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古本夜話1220 大鐙閣「ゾラ傑作集」と飯田旗軒訳『労働』

 本探索1217で、堺利彦がゾラの「四福音書」のうちの『労働』を『労働問題』として翻訳し、明治三十七年に春陽堂から刊行されていることにふれた。これは大正九年に叢文閣の『労働』(「労働文芸叢書」2)としての再版が出ているけれど、『堺利彦全集』所収を読んでいるだけで、いずれも未見のままである。

 f:id:OdaMitsuo:20210921120556j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20210911123547j:plain:h120

 しかしこの『労働』は『近代出版史探索』195で言及しておいたように、ゾラの翻訳の先駆者にして硯友社のメンバーでもあった飯田旗軒によって、大正十二年に大鐙閣から出版されている。菊半截判、天金上製九五〇ページ、定価は四円八十銭である。これで大鐙閣版、飯田訳のゾラは同195の「三都市物語」の『巴里』、『近代出版史探索Ⅳ』612の『金』と並んで、三冊が出揃ったことになる。「ルーゴン=マッカール叢書」は『金』だけだが、英語からの重訳ではなく、これらの大作がフランス語から翻訳されたことは特筆すべきであろう。

f:id:OdaMitsuo:20211011174710j:plain:h120(『労働』、大鐙閣)f:id:OdaMitsuo:20211015215857j:plain(『巴里』、大鐙閣)f:id:OdaMitsuo:20211015220532j:plain:h120(『金』、大鐙閣)

 しかも『労働』の巻末の飯田訳「ゾラ傑作集」広告によれば、『巴里』は定価五円五十銭ながら二十版、『金』は四円二十銭で十版という売れ行きで、飯田が「上梓に就いて」において、「大鐙閣が『巴里』改版出版以来、昨今に至つて我国は大分のゾラ流行(中略)、彼方でも此方でも、ゾラの著書が翻訳されて、飛ぶやうな売行だ」と述べていることを肯っている。それらは繰り返し指摘しておいたように、出版業界が『近代出版史探索Ⅵ』1178の新潮社のナナ御殿神話の中にあったからだろう。

 『巴里』は明治四十一年に共同出版から刊行され、発売禁止となり、絶版となっていたし、『金』もまた大正五年に博文館から出され、同様だったので、大正十年に大鐙閣から続けて改版された。『労働』の翻訳はこの大鐙閣からの二冊の改版とパラレルで進められたようだ。それは大正十一年暮れに飯田の妻が死去したことで、上梓が遅れてしまったとされる。

f:id:OdaMitsuo:20211015221201j:plain:h120(共同出版)

 だがここに初めて、ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」以後の「四福音書」の第二巻に当たる『労働』が翻訳されたのだ。やはり同年に『近代出版史探索Ⅵ』1184の水上斎による『労働』上巻、前年に第三巻『真理』が白水社から刊行されているが、いずれも入手していない。またこれもこの時代の日本のゾラブームを反映してのことだろうが、「四福音書」が翻訳されたのはこの時代だけで、現在まで新訳を見ていない。それは『ルルド』『ローマ』『パリ』からなる「三都市物語」も近年まで同様だったけれど、ようやく竹中のぞみ訳『パリ』(白水社、平成二十二年)が出されたである。

パリ(上) (エクス・リブリス・クラシックス)

 その『巴里』にゾラの「名著近刊」として、『労働』が紹介されているので、堺のものと一味異なるそれを引いてみよう。

 本書はゾラの三大著の一たる『四福音書(カートル=エヴアンジル)』全四冊の一にして、労働を主題とし、各種職工を写し、資本家を描き、技術者を語り、闘争と和合とを説き、而も其間自然美妙の恋愛に読者を魅し、凄惨なる悲劇に人をして悚然たらしむ、又一面暗黒を映写する他の一方に新らしき労働村―光明裡に真理と正義の理想郷を頻出し、編中の実人物皆八九十の齢を保ち、子々孫々相婚し相結び、此理想労働市に目出度き大団円を告ぐる一読三嘆の大著。

 ゾラは全二十巻に及ぶ「ルーゴン=マッカール叢書」を終えると、一八九四年から「三都市物語」に取りかり、九九年からは「四福音書」に取り組んだが、第四巻『正義』はそのガス中毒による急死のために書かれずに終わったのである。これらの三つの叢書の作品を一作ずつではあるが、翻訳しているのは飯田一人であり、それなりにゾラの翻訳者としての自負もあったようで、日本のフランス大使のクローデルに序文を依頼したが、「クローデル氏は、ゾラの反対家だといふことで、私の望みは拒まれました」と書いている。

 おそらくそれはクローデルが大正十二年二月に新潮社から『聖ジュヌヴィエーヴ』と題する仏文詩集を刊行し、新聞などに話題になっていたことが影響しているのだろう。その書影は『新潮社四十年』に掲載されている。しかしカトリックに深く回帰し、ゾラなどへの嫌悪はよく知られていたので、クローデルにとっては当然のことであった。

f:id:OdaMitsuo:20211015213452j:plain:h110(『聖ジュヌヴィエーヴ』)f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110 

 それに大正時代において、ゾラは文学というよりも、社会主義陣営からの紹介も多く、『労働』こそはそれを象徴していたと思われる。それゆえに堺利彦はいち早く『労働問題』としてその梗概を発表していたのである。飯田はクローデルが「些と雅量に乏しい憾がある」と述べる一方で、堺に対して好意的で、「嘗て堺枯川氏も英訳から其の大意を訳出て出版されました、中々巧く出来ております」と記し、その「梗概」を経て、飯田訳『労働』へと導かれんことをと書きつけている。

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