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古本夜話1239 松山敏、愛文閣『レ・ミゼラブル』、巧人社「世界詩人叢書」

 本探索1208の西牧保雄訳『女優ナナ』と同1218の堺利彦訳『哀史梗概』に絡んでの話だが、ユーゴー原著、松山敏訳『レ・ミゼラブル(噫無情)』を入手している。これは大正十年に著訳者を松山として、神田区錦町の木村愛治郎を発行者とする愛文閣から刊行され、入手理由はこのシリーズに西牧訳『何処へ行く』があり、こちらは日本の古本屋などに見当らず、その代わりに購入した一冊である。

f:id:OdaMitsuo:20210908101557j:plain:h115(三水社版、西牧保雄訳)

 現物を手にして判明したのは発行所が『近代出版史探索Ⅵ』1143の上方屋書店で、金星堂の前身で浅草の赤本、歌本、譜本、及び大阪、京都の出版物「阪本」の取次を主としていた。その事実からすれば、発行所といっても愛文閣の書店兼取次を担っていたのである。『金星堂の百年』は次のように述べている。

 上方屋卸部の商圏は東京を中心としながらも静岡、茨城、栃木、群馬、山梨と関東一円に広がっていた。当時の卸は、競争相手がそれほどおらず、商圏が広がったとはいいながら主力の小売店は神田を中心にした東京に集まっていたので、品物のさばき具合は順調だった。小売店側も上方屋との取引がないと商売が成り立たない状態だった。

 それは上方屋が当時のベストセラーの立川文庫や歌本を扱っていたからで、その収益が金星堂の雑誌『文芸時代』や文芸書の出版を支えていたのである。やはり『近代出版史探索Ⅱ』281で、大阪の崇文館から出された松山敏訳の『ハイネの詩集』などにふれ、三水社版『ハイネ小曲集』も挙げ、彼が金星堂の最初の編集者だと指摘しておいた。それは『金星堂の百年』にも記され、「1921(大正10年)に金星堂の正式社員として、のちに松山敏の筆名で詩人・文章家として活躍する松山悦三が入社。常勤の編集専従社員の第1号である」と。

 しかし『レ・ミゼラブル(噫無情)』の刊行は大正十年であることからすれば、松山敏は以前から編集仕事に携わっていたはずで、ひょっとすると、愛文閣との関係から金星堂の編集者に迎えられたとも考えられる。それは松山の「序」にも見えているように、ユーゴーの大作を「出来るだけ平易に其梗概を記述すること」に金星堂の福岡益雄が注目し、編集者として招いたのではないかとも推測される。

 四六判並製三二六ページは黒岩涙香の『噫無情』のサブタイトルが付されているけれど、すでに『近代出版史探索Ⅴ』827などの豊島与志雄によるフランス語からの全訳も刊行されていたし、それらを参照して「其梗概」を抽出したにちがいなく、「訳述」したことにはならないだろう。黒岩涙香や堺利彦のような卓抜な英語読解力をそなえた読み巧者であればともかく、大部の英語やフランス語原著から「其梗概」をまとめるとはきわめて難しいし、私もゾラの翻訳者なので、そのことは実感している。

 ただリライトや「其梗概」をまとめる技術もまた特価本業界においては必要な才能に他ならず、それらの一端は本探索1209の中央出版社の「袖珍世界文学叢書」にもうかがうことができよう。その「世界詩人叢書」とでもいうべきシリーズが松山を中心にして編まれている。それらを挙げてみる。ただ尾上柴舟訳『ハイネの詩』は先の『近代出版史探索Ⅱ』281で、新声社の譲受出版だと既述しているので、ここでは挙げない。

1  松山敏訳 『ハイネの詩集』
2  石躍信夫訳 『ゲエテの詩集』
3  松山敏訳 『ホイツトマンの詩集』
4  石躍信夫訳 『バイロンの詩集』
5  松山敏訳 『ヴエルレエヌの詩集』
6  石躍信夫訳 『ダンテの詩集』
7  松山敏訳 『ロングフエロウの詩集』
8  松山敏訳 『シエリの詩集』
6  岡澤武訳 『テニスンの詩』

f:id:OdaMitsuo:20220204110512j:plain:h122 (『ヴエルレエヌの詩集』) 

 このうちで手元にあるのは9の『テニスンの詩』だけだが、その函はそうでもないけれど、装幀がすごく、一度見たら忘れられないほどだ。赤のクロスにドレスをまとった一人の女性が浮かび上がるようなレリーフ造本で、これだけ派手な詩集に出会ったことがない。「小四六版上質二度印刷/装幀豪華優美箱入」とあることからすれば、この「世界詩人叢書」はすべてが同じか、全冊がそのような印象を与える装幀造本なのだろう。
f:id:OdaMitsuo:20220204112200j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20220204112418j:plain:h120(『テニスンの詩』)

 版元は『近代出版史探索Ⅱ』272の巧人社で、昭和十年の刊行である。巧人社は近代文芸社や松要書店の別名でもあり、『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に見えているように、大阪の業界の第一人者で、多くの特価本や造り本を出版していた。

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 これらの詩集の大半は文英堂の「世界名詩選」や聚芳閣の「泰西詩人叢書」の譲受出版だと推測されるが、松山、石躍、岡沢に関しては『日本近代文学大事典』の索引にも見当らず、「袖珍世界文学叢書」の訳者たちと同じく、プロフィルも定かではないけれど、松山と石躍は同一人物でのようにも思われる。文英堂は益井俊二によって大阪で大正十年に創業され、当初は取次で、十二年頃から学参に進出したとされているが、全二十巻に及ぶ「世界名詩選」なども手がけていたことになる。

 松山は金星堂に在籍していたことによって、出版史にかろうじて名前が残されたが、特価本や造り本業界における多くの翻訳者たちは出版史の闇の中に埋もれたままになっている。それにしてもあらためて再認識させられたのは柳田泉がいうところの「ユーゴーの日本に及ぼせる影響」(『随筆明治文学1』、平凡社東洋文庫所収)で、柳田は『噫無情』が中里介山の『大菩薩峠』に与えた影響を指摘していたが、特価本と造り本業界まで含めれば、それは絶大であったように思えてくる。

随筆 明治文学〈1〉政治篇・文学篇 (東洋文庫)   大菩薩峠 都新聞版〈第1巻〉

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