『近代出版史探索Ⅵ』1198で廣文堂書店を取り上げ、この版元が大正時代前半には小中村清矩遺著『有聲録』や黒岩周六『実行論』などの多くの「クロース綴函入頗美本」を刊行していたが、譲受出版と見なされるかたちで、石川文栄堂へと版権が移ったことを既述しておいた。そして発行者の大倉廣三郎がその名前と出版物から考え、大倉書店の近傍にあったのではないかとも。
(『有聲録』)
そのような廣文堂にしても、既刊在庫の譲渡に見られる他社への版権の移行だけでなく、その後の関東大震災もあり、出版業界から退場してしまったのではないかと思われた。本探索において、大鐙閣、天佑社、聚芳閣、聚英閣といった大正時代の文芸出版社に繰り返し言及してきたけれど、それらの出版物も譲受出版の対象となっていったことは、版元の終わりを意味していたからだ。
ところがその後、『有聲録』を入手した浜松の典昭堂で、『小さい社会学』という四六判函入の一冊を見つけたのである。函の表には版元名が記されておらず、本体の背に廣文堂が読み取れた。そして奥付の発行者は大倉廣三郎の名前が見出され、野崎泰秀を著者とする同書は大正十五年初版、昭和二年五版とあり、廣文堂が異なる分野へと進出し、昭和に入ってもサバイバルしてきたことを伝えていた。また既刊の「小さい」シリーズが巻末広告に一ページずつ掲載されているので、それらを挙げてみる。
1 | 佐藤直丸 | 『小さい哲学概論』 | 五版 |
2 | 植松安 | 『小さい国文学史』 | 六版 |
3 | 神谷辰三郎 | 『小さい生物学』 | 新刊 |
4 | 蜷川龍夫 | 『小さい倫理学』 | 六版 |
5 | 佐藤直丸 | 『小さい美学』 | 新刊 |
6 | 志方克己 | 『小さい経済学』 | 三版 |
7 | 村島靖雄 | 『小さい西洋史』 | |
8 | 青木誠四郎 | 『小さい教育心理学』 | 四版 |
9 | 後藤弘毅 | 『小さい論理学』 | 六版 |
10 | 安藤正次 | 『小さい国語学』 | 六版 |
11 | 後藤弘毅 | 『小さい心理学』 | 十四版 |
12 | 蜷川龍夫 | 『小さい国民道徳』 | 新刊 |
13 | 中島宗治 | 『小さい高等数学』 | 新刊 |
14 | 雨宮保衛 | 『小さい精神病学』 | 新刊 |
15 | 河路甲午郎 | 『小さい物理学』 | |
16 | 神谷辰三郎 | 『小さい進化論』 | 再版 |
(『小さい国民道徳』)
これらの他にも近刊として、「機械学」「自然科学」「哲学史」「憲法講義」「東洋史」「人類学」が予告され、この「小さい」シリーズの刊行意図も記されているので、それも示してみよう。
本叢書の目ざす所は高等専門学校程度の講義のノート代用に充当することを目的するものであつて、各学科に亘つて斯道専門の新進篤学者を煩はし、簡潔にして要領を得た、をして平明な叙述を以てそれゞゝ其の学の真髄を解説したものである。真理探究に対して燃ゆる思慕を捧ぐる若人、知識の門扉を開いて其の堂奥に進まんとする新人は必ず之を座右に備へて愛読せらるべきである。敢て必読をのぞむ。
これを読むと、1や5の佐藤が山形高校教授、3や16の神谷が台湾高校教授、4や12の蜷川が富山師範校長、7の村島が新潟高校教授、9や11の後藤が七高教授、13の中島も七高教授、15の河路が松山高校教授であることの理由が了承される。この「小さい」シリーズは高等学校のサブテキストとして刊行されていたのである。当然のことながら高等学校ごとの一括採用も含んで、企画出版されたと見なせるだろう。先の拙稿で廣文堂が学習参考書を手がけていたことは既述しているので、それは意外でもないけれど、文芸思想書という「大きい」意味を持つ書物ではなく、高校のサブテキストなどの「小さい」シリーズと向かったことが廣文堂を延命させた要因であろう。
だがこのような出版にも若干の補足説明が必要である。大正八年から十二年にかけて、明治時代設立の一高などの所謂ナンバースクールの他に、先に挙げた山形、新潟、松山などの十七校が増設され、それに公立、私立高校、専門学校として高等工業、農林、商業学校なども加えれば、大正から昭和にかけて、廣文堂の「小さい」シリーズの需要と販売市場は大きく伸長していたことになる。しかしビギナーズ・ラックは得たにしても、各社入り乱れての新たな高等学校市場も争奪戦が繰り広げられたにちがいない。その後も廣文堂はサバイバルしていったのだろうか。
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