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古本夜話1273 野田映史編『別役実の風景』、『季刊評論』、烏書房

 これは戦後に飛んでしまうのだが、やはり青野季吉絡みなので、ここで続けてふれておくことにしよう。

 最近論創社から野田映史編の追悼集『別役実の風景』が刊行され、恵送された。別役たちが早稲田小劇場を立ち上げる前に属していた劇団自由舞台の昭和四十年代半ばの末期に、私もその近傍にいたこともあり、興味深く読み出したところ、意外な事実を知らされたので、それを書いておきたい。

別役実の風景

 同書は五章からなり、演劇人としての別役の様々な顔が語られているのだが、第四章の「『季刊評論』の歳月」は彼のリトルマガジンの関わりへの言及で、有馬弘純という人が「林檎の翳―別役実へのオマージュ(hommage)」を寄せていた。これは認識していなかったけれど、別役は自らが誌名を提案し、自由舞台の関係者たちと創刊した『季刊評論』同人であり、そこに安部公房の戯曲「友だち」を批判する演劇論を連載していたのである。それが彼の最初の烏書房から刊行された評論集と結実していった。この版元は『季刊評論』と併走していたことになる。有馬の証言を引いてみる。

 「烏書房」は文学書出版を業とするために設立した。私が戦争時に疎開していた和歌山県の高野山のふもとにある山村の中学の同級生であったH・E君が、後年、自家の持ち山が南海電鉄のゴルフ場建設のために買い上げられ、その一部を出資とするから東京で出版社を立ち上げてくれという話をもちこんできたのである。
 それで事務所を世田谷烏山においたので、とりあえず「烏書房」と名付けのだが、その出版物第一号して、別役が「季刊評論」に連載していた「演劇における言語機能について」という論文を本にして世に出したのである。だからつづめていえば、南海電鉄の提供したお金で別役のこの本が出た、という因縁話になる。世には奇妙な出来事があるものだ。
 「烏書房」はその後、私が企画してまだ無名であった青野聰〈天地報道〉と天馬基彦〈熱と冥想〉のヒッピー時代の作品を本につくった。(後略)

 これには若干の補足説明と事実誤認の指摘が必要であろう。まず昭和三十五年から四十年代にかけての文学、映画、演劇をめぐる文化的モードは有馬文に譲るが、戦後の『近代文学』や『新日本文学』の後退に伴う、吉本隆明の『試行』を始めとする多くのリトルマガジンの時代でもあった。有馬は別役たちと『季刊評論』を昭和四十四年に創刊し、六十一年の十四号までを刊行している。それに連動するかのように、烏書房が設立され、その発売元となる。手元に『季刊評論』の四十六年5号の一冊があり、たまたまこの号から烏書房が発売所を引き受けることになったようで、それは奥付表記と「編集後記」にも明らかである。

 そうして烏書房は「文学書出版」に参入していくのだが、別役の「演劇における言語機能について」が「出版物第一号」ではない。正確にいえば、昭和四十七年五月刊行の青野聰『天地報道』が「出版物第一号」で、それに続いて、同書巻末広告に別役実評論集『演劇における言語機能について』が「近日発売」とされていた。しかし実際にはそれが『言葉への戦術』とタイトルを変更して刊行され、その後に内田栄一『聖・混乱出血鬼』、夫馬基彦『熱と冥想』が続いていくのだが、それらの企画編集者が有馬だとは認識していなかった。

(『天地報道』) (『熱と冥想』)

 なぜこれららのことに言及したのかというと、私は当時、有馬のいうところの青野や夫馬の「ヒッピー時代の作品」としての『天地報道』『熱と冥想』の愛読者だったからである。もはや「ヒッピー」という言葉も死語になってしまったと見なせるけれど、昭和四十年代には文化的に有効なタームだったのだ。

 おそらく有馬が書いたのであろう『天地報道』の帯文には「青春の魂と肉体のすべてを放浪に賭けた著者たちの文学―シリーズ第1弾」とのキャッチコピーに続き、次の一文が付されていた。それは「みずからを〈放浪の幻視者〉とよぶ著者が世界の辺境地帯で体験した、人間と宇宙の交感の秘儀。「文明」と「国家をこえる真の視座を黙示する詩的紀行文」というものだった。「シリーズ第2弾」が夫馬の『熱と冥想』だったと考えられる。その『天地報道』のエピグラフは『第二イザヤ書』の「もろもろの国から逃れてきた者たちよ/集まりともに近寄れ」で、第一部「カトマンズの友」は「君に知らせたい」と始まっていた。それに「小跋」を寄せているのはヒッピーの元祖とでもいうべき金子光晴に他ならなかったし、この一冊は読むことを誘っていた。それに青野は「まだ無名であった」かもしれないが、一部ではよく知られ、彼が青野季吉の息子だという風聞も伝わっていたのである。

あらためて『天地報道』の「あとがき」を見ると、確かに有馬の他に、後に烏書房に関わっていたと推測される。『季刊評論』同人の林光紀、それに装丁の玉征夫の名前も見えている。また発行者は榎本浩義で、この人物が有馬のいう「H・E君」だとわかる。

 その他も烏書房の出版物にまつわるエピソードと論創社の後日譚もあるのだが、それはまたの機会を得てということにしよう。


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