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古本夜話1210 ゾラ、渡辺俊夫訳『陥落』と日本書院

 ゾラの渡辺俊夫訳『陥落』をようやく入手した。これも二十年ほど探し求めていた一冊だったが、『近代出版史探索』193で推測しておいたように、やはり「ルーゴン=マッカール叢書」第十九巻の『壊滅』に他ならなかった。『陥落』は次のように始まっている。

 ラインの方に当たり、ミユルーズから二キロの沃野のまんなかに陣営が敷かれた。此の八月の夕方、壮厳に沈む太陽のもとに重い雲脚の斜に見える曇つた空に舎営の天幕が線を作つた。防禦線から規則正しい感覚を置いて叉銃線が光つてゐる。

 私は『壊滅』の完訳者であるので、この渡辺訳がフランス語ではなく、英語からの重訳だと断言できる。おそらく『近代出版史探索Ⅵ』1189のヴィゼッテリイの英訳 The Downfall (Chatto&Windus)によっていると思われる。それは邦訳タイトルも同様で、フランス語原題は La Débâcleであり、こちらだと『壊滅』になる。だがその邦訳名による出版は『近代出版史探索』197で既述しておいたように、昭和十六年アルスの難波浩訳を待たなければならなかった。

壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書)

 『陥落』のほうは大正十二年十一月に日本書院からの刊行で、私が入手したのは四六判上製二九八ページの裸本で、函の有無もわからない。『壊滅』は「ルーゴン=マッカール叢書」の大団円ともいうべき普仏戦争を描いて最大の長編で、『陥落』のページ数で収まるものではないし、物語も半ばで途切れてしまっている。私の完訳は四百字詰原稿用紙に換算すれば、千四百枚に及んでいる。だが『陥落』は全訳でない英訳に基づくにしても、続けて見てきた三つの『女優ナナ』のような訳者による恣意的な抄訳やダイジェストではないし、それが渡辺による十月三十一日天長節の日付の「はしがき」に語られている。

 本書六百余頁の一部作として発売する筈であつたが、偶々震災に際し、後半の原稿は不報活版部で焼失したので、止むなく二部作として茲に発刊するに至つた。近く筆硯を改ためて後篇を刊行する。

 つまり関東大震災によって「後篇」の原稿が消失し、ここに「前篇」だけが出されたことになる。しかも渡辺は地震という「大自然の脅威の前に慴伏した東京」と「人為の鉄火に顫動した仏蘭西」を重ね合わせ、「ゾラは戦争―戦敗の烈々たる火災裡に於ける陥落の恐怖を真剣にしかも真面目に描いた」と述べている。渡辺も「大紅蓮の炎々たる旋風に戦慄狂奔した我東京人を見た」し、「大地を焦き立てる恐怖裡の東京人の心理は果して怎んなものであつたろうか?」という問いを『陥落』の中に見いだそうとしているように思える。まさに『陥落』=『壊滅』は「人為の鉄火」による普仏戦争がもたらした「大地を焦き立てる恐怖裡」をそのまま表出させていたからだ。

 それにこれはあらためて驚いてしまうのだが、『近代出版史探索Ⅵ』1179にリストアップしておいたように、「ルーゴン=マッカール叢書」の翻訳は十四冊を数え、しかもそこにない『陥落』などを加えると、二十冊ほどに及び、それは大正十年代に集中し、そこで確認できただけででも、十年二冊、十一年三冊、十二年は六冊も出ている。その翻訳出版の事実は、大正の社会そのものが日本の「ルーゴン=マッカール叢書」の時代だったことを告げているようにも思われる。

 だがこの『陥落』は訳者、発行者、出版社が三位一体となっているごとく不明である。訳者の渡辺は「東京人」だと推測されるが、そのプロフィルはまったく判明していない。発行者の福田滋三郎も同様で、麹町区麹町の日本書院についても、『陥落』を通じて知っただけで、長きにわたって大正出版界を渉猟しているけれど、心当たりがない。『近代出版史探索Ⅴ』868で社名は挙げているが、同じなのかわからない。唯一の手がかりは奥付裏の「日本書院創作八種」で、そこには橘外男『太陽の沈みゆく時』全三巻、福田稔『悔恨』、青木恵次郎『神は眠れり』、宮岡栄一『歓楽の刹那から醒めて』、石井淳『寂しい人々』、平田正三郎『愛は鞭つ』が並んでいる。

f:id:OdaMitsuo:20210910113502j:plain:h105 (『太陽の沈みゆく時』) f:id:OdaMitsuo:20210910112602j:plain(『歓楽の刹那から醒めて』)

 このうちの橘外男だけは『青白き裸女群像』(桃源社)を始めとして五、六冊読んでいるが、『太陽の沈みゆく時』は初めて目にする作品である。そこで橘の『死の蔭探検記』『ナリン殿下への回想』『ベイラの獅子像』(中島河太郎編『橘外男傑作選』全三巻、現代教養文語)に寄せられた中島の解題や「橘外男作品目録」に目を通してみた。すると橘の実質的デビューは昭和十一年の『文藝春秋』の実話原稿当選の「酒場ルーレット粉擾記」(『死の蔭探検記』所収)で、十三年の『ナリン殿下への回想』が直木賞を受賞したことで、実話や怪奇・冒険小説家としての道を歩み出していく。それもあって先の「同作品目録」昭和十一年版のものだ。

青白き裸女群像  f:id:OdaMitsuo:20210910120028j:plain:h95

 しかし中島によれば、それ以前の橘の経歴には謎の部分が多く、大正末期に『太陽の沈みゆく時』『艶魔地獄』など「四種六冊」を刊行し、前者には有島武郎が序文を寄せているが、その時代のことは不明という。しかも『太陽の沈みゆく時』第一巻は大正十五年刊としているけれど、日本書院版は同十二年、五十版とあるので、それ以前に刊行されていたはずである。ということは中島が見ているのは別の出版社のものかもしれない。

 橘の後に続く五人の作家の「創作」はそれぞれ版を重ねているにもかかわらず、『日本近代文学大事典』には誰も立項されていないし、索引にすらもその名前は見出せない。したがって『陥落』の訳者の渡辺、日本書院と福田、橘の作品への有島の序文、五人の作家たちといった具合に、すべてが大正時代の出版史の向こうに閉ざされたままである。これらに関して、これからも注視していくつもりだ。


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