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古本夜話1277 岩波書店と『思想』創刊号

 前回の改造社『社会科学』創刊号は浜松の典昭堂で見つけたものだが、そこには岩波書店の『思想』創刊号もあり、ともに入手してきたのである。創刊号こそ前者が大正十四年、後者が同十年と異なるものの、判型、表紙レイアウトもほぼ同じで、創刊定価のほうも八十銭と同様だった。明らかに『社会科学』『思想』を範として創刊されたことがそのまま伝わってくる。

 

 それに『思想』『社会科学』と異なり、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」にも一ページ近い解題があり、紆余曲折の変遷は経てきたにしても、現在まで続いている「学術雑誌」にふさわしい扱いといえよう。また『社会科学』にはなかった創刊の辞も置かれているので、大正十年時点における岩波書店と「学術雑誌」の位相を象徴する、その言を引いてみる。それは昭和の円本に抗して、岩波文庫が創刊されたように、大正の総合雑誌の時代に対して、あえて思想とアカデミズムをベースとする「学術雑誌」創刊を企てたと見なせるからである。

 「雑誌の多過ぎる日本」に今更新しく「思想」を創刊するについては、弊店にも些か自負があります。
 時好に投じ流行の問題を捕へて読者の意を迎へる雑誌は少くありませぬ。また専門の学術雑誌も今以上に殖える必要はなささうに思はれます。しかし時流に媚びずしかも永遠の問題を一般の読者に近づけようとする雑誌は、今の日本に最も必要であつて同時に最も欠けてゐるものではありますまいか。弊店はこの欠を補うと志したのであります。
 「思想」は或一つの主張を宣伝しようとするのではありませぬ。苟くも真と善と美とに奉仕する労作は、いかなる立場いかなる領域であつても、これを集録してわが国人の一般教育に資したいと考へて居ります。過度のジヤアナリズムに不満を感ぜられる人士が、弊店の真面目な努力を認めて下さることは、吾人のひそかに信ずるところであります。

 この「雑誌の多過ぎる日本」に始まる創刊の辞は明治末から大正にかけての出版業界の成長が雑誌の隆盛によっていることを示している。販売インフラ状況を具体的に挙げれば、明治末に三千店だった書店は昭和初期には一万店に達しようとしていたのである。しかもそれはもちろん「真と善と美」に基づくものではなく、「過度のジヤアナリズム」に他ならない。大正十一年には週刊誌『サンデー毎日』と『週刊朝日』も創刊されている。それゆえに岩波書店は「時流に媚びずしかも永遠の問題を一般の読者に近づけようとする雑誌」の創刊を試みたということになろう。

 この『思想』創刊の辞と昭和二年の「読書子に寄す—岩波文庫発刊に際して」を比べると、後者は岩波茂雄の名前で出されているが、実質的には三木清の手によるものとされ、前者とは文体とトーンが異なっている。それは『思想』の場合、編輯兼発行印刷者の水野重慶がしたためたことに起因していると思われるが、水野のプロフィルは定かでない。またそのコンテンツと内容を示すためにも、『社会科学』と同じく、表紙の目次を挙げておくべきだろう。

 *ケーベル「盛夏漫筆」
 *桑木厳翼「流行の哲学思潮」
 *土居光知「国民的文学と世界的文学」
 *石原純「相対性原理の真髄」
 *和辻哲郎「原始基督教の文化的意義」
 *M.M.「世界見聞録」
 *倉田百三「父の心配」

 ケーベルから和辻までの五本の論考は『思想』にふさわしいかもしれないが、「世界見聞録」は匿名であり、倉田の「父の心配」は戯曲で、本文二三七ページの半分以上を占めるという構成になっている。「真と善と美」を謳うにしては座りが悪い印象を否めない。それは巻末広告にうかがえる岩波書店の大正十年における出版状況の反映のように思える。

 まず一方で『近代出版史探索Ⅳ』712の紀平正美『哲学概論』に始まる「哲学叢書」の好調な売れ行きがあり、それに倉田百三の『出家とその弟子』、夏目漱石の『縮刷こゝろ』などの文学書のベストセラーが併走しているのである。ちなみに重版数を示せば、『哲学概論』が廿五版に対して、『出家とその弟子』は百十五版、『縮刷こゝろ』は卅五版で、「哲学叢書」の売れ行き部数をトータルしても、倉田や漱石の文芸書の重版部数と比較にならないことは明白だ。そのために『思想』と銘打っての創刊であったにしても、アカデミズムと創作のバランスをとる必要があったと推測される。

  (『縮刷こゝろ』)

 先の『思想』の解題も、岩波書店編集による創刊から昭和三年八月までの第一期の特色は創作欄があったことだと指摘している。しかし創刊号を入手するまで、創作欄のシェアのほうが高いとは考えていなかった。やはり現物を見るにしくはないことを実感してしまう。

 
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