新潮社の「現代脚本叢書」は『近代出版史探索Ⅱ』205で、金子洋文の『投げ棄てられた指輪』を取り上げておいた。その際にはこの「叢書」のラインナップを示さなかったこと、及び谷崎潤一郎の『法成寺物語』を入手したこともあり、もう一度ふれてみる。その前にリストを示しておく。
(『法成寺物語』)
1 | 武者小路実篤 | 『未能力者の仲間』 |
2 | 長田秀雄 | 『飢渇』 |
3 | 谷崎潤一郎 | 『法成寺物語』 |
4 | 吉井勇 | 『髑髏舞』 |
5 | 山本有三 | 『坂崎出羽守』 |
6 | 久保田万太郎 | 『雨空』 |
7 | 灰野庄平 | 『秦の始皇』 |
8 | 近藤経一 | 『七年の後』 |
9 | 小山内薫 | 『第一の世界』 |
10 | 菊池寛 | 『茅の屋根』 |
11 | 鈴木泉三郎 | 『次郎吉懺悔』 |
12 | 長田秀雄 | 『牡丹燈籠』 |
13 | 藤田真澄 | 『最初の奇蹟』 |
14 | 金子洋文 | 『投げ棄てられた指輪』 |
15 | 山本有三 | 『生命の冠』 |
16 | 正宗白鳥 | 『一日の平和』 |
17 | 長与義郎 | 『陶淵明』 |
(『雨空』)(『秦の始皇』)
この十七冊が刊行されたのは大正十年から十五年にかけてであり、本探索で続けてふれてきた「海外文学新選」「中篇小説叢書」「感想小品叢書」と併走して出版されてきたことになる。それらは四六判並製の同じフォーマットで、また関東大震災をはさんでの刊行であったことも共通していよう。ただ「現代脚本叢書」の場合、リストに添えられた「各作家の最も自身ある作品五六篇を輯めたもので、舞台に上演された作が多い。現代戯曲界の各方面を網羅せる代表的傑作選集である」というコピーには留意する必要があろう。
ちなみに紅野敏郎『大正期の文芸叢書』から戯曲、脚本関係を拾ってみると、春陽堂『戯曲選集』(大正五年)、同「芸楽道場叢書」(同十一年)、同「ラヂオドラマ叢書」(同十四年)、同『現代戯曲選集』(同十五年)、現代社「近代脚本叢書」(同二年)、平和出版社「新脚本叢書」(同六年)、叢文閣「現代劇叢書」(同十年)、稲門堂書店「演劇叢書」、同「戯曲叢書」(同十一年)、金星堂「先駆芸術叢書」(同十三年)を挙げることができる。
(「芸楽道場叢書」)(「ラヂオドラマ叢書」)(「近代脚本叢書」)(「新脚本叢書」)(「現代劇叢書」)(「先駆芸術叢書」)
このうちの叢文閣「現代劇叢書」の秋田雨雀『国境の夜』は『近代出版史探索Ⅱ』204で言及している。これらに「現代脚本叢書」を加えると、十一種の戯曲、脚本叢書が出されたことになり、さらに多くの単行本や雑誌を考えれば、大正が戯曲や演劇の時代でもあったことを鮮明に伝えている。
それに『近代出版史探索Ⅱ』205で、大正における劇団や試演会の二十程の設立を挙げ、劇団や劇場の時代を跡づけている。しかし演劇熱は明治三十年代から高まっていたようで、佐藤義亮は『出版おもひ出話』(『新潮社四十年』所収)で、同三十七年に創刊したばかりの『新潮』で脚本募集の企画を思いついたと述べている。そこで知人の「演劇に、宗教的情熱といつたやうなものをもつてゐる」花房柳外に相談を持ちかけた。すると柳外はこの話を市川高麗蔵(松本幸四郎)のところへ持ちこみ、上演用とし懸賞金も出してもらう手はずを整えた。懸賞金一等三十円、一幕物、市川高麗蔵の上演し得るものという条件で、『新潮』に募集広告を出したが、締切までに集まったのは数篇で、めぼしいものはひとつもなかった。「折角の名計画、水泡に終」わり、雑誌の知名度と劇に功名心を持っている人がまだ少なかったことが原因だと思うと書いている。編集者はいても、まだ読者や劇作家志望者はまだ育だっていなかったのだろう。しかし佐藤は忘れることなく柳外のことを追悼している。
この柳外氏は、劇のために実によく働かれた人で、脚本も書けば評論も書いたし、理想を実現するのだといつて、神田の錦輝館で自分で芝居をやつたこともあつた。しかも明治の末期に、何の酬いられるところなく、空しく死んでいつた。『日本文学大辞典』に幾行かを割いて、せめてその名前だけでも伝へたいと思つたが、事蹟全く不明で、どうすることも出来なかつた。
演劇史だけでなく、文学史や出版史にも、柳外のような人たちが多くいたにちがいない。新潮社が関東大震災後に『演劇新潮』を創刊したのは「現代脚本叢書」を刊行していたこと、及び震災によって演劇雑誌が全滅してしまったので、菊池寛から損は覚悟で一年だけやってほしいと頼まれたことが挙げられているけれど、柳外のことも記憶にあったからではないだろうか。
それらのことはさておき、拙稿「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』所収)の『近代劇全集』にしても、『近代出版史探索Ⅲ』549の新潮社、近代社『近代劇大系』、同550の近代社『世界戯曲全集』、同551の国民図書『現代戯曲全集』、同552の春陽堂『日本戯曲全集』といった円本時代の戯曲全集にしても、いきなり出現したのではない。このように新潮社を始めとする大正時代の戯曲や脚本の叢書の出版や『演劇新潮』の創刊などによって、ベースが築かれていたことになる。長きにわたって近代出版史をたどっていると、全集に至る過程には必ずプレリュード的段階があり、それが成熟するようなかたちで、全集という結実を見ることが了解されるのである。
(『近代劇全集』) (『近代劇大系』)(『世界戯曲全集』)(『現代戯曲全集』)(『日本戯曲全集』)
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