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古本夜話1231 柳田泉編『世界名著解題』

 春秋社の『大思想エンサイクロペヂア』は異なるバージョンの企画も生み出していく。それは昭和十三年に刊行された柳田泉編『世界名著解題』全三巻で、そのうちの二冊が手元にある。

  f:id:OdaMitsuo:20220109115632j:plain:h111(『大思想エンサイクロペヂア』)f:id:OdaMitsuo:20220117114059j:plain(『世界名著解題』)

 柳田は拙稿「春秋社と金子ふみ子の『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)でふれておいたように、春秋社の最初の出版物『トルストイ全集』の訳者の一人だった。それを契機として、大正十年代に柳田はいくつも翻訳に携わり、『カーライル全集』全九巻も刊行に至る。そして木村毅に代わって春秋社の編集顧問となり、『世界大思想全集』にも参画し、その23にトルストイの『人生論』の翻訳を収録している。こうした経緯があるので、『大思想エンサイクロペヂア』にも関係しているはずであり、それゆえに柳田の名前で、『世界名著解題』が編まれたことになろう。柳田はその「序」で次のように述べている。

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 この書編纂の動機はかつて春秋社編輯部にて公刊した『大思想エンサイクロペヂヤ(ママ)』中の『思想名著解題』の改訂にあつたのであるが、着手して見ると、単に形式上の改訂に甘んじてゐられず、相当立ち入つた書目の増減を行ひ、配列順を根本的に改め、各項に著者選者の伝記を加へるなど、可成り大きな努力を要した。
 書目の増減についていへば、『思想名著』刊行の当時社会科学全盛の空気があつたので、その反映として、解題された書目中にもその種の書物が多過ぎた。今補訂に際して、そのやゝ過激なものの一半を削り、当時不足してゐた文学哲学方面の名著をもつて補ふことにした。

 前回記しておいたように、『大思想エンサイクロペヂア』第二期としての辞典類は高畠素之と門下たちが多く手がけていたし、『世界名著解題』にしても同様だったと思われる。それに「当時社会科学全盛の空気」ゆえに、「解題された書目中にもその種の書物が多過ぎた」し、そのような書誌に一過言のある柳田としては改訂する必要のある一冊に映っていたにちがいない。

 そのために柳田は「特に普遍的価値をもつものを約六百だけ選定して、能ふ限り簡明な解題を試みた」とされるが、『世界名著解題』第三巻は入手していないので、それらの全貌は俯瞰できていない。しかし第一、二巻を見ただけでも、社会学、経済学、産業論、政治論などの社会科学書が多く、前の『思想名著解題』の色彩が強いのは明らかだ。それは『世界大思想全集』収録の「思想名著」とコレスポンダンスしていたことに起因しているのではないだろうか。

 この『世界大思想全集』の明細は判明していないけれど、『世界名著解題』に挙がっているスペンサーの『第一原理』がこの『全集』に収録されているのは、本探索1224で指摘しておいたばかりだ。それにウィリアム・ゴドウィン『政治的正義』(加藤一夫訳)、トェンニース『共同社会と利益社会』(鈴木晃訳)も見えているが、これらも『同全集』17と73に認められる。それらのことを考えると、柳田の改訂は『世界大思想全集』の「思想名著」に対して、日本の古典、外国文学、宗教書などと差し換えることを意図していたのだろう。

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 その典型は『近代出版史探索Ⅳ』660の埃及の『死者の書』(Book of the Dead)で、次のように解題されている。

 神の讃歌と呪文とを集めた古代埃及の宗教書。多くは呪術的なもので、死者を安全に他界へ送り、幸福に来世の生活を営ましめようとするのが、その呪文や讃歌の主たる目的である。これ等の文章を一冊に編輯したのは近世のことであつた。全文は二百余章に分れ、死者の旅行に関するもの、肉体を回復する処方など呪術的なものが多いが倫理的な内容を持つたもの、太陽に対する讃歌などもある。大体に於て、彼等の崇拝神オシリス神の祭儀を重要な綱目としてゐる。(後略)

 この「解題」が収録されている『世界名著解題』第二巻は昭和十四年六月の刊行である。それに先駆けて、『日本評論』の昭和十四年一月号から三月号にかけて、折口信夫の『死者の書』が連載されている。折口の『死者の書』こそは『近代出版史探索』104の『世界聖典全集』に収録された田中達訳『死者之書』にその淵源を仰ぎ、連載されていたのである。柳田はそれに気づき、あえて『世界名著解題』へと『死者の書』を召喚したように思える。


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