出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1272 青野季吉とトロツキイ『自己暴露』

 青野季吉『文学五十年』には出てこないけれど、彼の訳として、トロツキイ『自己暴露』がある。これは「わが生活(Ⅰ)」というサブタイトルを付し、昭和五年にアルスから刊行されている。おそらく続刊と同工の函はいかにも当時のプロレタリア文学出版物を彷彿とさせるもので、トロツキイの顔が大きく描かれ、その裏には「革命 成長の生理学 その溌剌たる芸術的表現がこれだ!」というキャッチコピーが躍っている。本体の造本にしてもトロツキイのクロニクルを浮かび上がらせるチャートを擬し、ひとかたならぬ装幀の思い入れを感じさせる。装幀者の名前は見当らないが、恩地孝四郎のようである。

 

 この『自己暴露』の続刊『革命裸像』は入手していないが、戦後の『わが生涯』(澁澤龍彦他訳、現代思潮社、森田成也訳、岩波文庫)の最初の邦訳であろう。トロツキイがその「序言」で述べている「わが生活」を簡略にたどってみる。

   トロツキー わが生涯 上 (岩波文庫)

 彼は一八七九年にロシアの北方の村落に生まれ、オデッサの学校に入学後、革命運動に参加し、逮捕され、牢獄、シベリア、外国亡命を体験する。一九〇二年にシベリア流刑脱走からほぼ十二年間にわたってヨーロッパとアメリカで逮捕、拘留、追放を繰り返す亡命生活を送り、一七年の三月革命に際し帰国する。そしてボルシェビキに加盟し、ペトログラード・ソヴィエト議長に就任、十月革命でレーニンとともに重要な役割を果たしたソヴィエト政府の一員あった。それから外務人民委員としてプレスト講和条約の衝に当たり、また赤軍の組織化と復興のために働き、中央委員ともなった。しかしそのトロツキズムの強力な主張はスターリンたちから攻撃を受け、二七年に中央委員、共産党を除名され、翌年には流刑となった。二九年にはトルコへと追放され、そのコンスタンティノープルで、「革命家の第一の義務」として、及び「一個の亡命者として」、この「わが生活」と「序言」をしたためているのである。

 またトロツキイは「序言」において、「我々の時期は、再び回想録に富み、おそらく嘗て見ないほど、それが豊富である。と云ふのは語る可きことがどつさりあるからだ。時代の変化が劇的であればあるほど、当代にたいする興味は強度である」ときわめて客観的に書き記している。それは「我々の時期」のコミュニズムと革命への熱狂、プロレタリア文学の隆盛、あるいはこれも世界的な出版産業の成長のありかを穿っているようかのようだ。

 私も同時代の革命家である『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)の訳者だし、そこにはトロツキイも登場しているので、比較参照してみたい誘惑に駆られるが、それは本稿の目的ではないし、慎みたい。ここでの問題は翻訳者のことにしぼりたい。それは大正から昭和にかけての円本も含めた左翼文献の翻訳の実相へともリンクしていくテーマであるからだ。

エマ・ゴールドマン自伝〈上〉

 青野の『文学五十年』における昭和五年前後の記述からして、もし彼が実際に翻訳を手がけているのであれば、この五二二ページ、千枚近くに及ぶ英語からの重訳に言及があってしかるべきだろう。だがそれは見当らない。それゆえに「訳者小序」は青野の名前が記されているが、実際の翻訳はそこに挙がっている「田口運蔵、長野兼一郎の両名及びその他の諸君の助力」によるもので、企画編集はアルス編輯部の村山吉郎が携わったと考えられる。このうちの田口は『近代日本社会運動史人物大事典』に立項が見出せる。

近代日本社会運動史人物大事典

 田口は明治二十五年新潟県生まれ、大正三年に二高を中退し、海外放浪生活を送り、社会主義運動に入る。片山潜とともに在米日本人社会主義者団を結成し、大正十年には日本人として初めてコミンテルン第3回大会に出席し、レーニンと会見したが、肺結核のため療養生活に入り、同十五年には大喀血し、社会主義運動の一線から退くことを余儀なくされ、生活のために文筆生活へと向かった。アメリカ以来の友人前田河広一郎との関係もあって、『文芸戦線』同人となり、小説に加え、多くの随筆、評論を発表した。しかし四十一歳の若さで、昭和八年に貧窮の中で死去したとされる。

 もう一人の長野は立項されていないが、索引からたどると、やはり『文芸戦線』同人のドイツ語を主とする翻訳家だと判明する。ただアルスの村山は不明である。それに青野と田中が『文芸戦線』を発行する労働芸術家連盟に属していたことも重なり、青野やアルスの村山を通じて、『自己暴露』の翻訳出版に至ったのであろう。しかし奥付の検印紙には「版権所収」とあるだけで、訳者印は打たれていないことからすれば、この大部の翻訳にしても買切で、印税が発生するものではなかった。その収入は田口にとって貧窮の中における旱天の慈雨であったかもしれないが、わずかだったことが推測されるのである。

 なおその後、ブログ「家主のひとりごと」に、長野兼一郎の生涯が写真入りで紹介されていることを知った。
green.ap.teacup.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら