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古本夜話1285 カウツキー、小池四郎訳『五ヶ年計画立往生』

 左翼文献は『近代出版史探索Ⅵ』1141の『大日本思想全集』の先進社からも刊行され、入手しているのは昭和六年のカール・カウツキー、小池四郎訳『五ヶ年計画立往生』で、サブタイトルは「サウィエート・ロシアの革命的実験は成功したか?」とある。

(『大日本思想全集』第11巻)

 しかし幸いなことにこの一冊の巻末広告は九ページに及び、百点以上の「刊行図書目録」ともなっている。そこにはヴァルガ、坂井哲三訳『世界の農業・農民問題』、サラビヤノフ、荒川実蔵訳『史的唯物論入門』、ラフアルグ、萩原厚生訳『正義・善・霊・神の唯物史観』、コンブリツタス、井関孝雄訳『労働銀行』、ストローベル、斎藤茂訳『独逸革命とその後』なども見られ、先進社が吉川英治『女来也』を始めとする時代小説の「大衆文庫」とともに、これらの左翼文献も刊行していたとわかる。

  (『正義・善・霊・神の唯物史観』)(『独逸革命とその後』)

 先進社の上村勝弥(也)のことは『近代出版史探索Ⅱ』366において、「子供研究講座」に言及するとともに、改造社出身で、昭和十四年には兄の哲也と第一公論社を設立し、右翼雑誌『公論』を創刊するに至った経緯にふれておいた。また出版物に関しては『近代出版史探索』35で今東光『奥州流血録』、『同Ⅱ』365で円本の『一平全集』のベストセラー化を取り上げている。そのような出版物の中に、まさに先進社の社名にふさわしく、時代のトレンドとしての左翼文献も加えられていったと推測される。それらに混じってエルンスト・ユンゲル(ユンガー)、佐藤雅雄訳『鋼鉄のあらし』もまた刊行されていた。

(『一平全集』)

 それらは円本時代以後の出版企画の試行錯誤を表象しているのかもしれないし、その空白部分を左翼文献やマルクシズム関連書が埋めていたとも見なせよう。一方で池崎忠孝『米国怖るゝに足らず』、河村幽川『排日戦線を突破しつゝ』が出され、他方で『五ヶ年計画立往生』のような一冊が刊行されていたことも、そうした出版状況を物語っているのかもしれない。

 (『排日戦線を突破しつゝ』)

 カウツキーはドイツの経済学者で、ドイツ社会民主党の理論的指導者とされ、ロシア革命に対しては社会民主主義の立場で、『プロレタリアート独裁』『テロリズムと共産主義』を書き、レーニンの『プロレタリア革命と背教者カウツキー』によって批判されているが、その後もソヴェトの社会主義建設に否定的なポジションを維持していた。カウツキーの『民主主義か独裁主義か』(赤松克麿訳)などの著作は、『近代出版史探索Ⅱ』390の平凡社『社会思想全集』12にまとめられ、レーニンの『プロレタリア革命と背教者カウツキー』(山川菊栄訳)も同10に収録されている。

 

 1931年=昭和六年に書かれた『五ヶ年計画立往生』も、そうした批判的著作の一冊である。このカウツキーの著書に言及する前に、まず「五ヶ年計画」にふれてみよう。これは一九二一年三月のロシア共産党大会で、レーニンの新経済政策「ネップ」案が採択され、翌年にソ連邦の成立とともに正式にスタートした経済計画である。戦時共産主義体制から市場メカニズムの広範な利用への移行で、二九年には「五ヶ年計画」と全面的農業集団化政策も開始され、当初のネップ期の経済政策からの根本的転換だった。それはスターリン主導下での工業成長や農業集団化目標をエスカレートさせるものだったが、工業の質的指標改善は失敗し、農業生産も停滞したとされる。

 この計画について、カウツキーは「極度の断食療法」と見なし、ボルシェヴィキはマルクスの『資本論』第二巻に通暁しておらず、経済構造の無秩序的混乱をもたらすものだと述べ、次のように書いている。

 既に周知の事実であるように、この計画はロシア国民の今でさへ既に乏しい消費を、食料品と文化的必需品に就いて、全くやり切れないほどの最小限に・肉体と精神とをともどもに殆ど生かして行くと云ふだけの程度の最小限に・引下げると云ふところにその基礎を置いてゐる。消費される物資に比較して生産される物質の不足、それが、従来その国と民衆との窮乏を齎らして来たのであるが、そうした矛盾は、消費を切り縮めることによつて始末すべきであり、かくして余剰をそこに残し、それを以て、新しき工場・動力供給所・気化器・その他の生産手段の建設の資に充つべきであるとする。五年の終りには、新しきそして大産業化されたロシアが出来上がる。

 ところがそれは絵に描いた餅のようなものに過ぎず、「全き窮乏と零落の五ヶ年間」に当たるだろうとカウツキーは断言し、ロシアにおける農業と工業の現在分析、政治革命と新たなる革命と国民の行方にも言及している。近年読む機会を得たS・S・モンテフィオーリの評伝『スターリン』(上下、染谷徹訳、白水社、平成二十二年)によれば、「五ヶ年計画」はただちに資本主義を廃止して社会主義を建設するという、富農階級(クラーク)に対する大量テロルを伴う「恐るべき大革命」で、スターリンをレーニンの後継者たらしめるものだったのである。

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈上〉スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉(『スターリン』上下)

 訳者の小池四郎は『近代出版史探索Ⅱ』394で、そのプロフィルを提出しておいたように、社会民衆党の代議士だったが、昭和七年に赤松克麿たちと日本国家社会党を結成し、九年にはそのうちの日本主義派を率いて、愛国政治同盟を組織し、典型的な社会ファシストの道をたどったとされる。

 赤松と同じく小池もカウツキーの訳者であり、それこそレーニンのいうところのカウツキーではないけれど、ボルシェヴィキから見れば、ともに「背教者」の道をたどったことになろう。


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