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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1233 夢野久作『ドグラ・マグラ』

 春秋社・松柏館の探偵小説シリーズの出版は昭和十年一月夢野久作『ドグラ・マグラ』から始まったのではないだろうか。幸いにして『ドグラ・マグラ』は平成七年に沖積舎から覆刻版が出され、その函背には「幻魔怪奇小説」と謳われ、松柏館書店版とあった。また函の裏面にはその「梗概」が記され、ここでしかお目にかかれないものだと考えられるので、それを引いてみる。『ドグラ・マグラ』の校正は前々回の柳田泉が担当したと伝えられていることからすれば、この一文は柳田によるものかもしれない。

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 神秘極る人間悪の血を伝へた一美少年が、深夜眼ざめた幻魔に誘はれて一度ならず二度ならず類のない惨劇を演ずる。その少年が精神病科の病室に収容中、自分自身をモデルにして戦慄極まる自叙小説を書き上げ、種々な精神科学の実験を受けて想像も及ばぬ恐ろしい自分の犯罪内容を知つて行く苦しみを細かに描写する。これが此の小説の荒筋だが、作者はこの荒筋を運ぶのに、精密複雑、実に前例のない迷宮的情熱と科学的知識を用ひて、此の種の小説では全然新しい型の大傑作を生み出した。此の少年の悪血を掻き立てた背後の怪人物は誰かまた神秘を極めたこの変態的な悪血とは何を意味するのか、それに絡まる二人の天才的医学者の学問的興味と恋愛のもつれ、葛藤は葛藤を生み、迷宮は迷宮に重なつて、推理とか想像を超越したその不思議な構想は、いつしか読者を一種異様な幻覚に巻きこんでしまふ。いはゞ精神異常犯罪者の心理試験といふ眩惑的な構想に、神秘趣味、猟奇趣味、探偵趣味、エロチシズム、ナンセンス味を超百パーセントに盛り込んだ薄気味悪い妖気に読者の毛穴をいついつまでもゾーッとさせる、それが此の「ドグラ・マグラ」の正体だ。

 函の装幀もそれにふさわしいイメージで、ひとりの女の顔が描かれ、『ドグラ・マグラ』の「巻頭歌」の「胎児よ/胎児よ/何故躍る/母親の心がわかつて/おそろしいのか」を囁いているようでもある。前回の『ポンスン事件』の巻末広告紹介に「たとへる事の出来ぬ探偵大小説! 而も堂々一千五百枚の書き卸し長篇! 本書出づるに及んで俄前従来の探偵小説の水準を引き上げた問題の書!」は、このようにして刊行に至ったのである。

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 しかしこの尋常ではない「幻魔怪奇探偵小説」を春秋社名で出すことはリスクが大きかったはずだ。昭和に入って、春秋社は『世界大思想全集』などの円本、それに連なる音楽書、医学書、仏教書、経済書の分野も広範に進出していたし、それらと「幻魔怪奇探偵小説」は組み合わせがアンバランスゆえに、松柏館名義で刊行されたのではないだろうか。それを裏づけているのは大坪徳二という発行者名で、彼は春秋社の営業担当だったと推測される。

 『ドグラ・マグラ』の出版プロセスだが、『近代出版史探索』89において、春秋社の神田豊穂はその前に謡曲本のわんや書店に在籍していたので、喜多流教授としての夢野との関係もあり、それで『ドグラ・マグラ』が持ちこまれたのではないかと既述しておいた。それを担当したのが豊穂の次男の神田澄二で、続いて創作探偵小説の募集を行ない、蒼井雄『船富家の惨劇』が入選し、刊行される。その一方で、春秋社は昭和十一年に月刊探偵雑誌『探偵春秋』を創刊し、松柏館の探偵小説シリーズと併走していくことになる。なおミステリー文学資料館・編『「探偵小説」傑作選』(「幻の探偵雑誌」4、光文社文庫、平成十三年)が刊行されていることも付記しておく。

f:id:OdaMitsuo:20220117142342j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20220119114402g:plain:h122 「探偵春秋」傑作選―幻の探偵雑誌〈4〉 (光文社文庫)  

 しかし留意すべきは松柏館が『ドグラ・マグラ』の出版を目的として設立されただけとは考えられない。『ドグラ・マグラ』の巻末広告にスチュアート・チェース、石井満訳『濫費の悲劇』が掲載されていることにもうかがわれた。たまたま古書目録で同書を見つけ、入手するとそれは『ドグラ・マグラ』に先行する昭和九年十月の刊行で、発行者はやはり大坪であった。しかもその奥付は裏には松柏館書店として、海軍少佐石丸藤太著『覆面の軍縮会議』の一ページ広告があり、先述の目録を確認すると、石丸は昭和六年から『日米果して戦ふか』を始めとして九冊を刊行している。とすれば、松柏館のスタートは主として石丸を中心とするアメリカ戦略、軍事論の出版を目論んでいたのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20220118210023j:plain:h120(『日米果して戦ふか』)

 それから『濫費の悲劇』の著者のチェースは第一次世界大戦とニューディール政策に統制経済の実績を見出し、実証経済学を樹立したとされる。その訳者の石井満だが、彼は『出版人物事典』に見出せるのである。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [石井満 いしい・みつる]一八九一~一九七七(明治二四~昭和五二)日本出版協会会長。千葉県生れ。東大政治学科卒。鉄道、ジャーナリズムを経て一九四五年(昭和二〇)、戦後統制団体であった日本出版会が解散した後をうけて組織された日本出版協会に入り、常務理事兼事務局長を経て理事長・会長に就任。四六年、戦犯出版社追放問題で紛糾、日本自由出版協会と分裂するなど戦後混乱期の出版界の大きな存在として知られた。新渡戸稲造の薫陶を受け、アメリカ通でもあり、詩人ホイットマンの研究家としても知られた。(後略)

 私は神田豊穂が探偵小説シリーズで発行者にすえられている長男の神田龍一を後継者とし、『ドグラ・マグラ』の編集を手がけた次男の神田澄二に松柏館を譲るつもりだったのではないかと推測しておいた。ところがこれらのアメリカ戦略、軍事書関係、後に出版絡みの人脈と著者、訳者たちのことも考えてみれば、そうした単純な構図ではなく、やはり『ドグラ・マグラ』的に入り乱れ、錯綜して松柏館も設立されたのかもしれない。さらなる推理も加えるつもりでいたが、こちらは差し控えることにする。


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