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古本夜話1243「感想小品叢書」、里見弴『白酔亭漫記』、大杉栄

 新潮社の「感想小品叢書」に関しては『近代出版史探索』176で、菊池寛『わが文芸陣』と中村武羅夫『文壇随筆』にふれておいたが、その後、里見弴『白酔亭漫記』も入手している。

f:id:OdaMitsuo:20220207180105j:plain:h120(『わが文芸陣』)f:id:OdaMitsuo:20220207180743j:plain(『白酔亭漫記』)

 その巻末リストには「文壇諸家の主張と其生活ぶりを窺はしむ可き随筆集。感想あり批評あり旅行記あり人物論あり。趣味豊かなる絶好読みものとして歓迎せらる」というキャッチコピーが見える。

 あらためて里見の『白酔亭漫記』を読んでみると、ここに収録された「感想小品」類は大正十年十二月から十三年四月にかけて書かれたり、口述筆記されたもので、刊行は十三年六月である。白酔亭とは十年十月に引越した逗子の新居のことで、里見が「白酔亭の由来」で述べているように、漢詩の「白酔那知入黒酤」に基づいている。この白酔亭は大正十二年九月の関東大震災で全壊してしまい、里見一家は東京に戻ることになる。

 この事実からわかるように、『白酔亭漫記』は関東大震災をはさんで書かれた随筆集成といっていいし、それは「感想小品叢書」全体にも当てはまるものである。そのリストを挙げてみる。

1  菊池寛 『わが文芸陣』
2  正宗白鳥 『泉のほとり』
3  久米正雄 『微苦笑芸術』
4  泉鏡花 『七宝の柱』
5  武者小路実篤 『草原』
6  里見弴 『白酔亭漫記』
7  宇野浩二 『文学的散歩』
8  芥川龍之介 『百艸』
9  加藤武雄 『わが小画板』
10  中村武羅夫 『文壇随筆』
11  山本有三 『途上』

 ちなみにそれぞれの出版年は1の『わが文芸陣』が十二年十一月、11の『途上』が十五年三月なので、全点を読んでいないけれど、菊池の『わが文芸陣』はともかく、各自の関東大震災体験が収録されているはずだ。

 里見の場合、関東大震災と関連していないけれど、十一年五月に書かれたと思われる「春めいた日の出来ごと」を紹介してみたい。意外なことに里見は大杉栄も逗子に住んでいたことで知り合っていたのである。里見の言葉を引けば、「住所はすぐ近所であるし、大杉氏が、思想は思想として、日常生活では、へんに片づんだ頑(かたくな)な態度にゐない、むしろ円転滑脱な為人(ひとなり)である」ことを承知していたからだ。

 大杉が「心持よく世間ばなしでもする気で尋ねてくれたことは明かだつた」ので、里見は二階に招き、歓談している間、大杉の七つになる娘の「人見知りをしない」魔子は里見の息子たちとすっかり仲よくなり、大杉が帰るというと駄々をこねるので、里見と息子たちが見送っていくことになった。すると「云ふまでもなく」、役所の書記のような尾行がついてきた。ところが葉山街道までくると、「摂政宮殿下」のお通りいうことで、「宮様の赤い自動車」を見るために人垣ができ、巡査や憲兵も多くいた。子供たちも見たいというので、大杉や里見もそこにとどまるしかなかった。大杉は私服や警部たちにものものしく取り囲まれ、里見は赤い自動車に乗っている男が学習院の上級生だとわかった。この「出来事」のために、その日の晴々とした気持も失われ、さらに里見の身元も警察で調べられたことを聞き、なおさら不愉快になったと書きけ、この随筆を閉じている。

 私にとっても予想外の、この「春めいた日の出来ごと」を読み、これは里見の「最後の大杉」ではないかと思った。内田魯庵が大正十四年に『思ひ出す人々』(春秋社、『新編思い出す人々』岩波文庫)を上梓し、そこに十二年九月記、十三年十月補筆とある「最後の大杉」を収録しているのだ。魯庵もまた「最後の一と月を同じ番地で暮したのは何かの因縁であろう」と始めている。大杉は文学的学術的興味もかなり広く、頻繁にきた時期もあって思想上の話や社会主義の話もしたが、しばらく足が遠のいていた。しかし大杉が大正十二年にフランスから追放され、帰国してまもなく、魯庵を訪ねてきたのである。

新編 思い出す人々 (岩波文庫)

 しかもそれは伊藤野枝と魔子を連れてきていた。それは大杉たちが「昨日同番地へ移転して来た」からだった。大杉も「イイお父さん」で、「危険人物らしくも革命家らしくもなかった」。野枝にしても、「エンマ・ゴルドマンを私淑する危険な女アナーキストとは少しも思えなかった」。「魔子は臆面のない無邪気な子で、来ると早々私の子と一緒に遊び出した」。これは里見のところでも見せた魔子の「人見知りをしない」性格を伝えていよう。

 野枝たちは先に帰ったが、大杉は半日ほどいて、パリの監獄の話などを語り過ごした。それから魔子は毎日遊びにくるようになっていたが、九月一日に関東大震災が起き、流言蜚語が飛び交い、「恐怖時代」が始まり、大杉も「危険人物」だという「界隈の物騒な噂」が魯庵の耳にも入ってきた。大杉は平気で乳母車を押していた。

 九月十六日に魯庵は大杉と野枝が洋装で出かけるのを見た。それが二人を見た最後で、行方不明となり、殺されたという噂も伝わってきた。二人の非業の最期が朝刊の第一面に公表された。魔子がきて言った。「パパもママも殺されちゃったの。今日新聞に出ていましょう」と。魔子たちは野枝の伯父夫婦に伴われ、九州へと旅立った。その時に魔子は「元気よく『さようなら、さよなら!』いって駈けて行った。パパもママも煙のように消えてしまった悲みをも知らぬ顔の無邪気な後ろ姿が涙ぐましかった」と魯庵は「最後の大杉」を結んでいる。


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