出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1287 森戸辰男『クロポトキンの片影』と『大原社会問題研究所雑誌』

 『日本アナキズム運動人名事典』は「まえがき」などで明言されていないけれど、『近代日本社会運動史人物大事典』におけるアナキスト人名選択と立項の不足不備の問題を発端として、企画編纂へと至っている。

日本アナキズム運動人名事典  近代日本社会運動史人物大事典

 それもあって、前回の若山健治の立項もあるわけだが、そこで言及しなかった『無政府主義論』の著者エルツバツヘルも含まれ、エルツバッハーとして、次のように立項されている。

 エルツバッハー Eltzbacher , Paul 1868.2.18-1928.10.28 ドイツ、ケルンに生まれ、各地の大学で学び、ハレ大学を経たのち、06年ベルリン商科大学で法律学の教授となる。00年『アナキズム』をドイツ語で刊行。同書は学術的手法に則り、バクーニンら6人のアナキストの思想を分析したものであり、アナキストからも好意的に受け入れられ、また多数の言語に翻訳される。日本語版は21年に刊行。世紀転換期頃から国内外のアナキストと連絡を取り、文献を収集。その間クロポトキンら著名なアナキストと文通。1921-23年大原社会問題研究所職員の櫛田民蔵と森戸辰男がエルツバッハーの所蔵するアナキスト文献を引き取り、今日に至るまで同研究所に「エルツバッハー文庫」として所蔵。国際的にみても重要なコレクションである。

 前回記述しているので、間違いの指摘は繰り返さないが、ここで大原社会問題研究所、森戸辰男、「エルツバッハー文庫」の連鎖を教えられ、かつて入手した森戸の著書と寄稿雑誌との関係も了承するに至ったのである。大原社会問題研究所とその出版部の同人社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』233、234でも言及しているが、森戸の『クロポトキンの片影』、及び『大原社会問題研究所雑誌』にはふれてこなかった。

 森戸は東京帝大経済学部助教授として、大正八年に同学部機関誌『経済学研究』創刊号に「クロポトキンの社会思想の研究」を寄稿し、九年に文部省と大学からは危険思想だと問題視され、さらに司法省から告発され、禁錮三ヵ月、罰金七十円を科され、大学を追われた。これが世にいう「森戸事件」で、翌年のエルツバッハーの著書の発禁も、この事件と不可分であろう。

 『クロポトキンの片影』は『無政府主義論』とほぼ同時といっていい大正十三年三月に刊行されているが、前者のほうが発禁とならなかったのは、森戸が「序」で述べているように、クロポトキンの社会学説ではなく、クロポトキンを追悼する人道主義者としての五つの論文に限ったことによっているのだろう。手元にあるのは四月の再版なので、たちまちの重版ということになり、「森戸事件」の反映と考えられる。しかもこの「序」は上海へ向かう船上でしたためられているので、森戸が日本に不在であることも作用しているのかもしれない。実際に確認してみると、森戸は大原社会問題研究所からドイツに留学し、マルクス主義文献の収集にあたったとされる。

 さて『大原社会問題研究所雑誌』のほうだが、これは昭和二年三月発行の第七冊目で、判型、レイアウトも含めて本探索1276の改造社『社会科学』や同1277の岩波書店『思想』などを彷彿とさせるし、おそらく大正時代の末の創刊であろう。森戸は「スチルナアの無政府主義とマルクスの国家観」と「『唯一者』の結構」の二編を寄せている。前者は一九五ページに及び、『同雑誌』の半分を占め、しかも「マルクスの国家観」は付け足しと考えられるし、これに後者を加えると、この第七冊は森戸による「マックス・スティルナーと『唯一者とその所有』」論といった趣もある。

  

 スティルナーの『唯一者とその所有』は森戸も挙げているように、『近代出版史探索Ⅳ』781の辻潤訳『自我経』(改造社、冬夏社、いずれも大正十年)がすでに刊行されている。しかし森戸が合わせて参照しているのはドイツ語レクラム文庫版で、辻的な「自我」というよりも、森戸はスティルナーを「唯一者」にして、ゴドウィン、プルードンと並ぶ理論的無政府主義者と位置づける試みに挑んでいるようにも思える。それは『クロポトキンの片影』に見られるポジションから、森戸のドイツ留学を経た後の境地だったのではないだろうか。

 ちなみに『社会科学』や『思想』の創刊号の表紙に掲げられたコンテンツを挙げておいたので、『大原社会問題研究所雑誌』の森戸以外の論文タイトルも示しておこう。

 *細川嘉六「現代植民運動における階級利害の対立」
 *高田慎吾「救貧法改正案に対する私見」
 *櫛田民蔵「マルクスの価値法則と平均利潤」
 *久留間鮫造「コンラード・シュミットに与へたエンゲルスの手紙」

 ちなみに細川、高田、久留間も森戸や櫛田と同様に、大原社会問題研究所員だが、高田や久留間も東京帝大法科出身で、前者は社会事業を研究し、国立感化院の設立に貢献し、後者は櫛田とともに文献収集に派遣され、いずれも大原社会問題研究所幹事や所長を務めている。それに高田にしても久留間にしても、『大原社会問題研究所雑誌』のバックナンバーを見ると、常連の寄稿者であり、この雑誌の主要メンバーだったことが伝わってくる。また同人社の書籍の翻訳者だったことも浮かび上がり、大原社会問題研究所員の多彩な層の厚さもうかがわれるのである。


odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら