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古本夜話1290 エマ・ゴールドマンとシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店

 『エマ・ゴールドマン自伝』において、前回既述しておいたように、スペイン内戦やガルシア・オリベルとの関係はふれられていない。それはこの『自伝』がクライマックスというべき第52章「ロシア一九二〇~二一年」で実質的に閉じられているからである。彼女が自伝を書き始めたのは一九二九年、その死は一九四〇年なので、まだエマには語り継がねばならない二十年近くの歳月が残されていたのだし、三〇年代のスペイン内戦こそはその最たるものだったように思える。

エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 それだけでなく、まだ明かされていない多くの事件や出来事があったにちがいなく、そのひとつにパリのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店との関係が挙げられる。私がその事実を知ったのは、その書店を立ち上げたシルヴィア・ビーチの評伝を読んだことによっている。それはN・R・フィッチ『シルヴィア・ビーチと失われた世代』(上下、前野繁他訳、開文社出版、昭和六十一年)においてである。

シルヴィア・ビーチと失われた世代―1920,30年代のパリ文学風景〈下巻〉

 それに加えて、アドリエンヌ・モニエ『オデオン通り』(岩崎力訳、河出書房新社、昭和五十年)やシルヴィア・ビーチ『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(中山末喜訳、同前、同四十九年)などを参照し、「オデオン通りの『本の友書店』」「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(いずれも拙著『ヨーロッパ 本と書店の物語』所収、平凡社新書、平成十六年)を書いている。

 シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店 (KAWADEルネサンス)  ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

 これらのパリの書店について、簡略に紹介を試みよう。本の友書店は一九一五年にアドリエンヌ・モニエがパリのオデオン通りに開いた書店で、近代文学を中心とし、古本や貸本も兼ねていた。二十世紀を迎えてのフランス近代文学やリトルマガジンの胎動、新しい出版社の誕生と出版業界の変貌の中にあって、その書店は一つの新たな文学サロンを形成していくことになる。それはリトルマガジンの販売や発売所を引き受けたことにも示され、アンドレ・ブルトンの『文学』の発売所でもあったし、シュルレアリスム運動も本の友書店から始まっていて、ヴァレリーの『旧詩帖』、ジョイス『ユリシーズ』仏訳の出版も手がけてもいた。モニエは「文学の修道尼」として、この「まさしく魔法の部屋」のような書店を三十五年にわたって営んでいたのである。

一方で、アメリカ人のシルヴィア・ビーチはフランス近代文学を研究するつもりで、一九一七年パリに到着し、ポール・フォールのリトルマガジンの『詩と散文』がそこで売られていると聞き、本の友書店を訪ねた。そしてオデオン通りの店で、二人は宿命のように出会ったのだ。シルヴィアは語っている。「当時このオデオン通りを発見し、この興味深い文学生活に参加したアメリカ人は私一人だった」と。

 シルヴィアはパリでアメリカの本を売ることを構想し、モニエの助言を受け、一九年にフランスで初めての英語で書かれた本を専門に扱うシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店開店した。この時代において、イギリスやアメリカの現代作家、詩人の作品はスランス語に翻訳されておらず、高価だったので、貸本部門は好評だった。サルトルやボーヴォワールも貸本文庫の会員となり、多くの英米文学を読破していたし、ヘミングウェイ、ドス・パソス、「小説についての我々の概念を一変せしめたフォークナー」も、そのようにして読まれたのである。

 それにヘミングウェイもドス・パソスも「パリのアメリカ人」として、シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店の常連客だった。そのことをヘミングウェイは『移動祝祭日』(福田陸太郎訳、岩波文庫)で書いている。彼らにシャーウッド・アンダーソン、エズラ・パウンド、ガートルード、タイン、アリス・B・トクラスたちも続いた。『近代出版史探索Ⅵ』1015でも言及しているが、先の拙稿から引いておこう。

移動祝祭日 (同時代ライブラリー)

 これが一九四一年まで続くことになるシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店の始まりであり、以後この店を中心として特異な現代文学史、文化史が形成されていく。そしてカレードスコープのように多彩な人物たちが登場し、文学と書店の関係が最も輝いていた時代を映し出すのである。フランス人文学者、在仏アメリカン人作家、失われた世代の若き人々、イギリスやアイルランドの詩人や作家、亡命ドイツ人、写真家、ロシアの映画監督が出入りし、散じていくトポスとして、シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店はあり続けた。しかも多くの小出版社を派生させ、現代文学の源泉のような役割を果たすことにもなる。

 そしてついに開店一年目の一九二〇年夏にジェイムズ・ジョイスも登場し、エズラ・パウンドとともにシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店を出版社へとならしめ、『ユリシーズ』の上梓へと向かっていく。本の友書店の客たちも含めて、予約購読も募られ、オデオン通りの二つの書店を後戸として、二二年二月に『ユリシーズ』は出版され、ジョイスは新しいヨーロッパ文学のスターとしての名声を確立するに至ったのである。それは日本も例外でなく、この『ユリシーズ』は日本へも輸入され、これも『近代出版史探索Ⅵ』1015の第一書房の伊藤整たちの翻訳へとリンクしていくのである。

(第一書房版)

 その当時、エマ・ゴールドマンもシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店を訪れていたようで、シルヴィアとの関係は詳らかでないが、先のフィッチの著書によれば、彼女から『ユリシーズ』を献本されている。

 それからベンヤミンの『パサージュ論(四)』(岩波文庫)の訳者の一人である塚原史による解説「『パサージュ論』とパリのベンヤミン—同時代人の回想を中心に」の中で、アドリエンヌ・モニエの証言が引かれ、一九三〇年に彼が本の友書店を訪れ、常連となり、彼女がベンヤミンを最も精神的に近い近代文学者と見なしていたことも明かされている。エマもまた、ベンヤミンと会っていたように思われてならない。

パサージュ論 第4巻 (岩波現代文庫)

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