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古本夜話1251 新潮社『トルストイ研究』

 本探索1247で、新潮社の雑誌『トルストイ研究』を挙げたが、幸いなことにこの第一号は近代文学館編集によって講談社が昭和五十七年に刊行した「複刻 日本の雑誌」の一冊に含まれ、近年それを入手しているので、ここで取り上げておこう。
 f:id:OdaMitsuo:20220214141613j:plain:h120(『トルストイ研究』)

 その前に『日本近代文学大事典』第四巻には二ページ近くに及ぶ「日本近代文学とトルストイ」なる事項も見えているし、その最初の部分だけでも引いておくべきだろう。

 明治以来、わが国に伝わった西洋作家の数はおびただしいが、トルストイ(1828~1910)ほど深甚な影響を与えた作家はまれであろう。のみならずその影響は文学、思想、宗教、社会運動といった広範囲におよぶものである。それゆえまた索引反撥の振幅もすこぶる大きく文壇に激しい論議の渦を捲き起こしたこともしばしばであった。だがわが国におけるトルストイは、なによりもまず、その求道精神の熾烈さによって人生の意義を根本から問いかけさせた点に特色がある。

 こうした日本近代文学におけるトルストイの受容と影響下に『トルストイ研究』も創刊されている。『新潮社四十年』は「大正五年の頃に、我が国に於ける慥か三度目のトルストイ熱が勃興した。思想界に混乱が生じ、或る行きづまりが生じる時、人々はあの偉大なる露西亜の教師を想起する」ことになるのである、「トルストイ叢書」の刊行と『トルストイ研究』の発刊を企て、後者は三千部を売り尽したと述べている。これを補足すれば、主として一度目は明治二十年代の徳富蘇峰、蘆花と『国民之友』、二度目は三十年代後半から四十年代にかけての社会主義者や白樺派の人々に担われ、三度目は本探索1247の芸術座による『復活』の上演、及び松井須磨子の歌った「カチューシャの唄」が流行歌として一世を風靡したことによっているのだろう。

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 ただ手元にある『トルストイ研究』第一号を見てみると、表紙に晩年のトルストイの写真を掲載した菊判七二ページの薄い雑誌で、定価の記載は表、裏表紙にもなく、奥付のところに十二銭とあるだけなので、三千部完売との記述は取次経由の流通販売ではなく、読者の直接購読を主としていたと考えられる。発行所は新潮社だが、編輯所がトスルトイ会とされ、その他に事業として、「トルストイ叢書」刊行と「トルストイ講演会」開会が謳われているのもその事実を告げているのではないだろうか。

 その理由として挙げられるは、メイン記事についてで、阿部次郎「トルストイに関する思出」、昇曙夢「露西亜文学に於けるトルストイの地位」、相馬御風「おぼえがき」、内田魯庵「トルストイの原稿」などのことである。いずれも三ページから五ページのもの、また創刊号の目玉とでもいうべき特集「余は如何にしてトルストイを知り又はこれに傾倒するに至りたる乎」にしても、森田草平など十三人の回答を得ているのだが、一〇ページほどで、巻末の「編輯者より」で「生彩を添へた」とあるけれど、創刊号ならではのインパクトは感じられない。後年の小林秀雄と正宗白鳥によるトルストイの家出と死をめぐっての「思想と実生活論争」に見られるリアルで生々しい言説や思想のアクチュアリティは求めることができない。

 かろうじて救われる気がするのは、やはり「編輯者より」の欄に夏目漱石の回答が「公開」されていたことで、これは全集にも未収録かもしれないし、ここで引いておう。

 拝啓、「トスルトイ研究」といふ雑誌御発刊のよし結構に存候文壇の為め慶事と存候小生トルストイに就き一寸云ひ度き事有之候も唯今は其の時機に非ずと存候故今回は諸君の御高見を拝見する丈に止め置き申す可く候いづれ卑見公開の節は御一読を煩はし度く存候先は右御返事まで               夏目金之助

 葉書による回答と思われるが、漱石ならではの生地が察せれてほほえましい思いを生じさせる。

 それらの本文に対して、巻末の本文と異なる黄色い宣伝用紙による広告は「トルストイ叢書」第一編として『我が宗教』(生田長江訳)、単行本として『ナポレオン露国遠征論』(相馬御風訳)、『我が懺悔』(同前)、「縮刷全訳叢書」として刊行中の『全訳戦争と平和』(全六巻、昇曙夢、米川正夫訳)が各一ページを使って掲載されている。また『新潮社四十年』の「新潮社刊行図書年表」を確認すると、「トルストイ叢書」全十二巻は大正七年の『セヴアストオポリ』(島田青峰訳)まで続き、それで完結したようだ。

 f:id:OdaMitsuo:20220218112813j:plain:h120(『我が宗教』)

 『トルストイ研究』のほうは全号を見ていないので断定できないけれど、大正八年一月号の二十九号で終刊となっていることからすれば、「トルストイ叢書」のPR誌のようなかたちで刊行されていたとも考えられる。とりわけ「同叢書」完結とパラレルに、『トルストイ研究』はドストエフスキー、ロシア思想、ツルゲーネフの特集を組んでいるようなので、それらの事実は「トルストイ叢書」完結とともに終刊すべきだったものを、何らかの事情でしばらく延命させたことを物語っているのではないだろうか。

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