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古本夜話1280 平凡社『世界裸体美術全集』

 前回、ハウゼンスタイン『芸術と唯物史観』は原著の内容とタイトルから考えれば、『芸術と裸体』としたほうがふさわしいのではないかと述べておいた。

芸術と唯物史観 (『芸術と唯物史観』)

 ところが『芸術と唯物史観』との関連は不明だが、昭和六年になって平凡社から『世界裸体美術全集』全六巻が刊行に至っている。もはや円本時代とはいえないけれども、奥付には「非売品」、予約特価は三円であり、拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)においてもその掉尾の企画として挙げている。これは『近代出版史探索Ⅱ』243のやはり平凡社『世界美術全集』の成功の延長線上に派生したと見なせるし、『同Ⅱ』357などの太田三郎編纂によるものだ。ただ菊倍判函入の全六巻本は古本屋でもほとんど見ていないし、『平凡社六十年史』でも言及されていないので、とりあえず、各巻の内容を示す。

(『世界裸体美術全集』)  (『世界美術全集』)

1 「古代及び中世」
2 「文芸復興期」
3 「十七・八世紀」
4 「近代」
5 「十九世紀」
6 「現代」

 そして各巻にカラーと白黒の作品が一ページ、七六図として収録され、それほど「裸体」は強調されず、重厚な美術全集に仕上がっている。それは1にだけ付されている「序」に当たる一文において、太田が「人間の肉体は、最も至純な美の存在で」、「むしろ神よりも美しいもの」だとの認識を示し、そうした美術史観のもとに編んでいるからだろうし、次のように結ばれているのだ。

 世界裸体美術全集編纂の微意、すなはちまたこゝに存する。方今、世潮やうやく猟奇にかたむき、巷間やゝもすれば卑賎猥雑の画図を見るの時、あるひはこれによつて、純正な芸術に濾過せられた明媚晴朗の裸体作品を、健全な一般家庭へ将ることが出来やうか。

 つまりここに提出されている「裸体芸術」は「純正な芸術」「明媚晴朗の裸体作品」で、「健全な一般家庭」の蔵書にも相当すると述べているのである。本探索でも円本時代が一方では「エロ・グロ・ナンセンス」の発祥で、それが『近代出版史探索』32の新潮社の『現代猟奇尖端図鑑』や他ならぬ平凡社の『世界猟奇全集』、あるいはまた同31の武俠社の『近代犯罪科学全集』『性科学全集』などに象徴的に表出していると繰り返し述べてきた。しかも太田は『同Ⅲ』447でふれているように、国際文献刊行会『世界奇書異聞類聚』第九巻のピエール・ルイズ『アフロデット』の訳者でもあったのだ。

(『現代猟奇尖端図鑑』)世界猟奇全集 (『世界猟奇全集』)(『アフロデット』)

 それゆえに『世界裸体美術全集』はそうした「猟奇」「卑賎猥雑の画図」と同一視されてはならず、細心の配慮を保ちつつ編纂し、刊行に及んだはずだ。おそらく平凡社としては『世界美術全集』を販売促進した書店と購入読者を対象とし、営業をかけたと思われる。それは『平凡社六十年史』に見られる、あえて地味な「内容見本」にもうかがえる。判型にしても内容にしても店売商品ではなかったことは自明だし、それが功を奏したのか確認できていないけれど、そのためにともに東京美術学校教授、帝国美術院会員の藤島武二と岡田三郎助が監修者として召喚され、前者は装幀まで担ったことになる。もちろん彼らの作品も収録され、6に藤島の「そがひの裸女」、岡田の「浴泉」を見ることができるし、彼らの師に当たる黒田清輝は5に「智、感、情」と「朝粧」が、前者はカラーで収められ、日本のフランス経由裸体美術の模範となっていることを示していよう。

 太田のほうは『近代出版史探索Ⅱ』357で、『日本近代文学大事典』の立項を引き、やはり黒田に師事し、フランスにも留学し、裸婦を主とする作品、また甘美な風俗挿絵などを得意とすることなどを挙げておいた。だがどうしてなのか、『世界裸体美術全集』には作品の収録がない。それは編纂者というポジションから黒田だけでなく、藤島や岡田を立てて、自らは一歩退いた編纂者に徹したのかもしれない。

 それから藤島や岡田の「両先生」を始めとして、多くの機関と画家たちに謝辞が記されているが、「資料の蒐集印刷の校合等については、平凡社編輯部長井家忠男氏の誠意ある協力」も挙げられている。

 これも『近代出版史探索Ⅱ』243で既述しているが、井家は平凡社の『世界美術全集』のために、拙稿「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究Ⅲ』所収)からスカウトされた人物で、中央美術社において、『近代出版史探索』163で取り上げた初めての『美術辞典』を手がけた編集者だった。彼は平凡社に『世界美術全集』編集長として招かれ、その完結後に続けて『世界美術全集(別巻)』も手がけているので、それに『世界裸体美術全集』も加えれば、大正から昭和にかけて、ひとつの辞典と三つの美術全集を担ったことになり、この時代に最も美術書の編集に精通していたことになろう。太田の謝辞はそのことを物語っているのだろうが、その後の井家の消息は定かでない。

 また昭和十三年にハウゼンシュタイン『裸体芸術社会史』が刊行されているが、これは『世界裸体美術全集』に範を求めた前回の『芸術と唯物史観』の再編集であろう。

裸体芸術社会史

 なお『世界裸体美術全集』は戦後になって、『美術のなかの裸婦』(集英社、昭和五十四年)として変奏されたように思われる。 
(『全集 美術のなかの裸婦』)


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