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古本夜話1266 牧野信一『鬼涙村』

 前回に下村千秋に言及したこともあり、ここで牧野信一にもふれておきたい。牧野は下村や浅原六朗と異なり、『現代暴露文学選集』には名前を連ねていないけれど、彼らは大正八年創刊の同人誌『十三人』の中心メンバーだった。しかも下村や牧野ほどではないけれど、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」の解題において、意外なことに半ページが割かれ、大正時代の早稲田系同人誌の中でも評価が高いことを教えられた。下村や牧野も『十三人』発表の作品を通じ、志賀直哉や島崎藤村に認められ、新進作家の道を歩んでいったとされる。それに『近代出版史探索Ⅴ』821の新潮社『現代仏蘭西二十八人集』の訳者谷口武にしても、『十三人』の同人に加わっていたのである。

 (『現代仏蘭西二十八人集』)

 またそれらに加えて、最近続けて八木書店の地下で、沖積舎の復刻版の牧野信一『鬼涙村』『酒盗人』を入手し、かつて人文書院版『牧野信一全集』全三巻をそれなりに愛読していたことを想起してしまった。『鬼涙村』『酒盗人』はいずれも初めて手にするもので、牧野の自死と時期を同じくする昭和十一年二月と三月に自選作品集として、『近代出版史探索Ⅳ』762の芝書店から刊行されている。この二冊の出版は牧野の没後の昭和十二年の第一書房版『牧野信一全集』全三巻に先駆ける作品集でもあった。

  (第一書房版)

 ここでは両書にふれられないので、牧野の代表作とされる『鬼涙村』のほうを取り上げたい。その前に『鬼涙村』の函に関して述べておけば、黒一色でタイトルと著者は白抜きで示され、そこに縦に白いのしがかかっているような装幀で、不吉というしかない。同書は「月あかり」から始まる十六編が収録されているが、そのうちの「城ヶ島の春」などの四編は随筆であり、『酒盗人』と同じ純然たる短編集ではない。それに昭和十年の「文学的自序伝」(『新潮』)まで含んでいることを考えれば、短編だけの『酒盗人』と異なる意味での牧野の晩年を集成した自選作品集といっていいのかもしれない。あらためて『鬼涙村』を読み、それを実感してしまう。

 同書には世評に高いギリシア的物語「ゼーロン」から幻想小説「鬼涙村」まで十二の短編の集積だが、ここではタイトルとなった後者を論じてみる。この「鬼涙」というトポスは小田原駅から見える山峡の沼の名前として、すでに「ゼーロン」でも出現していたし、「鬼涙村」もその一帯を舞台としていると見なせよう。「鬼涙村」は「鵙の声が鋭くけたたましい。萬豊の栗林からだが、まるで直ぐの空でもあるかのやうにちかぢかと澄んで耳を突く。けふは晴れるかとつぶやきながら、私は窓をあけてみた」と始まっている。語り手の「私」は御面師の水流(つる)と鬼涙村の酒倉の二階に同居し、萬豊の芋畑で開かれることになっている音頭小唱大会のあめの鬼、天狗、ひよつとこ、狐、将軍などの御面作りに励んでいた。それは大会出場が「素面」ではなく、「仮面をかむつて、――といふ智恵がつくと、われもわれもと勇み立つた」のであり、村の名誉職、分限者、教職員たちも乗気になり、出場を決意したのである。なぜならば、鬼涙村の「永年の弊風」として、反感を買った者は「擔がれる」というリンチに処せられたので、御面をかぶることでそれを逃れられると考えたからである。

 ところが村の雲行からすると、「私」がその対象と目され、すでに花見の夜に萬豊が御面をかぶった連中に「擔がれる」光景を目の当たりにし、「支那かアフリカの野蛮人のやうな」「残酷なる処刑」を見ていた。それを目撃し、立ち去らなかったことも「リンチの候補者」に挙げられる理由となっていたのだ。その他にも狙われている「法螺忠」「スッポン」「親切ごかし」「障子の穴の猿」といった人々に「私」と御面師は御面をとどけながら、彼らの「憎むべき人物」としての「さまざまな諸行の不誠実さ」をうかがうことができるのであった。外来者の目に映る鬼涙村が内包する無気味さが滲み出てくるようで、「ゼーロン」のギリシア的社会からいきなり日本の土俗的な共同体へと連れ戻されたイメージを突きつける。それは昭和十年代に入っての日本の社会のイメージの変容、もしくは牧野の自死とも連鎖しているのだろうか。

 私は『牧野信一全集』を読んでいた頃、同時に『吉行淳之介全集』(全八巻、講談社、昭和四十六年)を愛読していて、その吉行が『牧野信一全集』の「月報Ⅰ」に「牧野信一ファン」と題する一文を寄せていたことを思い出す。彼も芝書院版『鬼涙村』を読んでいたにちがいない。その牧野の「自虐と自恃の心象風景」に対する吉行のオマージュのコアの部分だけを示す。

牧野信一全集〈第1巻〉創作 (1962年) (人文書院)

 地上はカーキ色の軍服と国民服の氾濫で、空は日夜B29で覆われている日常生活においては、老馬「ゼーロン」にまたがって「鬼涙村」へ出発することは、けっしてたわいのない夢でも、また逃避でもなくて、むしろ積極的な行動であった。ここに、牧野信一が戦争中私たちの年代の一部を熱烈に惹きつけた理由がみられるとおもう。

 しかもというべきか、戦後を迎えて吉行は大学を中退し、新太陽社に勤め、『モダン日本』などの編集者となるのだが、その社長は牧野信一の弟で、後に『牧野信一全集』を川上徹太郎、山本健吉とともに編むことになる牧野英二だったのである。


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