関係の著書多数。文学ではブラスコ=イバーニェスやピーオバローハなど近代作家の紹介が多い。心霊研究家としても知られ、『近代日本霊異実録』(昭四一・九 昭森社)などがある。

 それほど著名でない外国文学者の立項にあって、「心霊研究家」との紹介も加えられているのは異例のように映るけれど、スペイン語、文学界でも、それはよく知られていたと推測されるし、その事実が立項にも反映されているのだろう。また昭森社からの出版も意外であった。

 『近代日本霊異実録』の昭森社版は未見だが、山雅房の『復刻版』(昭和五十九年)と『日本神異見聞伝』(同六十年)は入手している。それはラテンアメリカ文学を読み始めの頃、『日本古書通信』の広告ページにこの二書がかなり長く掲載され、スペイン文学の長老がこのような本を出していることに興味を覚えたからである。

f:id:OdaMitsuo:20210903120750j:plain:h120(昭森社)  f:id:OdaMitsuo:20210902170820j:plain:h120(山雅房)f:id:OdaMitsuo:20210902170035j:plain:h120(山雅房)

 これらの二冊を読むと、笠井が霊界へと向かった経緯と事情が伝わってくる。それは彼の出自と家庭環境、時代的影響、外国文学者の先達の存在などがクロスし、笠井にとっては必然的な回路であり、霊界探究のためにスペイン語研究どころではない時間を費やしたことも、『日本神異見聞伝』に告白されている。それらをひとつずつたどってみる。

 まず笠井の父が明治七年に十七歳で金光教に入信し、そのために笠井は金光中学へと進み、神霊の「天地金之神」とその取次者「金光大神」=教祖川手文治郎を通じて示される霊徳の世界に導かれていった。そうした幕末から明治維新にかけての神霊と霊界の出現に関して、笠井は平田篤胤の『仙境異聞』(岩波文庫)から始めて、金光大神『金光大神覚』、天理教の中山みき『みかぐらうた・おふでさき』、黒住教の黒住宗忠『生命のおしえ』(いずれも平凡社東洋文庫)、宮地水位『異境備忘録』(山雅房)などを渉猟し、大本教へと至り着く。ただこれらの民間宗教の聖典や霊界研究が身近にものになったのは、昭和五十年代以降のことであり、それゆえに笠井が依拠している文献は独自に収集されたものであろう。

仙境異聞・勝五郎再生記聞 (岩波文庫) 金光大神覚―民衆宗教の聖典・金光教 (東洋文庫 304) みかぐらうた・おふでさき (東洋文庫0300) 生命(いのち)のおしえ―民族宗教の聖典・黒住教 (東洋文庫 319) f:id:OdaMitsuo:20210903135901j:plain:h125

 しかし笠井が父の金光教への入信に際して、そのかたわらには中村正直『西国立志編』(静岡藩出版、明治四年、講談社学術文庫)、福沢諭吉『学問ノススメ』(東京、同五年、岩波文庫)も備わり、前者の愛読者だったと述べていることに留意すべきだろう。民間宗教の勃興と、私がいうところの「近代の立身出世本」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)の出現はパラレルでもあったのだ。それに呼応するかのように『日本神異見聞伝』の自己紹介には、近代における「百花繚乱の壮大な霊的シンフォニイを奏でるこのときに符節を合するごとく生れ合わせた、アマチュア神霊学者をもって自任する笠井鎮夫教授」とあった。

西国立志編 (講談社学術文庫) 学問のすゝめ (岩波文庫) 文庫、新書の海を泳ぐ―ペーパーバック・クロール

 笠井は金光中学で、ニューヨーク在住の実業家岡本米蔵の「海外発展論」、台湾民政長官下村宏(海南)の「人口食糧問題」というふたつの課外講演を聞いた。これらのテーマの重要性と二人の憂国の至情あふれる熱弁に圧倒され、笠井は南米大陸開拓を夢見るようになった。そしてスペイン語を学ぶために、大正五年に東京外語に進む。だがその時代は『近代出版史探索』143の岡田式静坐法や同139の大霊道の流行ばかりでなく、大本教も隆盛していた。

 しかも笠井を大本教へと誘ったのは出口王仁三郎というよりも、浅野和三郎である。彼は拙稿「浅野和三郎と大本教の出版」(『古本探究Ⅲ』所収)で言及しているように、東京帝大英文科でラフカディオ・ハンの弟子となり、明治三十三年に新潮社の前身の新声社から浅野憑虚名で、久保天随、戸澤姑射共著の美文集『白露集』を出し、横須賀の海軍機関学校の教師を務めていた。

f:id:OdaMitsuo:20210903105947j:plain:h120 (『白露集』)古本探究〈3〉

 そこで浅野は大本教の布教活動に励む元海軍機関中佐と出会い、大本教本部と綾部を訪れ、出口王仁三郎に会い、その鎮魂の神法を体験する。王仁三郎によれば、人間には肉体の他に霊魂があり、肉体は死とともに滅びるが、その霊魂は永久に実在し、守護神と化しているので、鎮魂と審神者(さにわ)の修行によって、その姿や声を召喚できるのだ。浅野はそれを目の当たりに体験したのである。そしてさらに浅野は『大本神論』(東洋文庫)を読みこみ、海軍機関学校を退職し、一家を挙げて綾部へと向かった。

大本神諭 天の巻 (東洋文庫 347)

 この浅野の大本教入信は笠井だけでなく、アカデミズムにとっても衝撃的事件であり、これを機として、浅野は大正六年に大本の機関雑誌『神霊界』(大日本修斎会)を創刊し、雑誌と書籍による出版プロパガンダを始めていく。笠井も『大本神論』を買い求め、金光教と共通する「艮(うしとら)の金神」と鎮魂帰神法を知り、大正八年に綾部へと駆けつけたのである。そして浅野の前での鎮魂帰神実習、二度目に得た鎮魂自修認可の証印を得て、笠井は金光教の「金乃神」のもとへと戻っていったのだ。


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