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古本夜話1237 雄文閣、中村吉蔵『明治畸人伝』、日高只一「新時代学芸叢書」

 本探索で続けてふれてきた新潮社や天佑社に関係の深い中村吉蔵に関して、触発された一編を書いておきたい。それは手元に中村の『明治畸人伝』なる一冊があり、一度書いておくべきだと考えていたからだ。同書は昭和七年に小石川区原町の井上垂穂を発行者とする雄文閣から刊行されている。

f:id:OdaMitsuo:20220131131254j:plain:h120(『明治畸人伝』)

 この『明治畸人伝』は戯曲集で、「大津事件」「田中正造」「明治畸人伝」の三作が収録され、挿画・装幀は木村荘八だが、裸本であることと背文字が読めないほど褪色しているので、装幀の妙は伝わらない。だがここでの関心は奥付裏に記載された「雄文閣芸術叢書」と「新時代学芸叢書」にある。まず前者を示す。

1  仲木貞一 『マダムX』
2  仲木貞一 『飛行曲』
3  中村吉蔵 『明治畸人伝』
4  仲木貞一 『蝕める恋』

 これらは「戯曲」と銘打たれ、4は近刊となっている。仲木は『近代出版史探索』113の藤沢親雄の近傍にいて、彼から貸与されたチャーチワード『南洋諸島の古代文化』の訳者でもあり、また『近代出版史探索Ⅲ』551の国民図書『現代戯曲全集』の編集者だった。「雄文閣芸術叢書」にも彼の戯曲が三冊挙がっていることからすれば、仲木が企画し、自ら編集したのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20200303211530j:plain:h120(『現代戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20220131134131j:plain

 次に「新時代学芸叢書」を挙げてみる。

1  カルヴァートン、阪井徳三訳 『十字路に立つアメリカ文学』
2  イエーツ、長澤才助訳 『日本の能楽』
3  大槻憲二 『精神分析概論』
4  群司次郎正 『日章旗を振るハルピン女』

 こちらも4は近刊とあるが、この「叢書」は日高只一顧問、三木春雄編輯と記載されている。1の訳者の阪井(坂井)は『日本近代文学大事典』に立項され、明治三十四年広島県生まれの詩人で、早大英文科卒、ナップに参加し、その解散後サンチョ・クラブを設立し、昭和十一年に風刺詩集『百万人の哄笑』(時局新聞社)を刊行とされる。2の長澤はやはり早大英文科卒のユーモア作家、児童文学者だが、3の大槻は『近代出版史探索』82、『近代出版史探索Ⅱ』399ですでに言及している。編輯の三木は見当らないが、日高は『日本近代文学大事典』に見えるので、そのまま引いてみる。

 日高只一 ひだかただいち 明治一二・三・二三~昭和三〇・六・二二(1878~1955)英文学者。広島県生れ。号未徹。同三八年早大英文科卒。横山有第、吉江喬松らが同期。四〇年早大で英文学を講じた。英米の実地見聞を下敷きにした『英米文芸印象記』(大一三・一一 新潮社)は個性的な姿勢が知れる好著。また早くからアメリカの文学に注目した『アメリカ文学概論』(昭七・九 東京堂)の著書がある。(後略)

アメリカ文学概論 (1946年) (『アメリカ文学概論』)

 この日高は新潮社の円本『世界文学全集』7のウォルター・スコットの『アイワ゛ンホー』(昭和四年)の訳者で、菊池武一による新訳『アイヴァンホー』(岩波文庫、昭和三十九年)は戦後を待たなければならなかった。私は英国の近代歴史小説家としてのスコットに関して語る資格などないけれど、かつて拙稿「バルザック『幻滅』の書籍商」(『ヨーロッパ本と書店の物語』所収)で、スコットが十九世紀の小説の時代を切り開いたキーパーソンで、『アイワ゛ンホー』は初版が一万二千部で、たちまち売り切れた事実を指摘しておいた。
 
f:id:OdaMitsuo:20220201114538j:plain:h115 アイヴァンホー〈上〉 (岩波文庫)  ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

 また論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」に編集者兼訳者として参画していた際に、読者から手紙が届き、ゾラの「叢書」と同様に、スコットのスコットランド郷土小説『ヴェイヴァリー』に続く三十編余に及ぶ「ヴェイヴァリー小説集」も未邦訳であることを教えられた。しかし日高もその「序」や「世界文学月報」第三十号でも断わっているように、『アイワ゛ンホー』も「最初の一章は欠伸を催す嫌ひがあるかもしれぬが、それを読むことは後章を即ち物語を全部理解するに極めて必要であると思ふから、読者はそれを辛抱しなくてはならない」のである。それは日高訳にも顕著だし、「ヴェイヴァリー小説集」にもつきまとう問題で邦訳が出されなかった原因であろう。

 このように「雄文閣芸術叢書」と「新時代学芸叢書」を見てみると、前者は仲木絡みの戯曲シリーズ、後者は日高と阪井の経歴から類推すれば、広島という郷里を同じくする早大英文科の子弟関係にあると推測される。それはイエーツの訳者の長澤、編輯の三木春雄にしても同様で、雄文閣の発行者の井上にしても、彼らの近傍にいた人物ではないだろうか。三木と井上のことはこれからも留意しておきたいと思う。

 それにしても、紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』ではないけれど、昭和戦前においても、想像する以上に多くの「叢書」が刊行されていたのである。これからもそれらを拾っていきたい。

大正期の文芸叢書


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