出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1208 三水社と西牧保雄訳『女優ナナ』

 もう一冊『女優ナナ』がある。それは大正十五年に大谷徳之助を発行者とする日本橋区蠣殻町の三水社から刊行されている。四六判並製一九八ページの一冊で、クロージング部分はナナの死と「伯林へ、伯林へ、伯林へ!」で終わり、前々回の永井荷風の『女優ナナ』と同じだけれど、さらなる抄訳である。

f:id:OdaMitsuo:20210908101557j:plain:h120(三水社版、西牧保雄訳)f:id:OdaMitsuo:20210906175904j:plain:h123(新声社版、永井荷風訳)

 訳者名は表紙に記載がないのだが、西牧保雄で、そのプロフィルはまったくわからない。それでも奥付の下のところに、「大正十五年五月十日譲受」と記されていることからすれば、版元は不明であるにしても、他社から出されていたとわかる。しかし私も『ナナ』の訳者なので、ここまで中抜きした抄訳は翻訳というよりも、先行する荷風や前回の本間久訳『女優ナナ』、及び『近代出版史探索Ⅵ』1198の宇高伸一訳を参照してのリライトのように思われる。これは翻訳者としての実感からいうのだが、英語からの重訳にしても、ここまでのダイジェスト訳は困難だし、考えられないと見なすほうが妥当であろう。

ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) (論創社版、拙訳) f:id:OdaMitsuo:20210907095908j:plain:h120(東亜堂版、本間久訳)f:id:OdaMitsuo:20210723104645j:plain:h110(新潮社版、宇高伸一訳)

 それに三水社という版元名は『近代出版史探索Ⅱ』227などの三陽堂や三星社、同259の三芳屋と相似しているし、それに譲受出版のことを考えれば、この出版社も特価本や造り本を手がけていたと推測される。巻末広告にやはり西牧訳のシエンキュヰ原著『何処へ行』(原名『クオヴァヂス』)、トルストイの野村賢三訳『復活』も掲載されているが、これらも『女優ナナ』と同じくダイジェスト版と考えられる。

 しかもこれらの三冊は国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』に見えておらず、その代わりに昭和十四年に東江堂からの『何処へ行く』と『復活』の二冊が挙がっている。東江堂も特価本や造り本を手がける版元であり、さらに二冊が三水社から東江堂へと譲渡されたことを伝えている。それらの事実からわかるのは『女優ナナ』だけは売れ続けていたことで、新潮社のベストセラーとナナ御殿の神話はまだ保たれていたのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210801151015j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20210908103305j:plain:h110(東江堂版『何処へ行く』)f:id:OdaMitsuo:20210908103613j:plain:h110(東江堂版『復活』)

 そこで例によって、特価本と造り本などの『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』を繰ってみた。すると昭和九年の「全国見切本数物卸商一覧」に東京下谷区御徒町の三水月報社を見出すことができた。さらにたどっていくと、昭和十年頃の下谷方面の三水月報社も挙げられ、「カタログ、新聞広告などで読者直接の通信販売が主で、戦後神保町に移り、東京書籍として活躍しました」とあった。そして戦後を迎え、昭和二十年秋に設立された出版物卸商業組合メンバーの中に『女優ナナ』の発行者名の大谷徳之助が東京書籍を名乗って、そこにいたのである。

f:id:OdaMitsuo:20210807135648j:plain:h115

 渡辺勝衛の東江堂も同様だ。渡辺は『近代出版史探索Ⅱ』285や286などの坂東恭吾や松木春吉とともに、戦後の代表的な市である二十日会の中心人物だったようだ。それは同296の大京堂の神谷泰治の家で、月々二十日に開かれていたが、戦後の発展によって個人の家では手狭となり、上野の貸席で開かれるようになったとされる。

 三水社の大谷や東江堂の渡辺も昭和戦前は満洲や朝鮮も含む通信販売を主としていて、その範となったのは大京堂の神谷による上田保の『趣味の法律』のベストセラーであった。私も376で、この「通信販売による伝説的ベストセラー」に言及しているけれど、その通販は戦後を迎えても、特価本業界ではまだ盛んに行なわれていた。『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に、中行社の神谷清成は「父・神谷泰治の思い出」を寄せ、次のように語っている。

趣味の法律【76版】 (『趣味の法律』)

 昭和二十六年頃出版しました「万有常識百科事典」が大変良く売れました。これ以後暫区の間「百科事典」時代が始まります。所謂、こと典の事典ものが売れると見るや大同小異の「事典」ものが各社より発刊され、次第に売れ行きがつまってくるのですが、一番影響が出はじめたのは、大出版社までが中小出版の企画類似ものを発行しはじめたことによります。書籍の題名が具体的で且つ長くなったのは我々小出版社の特長だと思います。それが最近では大出版社まで類似した題名をつけて各種の本を発刊しています。

f:id:OdaMitsuo:20210908113727j:plain:h83(『万有常識百科事典』)

 それは「事典もの」だけでなく、赤本、特価本業界の講談や漫画、歌本や付録ものにしても同様で、戦後になって「大出版社までが中小出版の企画類似ものを発行しはじめた」のである。特価本業界は『近代出版史探索』28でいうところのいかがわしい「ヒツジモノ」や譲受出版の王国のように見られていたけれども、それなにの代価を払ってのものだった。しかし特価本業界の中小出版社から譲受にも似た大出版社の企画の類似出版に対して、その代価は支払われることがなかった。このような出版事情は五十歳以下の人々にとって、もはや理解することは難しいと思われる。だが戦後における貸本屋をめぐる出版の興亡にしても、再販制に象徴されるように、書店と貸本屋、古本屋の中にあっての、大手出版社と赤本、特価本業界の代理戦争的な図式を描いたのである。

 大正十五年、ほぼ一世紀前の三水社版『女優ナナ』の出版、流通、販売を考えただけでも、出版社・取次・書店という近代出版流通システムに依存しない出版物が多く生み出されていたことを示唆してくれる。またそこには近代出版流通システムに対抗するオルタナティヴなシステムが構築されていたことも。しかし一世紀後の現在において、それらはすべてアマゾンに集約されてしまったというべきだろう。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら