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古本夜話1244『代表的名作選集』と里見弴『善心悪心』

 例によって浜松の時代舎で、もう一冊、里見弴の『善心悪心』を見つけ、購入してきた。これは前回の「感想小品叢書」に先駆ける新潮社の『代表的名作選集』の35として、大正九年に刊行されたものである。

f:id:OdaMitsuo:20220212120644j:plain(『善心悪心』、新潮社)f:id:OdaMitsuo:20220207180743j:plain(「感想小品叢書」)

 新潮社は大正時代に「新進作家叢書」と『代表的名作選集』のふたつのシリーズをパラレルに出版している。いずれも菊半截判、前者は全四十五巻、後者は全四十四巻からなり、紅野敏郎『大正期の文芸叢書』では並んでトップにすえられていることからすれば、両者は大正期の文芸書出版において重要なポジションにあったというべきだろう。実際にこれらは『日本近代文学大事典』第六巻でも解題と明細が見出され、『代表的名作選集』は「もっとも普及した明治、大正作家の名作選集で、質、量ともに後の『円本』の先駆的意味を持つもの」とされる。

f:id:OdaMitsuo:20220213161607j:plain:h115(「新進作家叢書」) 大正期の文芸叢書

 全四十四巻のすべては挙げられないけれど、それは大正三年の1の国木田独歩『牛肉と馬鈴薯』から始まり、同十五年の44の宇野浩二『苦の世界』に及んでいる。大正を通じての出版で、「新進作家叢書」とともに、長編は含まれていないが、文芸書の新潮社の名前を獲得する企画だったにちがいない。その全点の冒頭に「編者識」とある「解説」が付されているで、里見の小説にふれるのは『近代出版史探索Ⅳ』765に続いて二度目だが、こちらのケースも引いてみる。

 『善心悪心』は、大正五年六月、雑誌「中央公論」に於て発表せられ、その当時文壇稀に見るの傑作と称せられて、作者の文名を確保せるもの、此の作者の特長たる心理解剖の深刻は、早くこゝに認められた。『毒蕈』は、大正八年十二月及び九月一日の二ケ月に亘りて、雑誌「人間」に、「父親」は同九年六月同じく雑誌「人間」に於て発表せられたものである。共に最近益々精錬せられ来りたる作者の作風を代表するもので、心理解剖の深刻に加へて、世相描写の霊活に、よく作者のもう一つの特長を示してゐる。孰れも、新興文壇より齎らされたる無雙の名作として、一般に認めらるゝものたるは云ふまでもない。

 尾崎紅葉は見えないにしても、森鷗外、有島武郎、国木田独歩、二葉亭四迷などの明治の文学者とともに、里見のような「新興文壇」よりの作家たちも混住し、『代表的名作選集』は編まれ、それが長きにわたる大正時代の新潮社の文芸書シリーズの特色となったと考えられる。『善心悪心』の定価は五十五銭、ページ数は一六〇ページとコンパクトで、時代の要請に見合っていたのだろうし、手元にある『善心悪心』は初版だけれど、『代表的名作選集』は累計で五十万部を超す売れ行きだったとも伝えられている。

 その新潮社に対して、『近代出版史探索Ⅵ』1094などで、春陽堂がやはり大正時代の文芸出版の雄だったことにふれてきた。実際に『善心悪心』初版も大正五年に泉鏡花の推輓により、春陽堂から里見の第一創作集として刊行されていた。それは同じ菊半截判だが、三九〇ページで、タイトル作を含め、十編を収録し、定価も九十銭であったから、後発の『代表的名作選集』版のほうが入手に向いていたといえるだろう。

f:id:OdaMitsuo:20220212114943j:plain:h115 (『善心悪心』、春陽堂)

 しかしこの『善心悪心』に見られるように、大正時代に里見をめぐる出版のせめぎ合いが春陽堂と新潮社の間で起きていた。続いて春陽堂からは『三人の弟子』『不幸な偶然』『欲』『毒蕈』、新潮社からは『不幸な偶然』『幸福な人』『潮風』『多情仏心』などが刊行されていったのである。『潮風』は前々回の「中篇小説叢書」の一冊としてだ。したがって『善心悪心』だけでなく、「無雙の名作」とされる「毒蕈」も春陽堂版が先行していたことになるし、版権問題は複雑に絡んでいる。

f:id:OdaMitsuo:20220213152539j:plain:h120(『毒蕈』)f:id:OdaMitsuo:20220213155136j:plain:h120

 またその掲載誌の『人間』は大正八年に里見、吉井勇、久米正雄、田中純たちによって創刊された文芸誌で、大正文壇の最も典型的にして有力な文芸雑誌であり「新興文壇」と春陽堂や新潮社の関係へとつながっていく。『代表的名作選集』の場合は『人間』同人の34の久保田万太郎『木枯らし』、40の有島生馬『蝙蝠の如く』からもうかがわれよう。企画編集者が誰であったかは判明していないけれど、そうした大家から「新興文壇」に至るまでの融通無碍な作家たちの選択が『代表的名作選集』の特色でもあり、それが大正三年から十五年という長きにわたって続いた理由のように思われる。

 文芸雑誌『人間』は拙稿「結城禮一郎の『旧幕新選組の結城無二三』」(『古本探究Ⅲ』所収)などの玄文社から発行され、後に里見の自宅での人間社へと移るのだが、『近代出版史探索Ⅲ』543などで指摘しておいたように、大正九年頃から植村宗一=直木三十五が編集に加わり、そのために『親鸞全集』などの出版を試みている。しかし人間社は倒産してしまい、そのために植村が債鬼に追われていたのは、広津和郎が『年月のあしおと』で証言しているとおりである。

古本探究〈3〉 年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)

 新潮社『代表的名作選集』と里見弴、春陽堂と文芸雑誌『人間』、植村宗一とぎこちない三題噺になってしまい、『善心悪心』という「名作」にふれられなかったが、『人間』と人間社を通じて、里見と植村が出版をめぐってコラボレーションしていたことはあまり知られていないと思われるので、そのことに言及してみた。


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