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古本夜話1255 戦旗社「日本プロレタリア作家叢書」と小林多喜二『蟹工船』

 前回の徳永直『太陽のない街』が戦旗社の「日本プロレタリア作家叢書」の一冊であることは既述しておいたが、それらの明細は示さなかったので、ここで挙げてみる。
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1  藤森成吉 『光と闇』
2  小林多喜二 『蟹工船』/改訂版『蟹工船』
3  山田清三郎 『五月祭前後』
4  徳永直 『太陽のない街』
5  立野信之 『軍隊病』
6  江馬修 『阿片戦争』
7  橋本英吉 『市街戦』
8  窪川いね子 『キャラメル工場から』
9  中野重治 『鉄の話』
9  小林多喜二 『一九二八年三月十五日』
10  小林多喜二 『工場細胞』
11  片岡鉄兵 『綾里村快挙録』


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 2と9に関しては少しばかり説明が必要であろう。小林の初版『蟹工船』は『一九二八年三月十五日』を併録していたが、発売禁止処分を受け、後者を全面削除して改訂版が出され、さらに『一九二八年三月十五日』だけが単独でイレギュラーに刊行されたことで、同じく9の中野の『鉄の話』とナンバーが重複してしまったと推測される。これらの全十三冊の出版は昭和四年九月から六年九月にかけての二年間である。

f:id:OdaMitsuo:20220225222056j:plain:h127 (初版) f:id:OdaMitsuo:20220225222600j:plain:h125 (改訂版) f:id:OdaMitsuo:20220225103934j:plain:h127 (改訂普及版)

 この初版本に基づき、『近代出版史探索Ⅵ』1169の勝本清一郎が保存していた小林の『一九二八年三月十五日』原稿による「本文復原」を経て、昭和二十六年に岩波文庫として、『蟹工船・一九二八・三・一五(ママ)』が刊行されている。そこに「解説」を寄せている蔵原惟人によれば、『蟹工船』は半年間に三つの単行本が出て、それらの発行部数は三万五千部に及んでいるようなので、「日本プロレタリア作家叢書」の他にも刊行されたのである。

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)

 『太陽のない街』の巻末広告から、日本プロレタリア作家同盟は編輯『年間日本プロレタリア詩集一九二九年版』、紡績労働調査会編『製糸工場で働く姉妹へ! 兄弟へ!』が出されているのは承知しているけれど、それらと「同叢書」の他にも出版は派生していたと考えられる。雑誌のほうも『戦旗』だけでなく、日本唯一の労働少年雑誌『少年戦旗』も創刊されていたからだ。

f:id:OdaMitsuo:20220226120406j:plain:h125(『年間日本プロレタリア詩集一九二九年版』)f:id:OdaMitsuo:20220327161727j:plain:h122 f:id:OdaMitsuo:20220226151848j:plain:h122

 日本プロレタリア作家同盟は昭和四年に全日本無産者芸術連盟文学部が独立して結成されたもので、共産主義的芸術運動の中心組織として、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、ナップとともに戦旗社発行の『戦旗』を共同機関誌としていた。また「日本プロレタリア作家叢書」に見られる作家たちの活発な創作活動によって、既存の出版社や文学者たちをしのぐ勢いがあったとされる。それは前述の『蟹工船』の売れ行きが物語っていることになろう。

 実は『太陽のない街』と同様に、『蟹工船』のほうも近代文学館から複刻され、その巻末には前者に見られない一九二九年一月付の日本プロレタリア作家同盟による「同志諸君!」と始まるプロパガンダ的一文が掲載されている。

 我々が出版に関する希望を抱いたのはすでに早い頃であつた。我々は、日本に於けるプロレタリア文学の成果をば、一定の系統に従つて編輯出版し、ひろくこれをわが労働者農民の間に配布することを欲した。だが当時我々の力はまだ未熟であつた。この希望は希望として止まり、なほ実行に移されるまでには立ち至らなかつた。
 一方各種出版業者によつて無数の出版事業が展開されて来た。だがその大部分は旧文学の整理であり、新興プロレタリア文学等の名を冠するものもその編纂に何等の定見なく、両者とも終に出版資本家の営利事業に過ぎないことを暴露した。
 しかるにわが労働者階級の成長――三・一五および四・一六のもたらした未曽有の苦痛のなかに起ち上つて来たわが労働者農民の階級的成長は、我々に向つて、日本プロレタリア文学の階級的出版を促すこと日ましに急切となつた。我々は決意した。我々はわが陣営のすべての文学作品を取り、これを厳密に規準に照して選定編輯し、これを継続的に出版刊行することゝした。定本日本プロレタリア作家叢書がすなわちそれである。

 まだ続くのだが、これだけ引けば、戦旗社と日本プロレタリア作家同盟編輯「日本プロレタリア作家叢書」のコンセプトは伝わるだろう。この一文を稿したのが誰なのかは判明していないけれど、昭和を迎えての「日本に於けるプロレタリア文学」の位相が開示されている。それは同時代の改造社の『現代日本文学全集』の円本による「文化の大衆化」、岩波文庫が宣言した「知識と美とを特権階級の独占より奪い返すこと」に対してのオルタナティブの試みであったと考えられる。

現代日本文学全集〈第1-63篇〉 (1927年)

 しかし「日本プロレタリア作家叢書」が二年しか続かなかったことを考えれば、「三・一五」や「四・一六」ではないけれど、「野蛮な検閲と暴慢な資本とに対する戦ひ」は困難で、「本叢書の刊行に対して加えられるであらうすべての圧迫」に抗し切れなかったことを自ずと示していよう。

 なお念のために補足しておけば、「三・一五」は昭和三年、「四・一六」は同四年に起きた日本共産党員を中心とする全国的大検挙、弾圧事件をさしている。


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