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古本夜話1256 『戦旗』創刊号とメーデー

 続けて戦旗社の「日本プロレタリア作家叢書」の徳永直『太陽のない街』、小林多喜二『蟹工船』を取り上げてきたが、両者が連載された『戦旗』創刊号が手元にある。それは本連載1251の新潮社『トルストイ研究』と同じく、近代文学館編集の講談社「復刻 日本の雑誌」の一冊としてである。

  (改訂普及版) (『トルストイ研究』)

 『戦旗』に関しては『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に三ページに及ぶ解題が収録されているので、詳細はそちらに譲るしかないが、それを簡略に示せば、昭和三年から六年にかけて全四十一冊が刊行されたプロレタリア文学運動機関誌に他ならない。昭和三年五月の『戦旗』創刊号はA5判本文一五五ページ、定価三十五銭、赤字の表紙には黒抜きのタイトルが打たれ、その下には海外のメーデーと思しき写真が掲載され、「密集せよ!汝プロレタリアの諸戦列!」という言葉が躍っている。この表紙はプロフィルも定かでない廣瀬宏によるものだ。

 さらに表紙には「全日本無産者芸術連盟機関誌」と銘打たれ、この「5月」創刊号が「メーデー・プロレタリア芸術祭特輯号」だと謳われている。そして扉には鈴木賢二によるメーデーの労働者が描かれ、広告ページも同様であろう。鈴木は廣瀬と異なり、『近代日本社会運動史人物大事典』に見出され、東京美術学校出身の画家、彫刻家で、プロレタリア美術運動に参加し、『戦旗』などに挿絵、カット、漫画を描き、プロレタリア美術家同盟書記長も務めたとされる。

近代日本社会運動史人物大事典

 その鈴木の挿画のかたわらには次のようなアジテーション的なメーデーへの誘いの文言が連ねられ、その時代の社会のこだまとも目すべきであろうし、そのまま引いてみよう。

 靡け高く俺らの旗!
 凡ての工場の煙は消えろ
 広場へ!広場へ!
 氾濫の俺らの力が波うつ
 ながい搾取と鞭の下で
 誰が屈辱の涙をなめなかつた!
 誰がお前とお前の子のために起たなかつた!
 おゝ苦闘の日の長い長いトンネルと思へ
 ブルジヨワの指す太陽を見ることなく
 俺らの鞭には団結の斧で
 示威で地上を揺がすのだ
 街頭へ!街頭へ!
 おゝ氾濫の力でメーデーに行け!

 ここでメーデー=May Dayとその歴史についても注釈を加えておくべきだろう。これは労働祭、五月祭ともよばれ、五月一日に行なわれる労働者の祭典で、世界中の労働者が仕事を休み、集会と行進によって、その団結と連帯を示す国際的行事をさす。一八八六年五月一日にアメリカの労働団体が八時間労働を要求し、ゼネストとデモを敢行したことによって始まり、八九年の第2インターナショナルのパリ大会で同日が国際労働運動のデモストレーションの日と定められ、九〇年から毎年世界各地で開催されるに至っている。そういえば、塚本邦雄の歌集『装飾楽句』(作品社、昭和三十一年)の冒頭の一首が「五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる」であったことを思い出す。メーデーの歴史はすでに一世紀以上を閲していることになる。

 『日本近現代史辞典』によれば、日本での始まりは一九〇五年=明治三十八年の平民社のメーデー茶話会で、大衆的なメーデーは大正九年五月二日の上野公園においてで、在京十八労働団体による千人余が集ったとされ、昭和十年までに通算十六回実施され、昭和二年第八回には全国で四万二千人が参加したとされる。つまり『戦旗』の創刊は表紙にあるように「5月1928」=昭和三年五月だから、日本におけるメーデーの最盛期に創刊されたことになる。
 

そして本探索で、昭和初期の出版業界が円本、文庫の時代、またエロ・グロ・ナンセンスの時代であったことを繰り返しトレースしてきたけれど、それらだけでなく、プロレタリア雑誌とプロレタリア文学の時代だったことも付け加えなければならない。それを表象するかのように、『戦旗』創刊号の先の扉に続く巻頭には全日本無産者芸術連盟(ナップ)の名において、「日本プロレタリア芸術連盟・前衛芸術家同盟合同に関する声明」が昭和三年三月二十五日付で出され、「今月以後、永く孤立分散して戦はれたわがプロレタリア芸術運動は、その一切の精鋭を結束して、唯一この旗の下に戦はれるであらう」と宣言している。

 巻頭論文の中野重治「文芸戦線は何処に門を開くか?」は三・一五事件後における共産党系のナップの『戦旗』と、社会民主主義系の労働芸術家連盟の『文芸戦線』の対立を問い、当時のプロレタリア文学運動の位相を浮かび上がらせている。しかしそうであっても、『戦旗』は文芸誌であり、その半分以上は小説と詩の「創作」によって占められ、小説のほうは翻訳も含めて七作が寄せられている。その中には「日本プロレタリア作家叢書」の藤森成吉、江馬修、山田清三郎、立野信之なども見え、『戦旗』と「同叢書」が併走するように刊行されていたことを物語っていよう。

 それらだけでなく、表紙裏と裏表紙には南宋書院のそれぞれ一ページ出版広告が掲載されている。そこには大西俊夫『農民闘争の戦術・その躍進』などの他に「世界社会主義文学叢書」として、ミューレン童話集『真理の城』(林房雄訳)、シンクレア『地獄』(前田河広一郎訳)、労農ロシヤ短篇集『コムミューン戦士のパイプ』(蔵原惟人訳)が挙がっている。いずれも未見だが、それはかつて拙稿「ポオ『タル博士とフエザア教授の治療法』、南宋書院、涌島義博」(『古本屋散策』所収)でふれた南宋書院と異なり、この版元が左翼出版社へと転換したことを伝えている。それとともに、『近代出版史探索』62、63の『游牧記』や『孟夏飛霜』の平井功が南宋書院により、翻訳書を上梓していたが、その後左傾し、獄中死したことを彷彿とさせるし、南宋書院の左翼出版物も彼とつながっていたのかもしれない。

(『コムミューン戦士のパイプ』)(『游牧記』)

 梶井基次郎にしても、晩年はマルクスの『資本論』を読みふけっていたことはよく知られている事実だが、大正から昭和初期にかけてのプロレタリア文学運動は想像以上に広範な影響を及ぼしていたはずで、『近代出版史探索Ⅴ』845の石坂洋次郎の妻の愛人とは山田清三郎に他ならなかったことにも留意すべきであろう。また本探索1249の池田みち子が戦前は『戦旗』に見えている日本赤色救援会に属していたことを既述しておいたが、彼女もプロレタリア文学を出自としていることになろう。


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