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古本夜話1221 大鐙閣と木蘇穀訳『血縁』

 実は『労働』に続いて、大正十二年六月に大鐙閣から「ルーゴン=マッカール叢書」の木蘇穀訳『血縁』が刊行されている。これは『近代出版史探索』193でふれ、同188の吉江喬松訳『ルゴン家の人々』にあたるが、『血縁』のほうが先行しているし、拙稿「天佑閣と大鐙閣」(『古本探究』所収)では書影も挙げておいた。やはり『巴里』『金』『労働』と同様の上製、天金、菊半截判で、六〇一ページ、定価四円と大冊、高定価の翻訳書である。これらの続けてのゾラの翻訳出版は、さらなる翻訳が進められていたことをうかがわせている。

f:id:OdaMitsuo:20211011174710j:plain:h115(『労働]』)f:id:OdaMitsuo:20211015215857j:plain(『巴里』)f:id:OdaMitsuo:20211015220532j:plain:h120(『金』)

 訳者の木蘇は『日本近代文学大事典』に見出せるので、それをあらためて引いてみる。

 木蘇穀 きそこく 明治二六・八・二六~?(1893~?)評論家、翻訳家。富山県生れ。大阪北野中学、三高、早大英文科に学ぶ。「潮」「英語文学」「局外」などの編集者、万朝報記者。大正一四年創刊の「不同調」同人となり、新人生派を提唱する一員として評論を書く。この時期の論としては『無風体の文壇』(『新潮』大一四・一一)がある。翻訳に『暗い花』『血縁』『唯物史観研究』など。

 この立項は『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』に基づいていると思われるが、異なる部分もあるし、双方とも翻訳はタイトルだけを上げ、著者名は示されておらず、木蘇の「翻訳家」としてのイメージは伝わってこない。それを『血縁』の版元である大鐙閣と総合雑誌『解放』との関係から考えてみたい。

 大鐙閣は『近代出版史探索Ⅱ』311の久世勇三によって大正初期に創業され、大正八年に『近代出版史探索』172の総合雑誌『解放』を創刊している。それは『改造』や『我等』と相並ぶ大正デモクラシーの高揚の中における創刊とされ、大鐙閣の東京支配人の面家壮吉が実質的な発行者で、ゾラの翻訳にも関係していると思われる。実際に『労働』と『血縁』の発行者は久世だが、『巴里』と『金』は面家である。

 『改造』や『我等』もそうだったように、『解放』も第一次世界大戦後のデモクラシー思想から社会主義研究に進み、労働運動に転じるという潮流の中にあて、売文社の堺利彦、山川均、荒畑寒村たちも寄稿するようになり、社会主義的色彩の強い雑誌になっていった。木蘇もそのような潮流の中にいたし、『血縁』の「訳者序」において、「この訳書出版に種々御尽力下すつた高畠素之氏」とあるのは売文社社員の高畠と『解放』の関係から、大鐙閣への仲介がなされたことを告げていよう。それに著者不明の『唯物史観研究』の翻訳も、調べてみるとアントニオ・ラブリオラの著作で、而立社からの刊行であり、そうした産物かもしれない。

 その一方で、高畠は『近代出版史探索Ⅲ』573でふれたように、大正八年からマルクスの『資本論』に取り組み、翌年にその第一巻を大鐙閣から刊行していたが、それは関東大震災以後に新潮社へと引き継がれていったのである。そこに大正十二年に刊行されたゴルスワージイの木蘇訳『暗い花』を置いてみると、これも高畠を通じて出版の運びとなったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20211016151144j:plain f:id:OdaMitsuo:20211016141118j:plain(『暗い花』)

 そして新潮社は大正十五年に高畠人脈も動員して、『近代出版史探索Ⅳ』632の「社会問題講座」全十三巻に取り組み、円本以前の予約物として最高の部数を記録している。この企画編集に携わったのは大宅壮一であり、彼がどこかで木蘇を容貌怪異の人物と語っていたことを記憶しているが、それは木蘇もこの「講座」に参画していたからではないだろうか。そのように考えてみると、木蘇の新潮社の『不同調』への参加も納得がいくのである。

 それならば、木蘇のゾラなどの翻訳への道はどのようにして用意されたかだが、それは『英語文学』の編集者を務めたことも大きいように思われる。『日本近代文学大事典』の『英語文学』の解題を引くと、これは外国文学誌で、緑葉社から大正七年から十年にかけて全三十五冊が刊行されている。主幹は『近代出版史探索Ⅵ』1196の平田禿木、続いて『近代出版史探索Ⅴ』833の生田長江が務め、タイトルと異なり、大陸文学の紹介や批評も多く、尾崎士郎がドストエフスキーやゾラの評伝を連載し、堀口大学がアポリネールの翻訳を掲載しているという。

 もちろん『英語文学』は未見だけれど、尾崎といえば、売文社の社員で、ゾラの評伝が編集者の木蘇と無縁にあったはずもない。まして平田はともかく、生田は『近代出版史探索Ⅵ』1191のダンヌンツイオの『死の勝利』の訳者でもあり、新潮社に寄り添っていた。このように大正時代の翻訳史は社会主義人脈と雑誌人脈が錯綜して結びつき、形成されていったと思われる。


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