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古本夜話1254 徳永直『太陽のない街』

 徳永直『太陽のない街』の戦旗社版は架蔵している。もちろんそれは昭和四年の初版ではなく、近代文学館からの複刻である。戦旗社の「日本プロレタリア作家叢書」にふさわしい装幀は、柳瀬正夢によるハンマーを振ろうとする労働者の姿を描いたもので、目黒生のモノクロの版画的挿画と相俟って、昭和初期のプロレタリア文学のイメージを表象させているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20220224103112j:plain:h125(複刻版)f:id:OdaMitsuo:20220225103434j:plain:h125 f:id:OdaMitsuo:20220225222600j:plain:h125(「日本プロレタリア作家叢書」)

 それに照応するかのごとく、最初の「街」の章の「ビラ」と題するそのイントロダクションも「電車が停つた。自動車が停つた。――自動車、トラックも、サイドカアも、まつしぐらに飛んで来て、次から、次へと繋がつて停つた」と始まり、争議団の「ビラ」そのものも、一枚がそのままのかたちで転載提出され、争議の臨場感を昂めている。そこに示された一九二六年=大正十五年の大同印刷争議=共同印刷争議にしても、もはや一世紀前のことなので、『日本近現代史辞典』(東洋経済新報社)の立項を引き、そのアウトラインを示しておくべきだと思われる。

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 共同印刷争議 きょうどういんさつそうぎ(1926.1.19~3.18、大正15)日本労働組合評議会(評議会)が指導した代表的争議。東京小石川の共同印刷会社の労働者2142名(うち女345名)の大半は、評議会系の関東出版労働組合に属し、精鋭を誇っていた。1926年(大正15年)1月8日会社は事業の縮小のため、一部の操業短縮を発表し、組合側はこれに反対したがいれられないので、19日まず旧博文館工場が罷業、20日会社は休業を宣したので、全職工の罷業となり、ここに58日間にわたる同盟罷業となった。争議団は、アジト・細胞などの新闘争戦術を用いたが、1月末より会社の切り崩し奏功し、2月4日就業者380名に達し、これを阻止せんとする組合との衝突頻発、争議団は検束のべ1500名、拘留のべ500名という犠牲者を出した。結局、会社は13万円を交付し、争議団全員1180名解雇の条件で解決した。

 この参考資料として、徳永の『太陽のない街』が挙げられているように、それが共同印刷争議そのものを描いた作品に他ならず、大正時代末の未曽有の大争議のノンフィクション的著作ともいえよう。前回の「能率委員会」がその前哨戦的短編ではないかと既述しておいたが、『太陽のない街』は共同印刷のある小石川の土地の上下関係、その中心に位置する会社と経営陣と、「谷底の街」に住む職工たちの構図がまず提出され、それを背景として争議が描かれていく。

 太陽のない街の住民、印刷会社の労働環境と職制、争議団に属する男女の生活や行動を通じて、争議の指導者ポジションにある萩村と宮地、女工の高枝と加代姉妹の恋愛も絡み合い、争議は進行していく。東京中の新聞による大報道が続く中で、日本労働組合評議会の幹部たちと全国から応援にかけつける労働者たちも登場してくる。それらに対して、大同印刷の大川社長側に陣どる「紳士達」もいて、彼らは他の印刷、製紙、機械会社に加えて、大和講談社の國尾の存在があった。彼は「バスケツトボールのやうな顔をした」「世界的出版王国の君主」で、「全国の出版物総数二十パーセントを占むる」のであった。それでも「世界的流行のストライキ」には悩まされ、撲滅すべきだと考えていたが、「施す術がなかつた」。これは明らかに講談社の野間清治をモデルにしていよう。

 それが具体的に何であったかは『日本出版百年史年表』の大正十四年十一月からの印刷会社の日清印刷を始めとする労働争議の頻発で、秀英会、凸版印刷、博文館印刷所、精美堂などの五社は東京雑誌協会に、争議による雑誌発行期日の遅延への援助を要請している。争議は十二月となっても続き、実業之日本社の増田儀一、改造社の山本實彦などが調停に入り、その一方で博文館印刷所を精美堂が合併し、共同印刷が設立され、後者の大橋光吉が社長に就任している。この大橋が大同印刷の大川のモデルに他ならない。

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 しかもそれに終わらず、大正十五年一月には講談社にダイレクトに影響が及び、『キング』は別にして、他の雑誌は印刷が遅延してしまったようで、次の記述が見られる。

 《講談倶楽部》《面白倶楽部》《婦人倶楽部》ほか5誌が共同印刷会社の争議で頓挫し、報知新聞社・中外印刷・常盤印刷など100ヵ所以上の印刷所に分散して依頼、辛うじて発行を維持。

 さらに二月を見てみると、凸版印刷が東京紙器を合併、大日本印刷業組合連合会が刑務所と官営工場における印刷事業の撤廃請願を提出、秀英舎によるドイツアルバート社自動給紙機付パラチア印刷機など一式の輸入といった記述が続いている。これらも確実に共同印刷の未曽有の大争議に起因していることはいうまでもないだろう。

 争議団のほうも大きな犠牲を払ったのであるが、共同印刷を始めとする印刷業界、及び出版業界にしても、ダメージは小さいものではなかったと見なすべきであろう。また『太陽のない街』を読みながら考えたことだが、同じくストライキをテーマとするゾラの『ジェルミナール』は本探索1217で既述したように、昭和二年に堺利彦訳で無産社から刊行されている。おそらく徳永にしても、争議の参加者たちも読んでいたと推測されるし、争議の描写や様相の通底性を想起させるのである。


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