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古本夜話1235 小栗虫太郎『白蟻』、ぷろふいる社、熊谷晃一

 同じく沖積舎からもう一冊、小栗虫太郎の『白蟻』も覆刻されているので、これも取り上げておくべきだろう。これは表題作の他に、「完全犯罪」「夢殿殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」を収録した中編集とよんでいい。「推讃」は江戸川乱歩、甲賀三郎、水谷準が寄せ、装幀は『黒死舘殺人事件』の松野一夫で、この「犯罪心理小説」と銘打たれた『白蟻』の造本は『黒死舘殺人事件』と比べても遜色がない。やはり『白蟻』も『ドグラ・マグラ』や『黒死舘殺人事件』と同年の昭和十年に刊行されているのだが、その特色は京都のぷろふいる社という探偵小説専門出版社から出されたことにある。

f:id:OdaMitsuo:20220119194612j:plain:h120(『白蟻』沖積舎)f:id:OdaMitsuo:20220119151201j:plain:h120(新潮社)f:id:OdaMitsuo:20220119195902g:plain:h115f:id:OdaMitsuo:20220119195548j:plain:h115(ぷろふいる社)

 それもあって、ぷろふいる社と発行者の熊谷晃一は『日本出版百年史年表』や『出版人物事典』にも見えない。だが昭和八年から十二年にかけて、探偵小説誌『ぷろふいる』を刊行し、『白蟻』に続いて、甲賀三郎『血液型殺人事件』、山本禾太郎『小笛事件』、大阪圭吉『死の快走船』、大下宇陀児『ホテル紅館』なども出版している。しかしいずれも未見である。おそらく松柏館・春秋社の探偵小説シリーズと同様に、稀覯本となっているのだろう。実際に本探索1231の古書目録で『白蟻』は三十万円の古書価がつけられていた。

 f:id:OdaMitsuo:20220120114104j:plain:h120(『小笛事件』)f:id:OdaMitsuo:20220120114456j:plain:h115(『死の快走船』)f:id:OdaMitsuo:20220120114834j:plain:h120(『ホテル紅館』)

 それでも『ぷろふいる』に関しては江戸川乱歩が『探偵小説四十年』において、「関西の同人誌『ぷろふいる』誌上には、若い人達の探偵小説への情熱が、『鬼』に憑かれたかの如く燃え上がっていた」と評し、その最大の収穫は英米探偵小説通にして、熱愛者、評論家にして『ポンスン事件』などの翻訳者の井上良夫の出現だったとしている。

f:id:OdaMitsuo:20220120113606j:plain:h120 江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年(上) (光文社文庫) f:id:OdaMitsuo:20220118144304j:plain:h120

 この乱歩の言を受け、半世紀後に井上良夫『探偵小説のプロフィル』(国書刊行会、平成六年)の刊行が実現したのであろう。また井上や『ぷろふいる』の五年にわたる印象、功罪だけでなく、乱歩の筆はぷろふいる社の熊谷にも及んでいる。

探偵小説のプロフィル (探偵クラブ)

 この雑誌の経営者、熊谷晃一氏[註、戦後「ぷろふいる」を復活発行した熊谷一郎君と同一人]は物質的に相当大きな損害を蒙っているのであるが、しかし、そのことはわれわれ作家達や特殊の探偵小説愛好家達が、いつまでも銘記して後の人に伝えるであろうし、もしいつか探偵小説史を書く人があったならば、探偵小説への純真な情熱のみに終始したこの雑誌のために、多くの頁を費やすにやぶさかではないであろう。[註、熊谷君は京都の呉服商の老舗の若主人であった。この老舗がつぶれたのは、他の事情によるのだろうけれど、「ぷろふいる」に熱中して店員の監督などがおろそかになったのも失敗の一員であったと思う。私はそのことについて、何となく相済まぬという気持が残っていて、殊更らこういう文章を書いたのであろう。熊谷君は京都の老舗をたたんでから、神戸で古本屋を開いていたが、終戦直後の雑誌ブームを傍観していることができず、「ぷろふいる」を再刊し、ほかにもいろいろ雑誌を出したが、戦後簇生した小出版社の多くとおなじく、インフレーションの波に流されて事業を閉じなければならなかった。

 乱歩の言に押され、省略を施さなかったので長い引用になってしまった。しかしこの乱歩の「ぷろふいる」と熊谷に関しての証言は、「探偵小説史」に強く記憶されたようで、探偵小説専門誌『幻影城』(昭和五十年六月号、絃映社)が大特集「『ぷろふいる』傑作選」を組むに至っている。

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 それは全四十八冊の「探偵雑誌『ぷろふいる』表紙誌上展」を始めとし、その懸賞入選作である光石介太郎「空間心中の顚末」、金来成「探偵小説家の殺人」、名作選として木々高太郎「就眠儀式」、大阪圭吉「闖入者」、蒼井雄「狂燥曲殺人事件」を収録している。また『ぷろふいる』の「論壇」からは中島親「探偵小説の新しき出発」が転載され、中島河太郎の「『ぷろふいる』五年史」、九鬼紫郎の「『ぷろふいる』編集長時代」も寄せられ、『幻影城』ならではの充実した特集となっている。

 それから四半世紀を経た平成十二年に、ミステリー文学資料館・編『「ぷろふいる」傑作選』(「幻の探偵雑誌」1、光文社)が刊行される。こちらは木々の「就眠儀式」が重複してしまうが、甲賀三郎「血液型殺人事件」、角田喜久雄「蛇男」、夢野久作「木魂(すだま)」、小栗虫太郎「絶景万国博覧会」などの十一作を収録し、さらに「ぷろふいる」作者別作品リストも添えられている。

「ぷろふいる」傑作選―幻の探偵雑誌〈1〉 (光文社文庫)

 それから乱歩以後の熊谷晃一の消息を伝えているのが、芦辺拓の「プロフアイリング・ぷろふいる」で、熊谷の証言を交えながら、彼が老舗デパートの藤井大丸の一族で、『ぷろふいる』で現在の金額にして億を超える欠損が生じたこと、当初は京都市下京区四条河原町から始め、東京事務所は昭和八年には渋谷区代々木深町、同十二年には神田区神保町に移っていることが語られている。それで昭和十年刊行の『白蟻』の奥付住所が渋谷区代々木深町とあることが了承されるし、東京事務所の必要性はこれも奥付に示された東京の五大取次、及び東京在住の作家たちとの関係から設けられたと考えられる。

 芦辺はその論稿を乱歩の「もしいつか探偵小説史を書く人があったらならば、探偵小説への純真な情熱のみに終始したこの雑誌のために、多くの頁を費やすにやぶさかでないであろう」という『探偵小説四十年』の言葉を引いて閉じている。乱歩が『ぷろふいる』と熊谷に関してそのように記したのは、自らが戦後『宝石』の経営に参画して苦しんだ経験を重ねているのだろう。だがこれも乱歩の言に刺激され、『幻影城』を創刊し、『ぷろふいる』特集を組んだ島崎博も多くの新人を輩出させたものの、熊谷と同じく、多くの欠損を生じさせ、『幻影城』もまた廃刊へと追いやられるのである。


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