昭和円本時代に特価本業界も世界文学全集に類する出版を試みていて、それは中央出版社の「袖珍世界文学叢書」である。その一巻は昭和五年刊行の『ゾラ集』で、そこには『生の悦び』と『呪はれたる抱擁』の二作が収録されている。それに言及する前に、まずはその巻頭に置かれた「『袖珍世界文学叢書』の刊行」の言を見てみる。世界の「大文豪」の作品は「芸術の神品」「世界的国宝」であるとして、次のように謳われている。
我等は今、世界屈指の大文豪が心血を注いで遺せし最も著名なる作品中一層著名なる作品のみを網羅したもので、本叢書は実に全世界の著名なる作品のエッセンスとも云ふ可きものである。即ち世界文芸の精華全十五巻を、時代の要求に従ひ袖珍版(小形本)として携帯の至便、装幀の華麗、内容の充実、価格の廉価等幾多の卓越せる条件を具備し、以て本叢書の刊行を期した次第であります。
確かに函入上製の「袖珍版」は五〇〇ページを超えているが、一円の円本より安い八十五銭という「廉価」で、「携帯の至便」を備え、ポケットに入る世界文学全集の趣がある。それに奥付には円本特有の「非売品」表記はないので、予約出版ではなく、一冊ずつの販売が可能であったはずだ。この「袖珍世界文学叢書」は矢口進也『世界文学全集』にも取り上げられていないし、そのリストもここで示しておくしかないだろう。
1『イブセン集』 | 河合逸二訳 |
2『ゲーテ集』 | 石川曾平訳 |
3『モウパツサン集』 | 上浜清一訳 |
4『ゴルキー集』 | 本尾源蔵訳 |
5『チエーホフ集』 | 花井修三郎訳 |
6『ドストイエフスキー集』 | 荻島亮訳 |
7『ダンテ集』 | 竹村真手雄訳 |
8『メーテルリング集』 | 河合逸二訳 |
9『シエクスピーア集』 | 佐藤寛訳 |
10『ゾラ集』 | 戸田保雄訳 |
11『ツルゲヘーフ集』 | 品川準訳 |
12『ダヌンチオ集』 | 佐藤是康訳 |
13『トルストイ集』 | 太田正一訳 |
14『ストリンドベルヒ集』 | 水野誠三訳 |
15『ユーゴー集』 | 高野弥一訳 |
これらのタイトルリストは10の『ゾラ集』の巻末広告からの転載だが、訳者名は函にも本体にも記されておらず、かろうじて奥付のところに小さく見出されるだけだ。ちなみに発行者は石川彦三郎で、中央出版社は本郷区三組町に所在している。
この『ゾラ集』しか入手していないこともあって、訳者名は『明治・大正・昭和翻訳文学目録』から拾っている。ところが本探索は近代翻訳史もたどることをひとつの目的としてきたけれど、これらの「袖珍世界文学叢書」の訳者名は全員がここで初めて目にするもので、それはペンネームというより偽名であるからだろう。その理由は戸田保雄訳とされる『ゾラ集』を検討していくと明らかになる。同書に『生の悦び』と『呪はれたる抱擁』が収録されていることは先述したが、これらは実際には戸田の訳ではないのである。
『生の悦び』は『近代出版史探索』191でふれた坪内逍遥閲、中島孤島訳『生の悦び』(早稲田大学出版部、大正三年)のリライトといっていい。中島訳の冒頭を引用する。
(『生の悦び』、中島孤島訳)
食堂の郭公時計が六時を打つと、シャントーはがっかりし(てしまつ)た。彼(れ)は(、其の重い)痛風の脚を骸炭の火で暖め(つゝ掛け)て居た肘掛椅子から、辛じて立ち上(が)つた。彼(れ)は二時から(ずつと)斯うして、(もう)五週間も家を明け(て居)た妻(女)が、姪のポーリヌ、ケスといふ十歳の孤児を連れて(今日)パリから帰つて来るのを待受けていたのである。其娘を招来はシヤントー家で引き受つて後見する筈になつ(てい)たので。
本来であれば、続けて『ゾラ集』の『生の悦び』も並べ、照らし合わせるべきであろう。だがそれはほとんど同じ繰り返しになってしまう。つまりこの中島訳のカッコ内部分が省かれ、幾つかの単語の位置などが異なっているだけだからだ。したがってこちらの『生の悦び』は中島訳を、リライトというよりは少しばかりアレンジしただけで、戸田訳といえないだろう。どうしてそのようなアレンジを施したかといえば、それはタイトルを同じくしても、中島、及び早稲田大学出版部の著作権の盗用ではないとする口実ゆえだろう。私も『生きる歓び』の訳者なので、このふたつのイントロダクションは身につまされるところがある。
『呪はれたる抱擁』は大正十年の石川勇訳の聚英閣版のゾラの「第二版序」を除いただけで、紙型や多少の言い回しの変化はあるにしても、ほとんどそのままの復刻と見なせよう。『生の悦び』ほどのアレンジが施されていないのは、『近代出版史探索Ⅵ』1188でふれているように、『呪はれたる抱擁』が譲受出版として、大正十五年に第百書房から『罪の渦』のタイトルで刊行されているからで、おそらく中央出版社はそれを引き継いだと推測される。それもあって、『生の悦び』に比べ、翻訳への配慮は必要ではなかったと思われる。
ただ頂けないのは、「ゾラに就いて」という巻末解説で、これは同1178の宇高伸一訳『ナナ』の宇高の「序」の間違いも含めたリライトに他ならないのである。このような『ゾラ集』の編纂から考えれば、「袖珍世界文学叢書」がどのように編まれたかは想像できるし、それが訳者をして偽名の存在にさせた理由だと思われる。なお戸田保雄は前回の『女優ナナ』の訳者の西牧保雄ではないだろうか。
(宇高伸一訳)
(三水社版、西牧保雄訳)
残念ながら石田彦三郎と中央出版社は『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』には見出されなかったが、特価本業界に属していたのは間違いない。それに加えて、特価本や造り本業界においても、「袖珍世界文学叢書」を企画する編集者や訳者がすでに揃っていたという事実にも注視すべきだろう。
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