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古本夜話1216 秋庭俊彦訳『肉塊』と三徳社

 もう一冊「ルーゴン=マッカール叢書」があるので続けてみる。それは三徳社の大正十二年の秋庭俊彦訳『肉塊』上巻で、『巴里の胃袋』の最初の翻訳といえる。ただ下巻は未見で、本探索1210の『陥落』と同様に、関東大震災に巻きこまれ、刊行されていないのかもしれない。『近代出版史探索』108の春秋社『ゾラ全集』の武林無想庵訳『巴里の胃袋』としてのフランス語から翻訳刊行は昭和六年になってのことであり、英訳からの重訳だと思われるが、大正時代後半のゾラ翻訳の流行の中で出されていたことになろう。秋庭に関しては『日本近代文学大事典』の立項を示す。

f:id:OdaMitsuo:20210914084655j:plain:h105(『肉塊』)

 秋庭俊彦 あきばとしひこ 明治一八・四・五~昭和四〇・一・四(1885~1965)露文学者、俳人。東京生れ。父は中山姓で明治の初期京都から東京へ移った侍医であるが、少年のころ品川東海寺の沢庵和尚三代の姓を嗣いだ。早大英文科に学び、明治四三年卒業。短歌を志していちじ新詩社同人となったが、チェーホフの作品に接してその作家精神から深い影響をうけ、英訳からの翻訳紹介に打込んだ。とくに新潮社版『チェーホフ全集』一〇巻(大八~昭三)のうち、一、三、四、七、八の各巻のはしがき、翻訳を担当、主要作品の大部分をわが国に移殖し、チェーホフの詩的イメージを強く印象づけた功績はきわめて大きい。(後略)

 確かに『チエホフ全集』は『近代出版史探索Ⅵ』1199の巻末広告で見ていたけれど、入手していない。ただそれにちなんでいえば、立項に見える三は『近代出版史探索Ⅱ』238などの楠山正雄訳『桜の園』なので、五の秋庭訳『三年間』と差し替えるべきだろう。

 だがあらためて秋庭のチェーホフの翻訳への打ちこみ方を考えると、ほぼパラレルにゾラの『肉塊』の翻訳に携わることは不自然に思える。『チエホフ全集』のキャッチコピーは「チエホフの作幾十百篇、種々の世相、種々の心理を其の簡勁無類の筆に活写す。而も憂鬱のうちに一種の爽快味あり、微笑のうちに涙あり。殊に、其の取り扱へる世態人情の、日本現在のそれと甚しく似通へるの点、日本の読者の心を索くこと強きものある可し」と謳われている。これは秋庭自身によって書かれたとも考えられる。

 それに対して、『肉塊』の訳者はその「序」において、「ゾラの巨大なる叢書ルーゴン・マツクアール」の中の『肉塊』は「大都会の心臓と云はれる市場の繁栄を背景として」、「民衆の生活」と「隠密の間に赤化しつゝあつたその時代」を描くと述べている。つまりいってみれば、『肉塊』は「巷の革命児」と市場の女たちの闘争のように捉えられている。それならば、版元の三徳社にも注視しなければならない。三徳社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』229でこの版元が左翼出版物を多く刊行していたことにふれておいた。その際には創業者の中村徳二郎のプロフィルを挙げておかなかったので、『出版人物事典』の立項を引いておく。

中村徳二郎 なかむらとくじろう]一八九三~一九四八(明治二六~昭和二三)白揚社創業者。埼玉県生れ。一九一二年(明治四五)上京、表神保町の福岡書店に入店、一七年(大正六)独立して表神保町に三徳社を創業、書籍の取次販売をはじめた。ついで自著『温泉案内』を処女出版として出版業に転じた。二一年(大正一〇)社名を白揚社と改め左翼的出版物に力を注ぎ、『レーニン著作集』『日本封建制口座』、昇曙夢訳『ロシヤ語講座』などを出版、読書人にその名を知られた。満洲事変以来、左翼出版は弾圧を受けたが屈せず出版を続けた。しかし、大戦とともに休業、戦後復活、株式会社に組織を改めた。

 これは『日本出版百年史年表』における、大正十年に白揚社と改称した左翼的出版物を発行という記述に従っているのだろうが、実際に『肉塊』は大正十二年に中村の三徳社名での刊行である。とすれば、左翼出版物は白揚社名、それ以外の出版物は三徳社と使い分けていたことになるのだろうか。

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 先の拙稿では三徳社が『平民新聞』と堺利彦の売文社人脈のつながりを指摘し、それが堺や大杉栄たちを訳者とする「民衆科学叢書」だったとことにふれている。それで想起されるのは『近代出版史探索Ⅵ』1180の堺訳『ジェルミナール』である。『肉塊』は訳者の「序」において、『ジェルミナール』と同様に「特殊の地位」にあるとされている。

 こうした三徳社と白揚社の出版ポジションと著者、訳者人脈から考えると、『肉塊』の訳者は売文社関係者で、何らかの事情があり、実名で出せないこともあって、チェーホフの翻訳者として知られ始めた秋庭の名前を借りたのではないだろうか。もちろん出版は堺を通じてで、三徳社の中村にしても、新潮社の『ナナ』のベストセラー化とナナ御殿に象徴されるゾラの神話を承知していたはずだ。だが関東大震災に遭遇し、下巻は未刊に終わったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210723104645j:plain:h105(新潮社『ナナ』)

 そのように推測すれば、同時期における秋庭のチェーホフとゾラの翻訳の謎が解けるように思われる。しかし当時の秋庭の人間関係からすると、彼は相馬泰三、舟木重雄、広津和郎、谷崎精二たちの同人誌『奇蹟』の近傍にいた。彼らが大正時代の新潮社の外国文学の訳者だったことは本探索でずっとたどってきたとおりだ。大正五年に秋庭と相馬は三浦半島の小村に移り住み、そこに『奇蹟』の同人たちも滞在し、文士村が形成される。同人たちとその生活をモデルとして、相馬は長編小説『棘荊の路』(新潮社、大正七年)を書いている。

f:id:OdaMitsuo:20210914111310j:plain:h115 (『棘荊の路』)

 しかしこれも長きにわたって探しているのだが、まだその「抄」しか読めていない。ここに『肉塊』に関する何らかのエピソードが秘められているかもしれないと思っているのだが。


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