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古本夜話1291 ボリス・スヴァーリン、ジョルジュ・バタイユ、セルジュ『一革命家の回想』

 『エマ・ゴールドマン自伝』において、最も長い第52章「ロシア一九二〇-二一年」のところに、ロシアを訪れてきたヨーロッパラテン諸国共産党のグループへの言及がなされ、その中でも、フランス共産党員のボリス・スーヴァーリーヌが「最も思慮深く鋭い質問者だった」とエマに評されていた。

エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 ところが『同自伝』刊行後、読者から葉書が届き、スーヴァーリーヌはスヴァーリン表記が正しいとの指摘があった。この英語表記はSouvarineで、私もどちらにすべきか迷ったのだが、参考資料として読んでいたヴィクトル・セルジュの『母なるロシアを求めて― 一革命家の回想』『母なるロシアを追われて― 一革命家の回想』(上下、山路昭、浜田泰三訳、現代思潮社、昭和四十五年、 Mémoires d’un Révolusitonnaire ,1951)ではスーヴァーリーヌ表記で、それに従ったのである。しかも同書の第四章は「危険はわれわれのなかにある 一九二〇-二一年」はエマの『自伝』の第52章に匹敵するもので、同じロシア革命の変質とクロンシュタット叛乱についての証言となっている。セルジュは亡命ロシア人を両親としてベルギーに生まれ、十代でフランスのアナキズム運動に参加し、ロシア革命の勃発に伴い、一九一九年に交換収容者としてロシアへ帰国し、エマと同じボリシェヴィキによる恐怖政治の実態を目撃することになったのである。

MEMOIRES D'UN REVOLUTIONNAIRE

 そしてセルジュは「戦時共産主義」の内実を描いていく。そこにはモスクワの第三回インターナショナル大会にやってきたフランスのスーヴァーリーヌたちとトロツキーのやり取りも言及されている。またエマも登場し、クロンシュタット叛乱をめぐっての対応で、二人の関係が難しくなったことも述べられている。そのためか、エマのほうではセルジュに関する言及もなく、そこに描かれてもいないので、前々回のエマとバラバノフの対応をめぐる記述の相違とも異なり、エマによってセルジュは無視されたと考えるしかないのである。

 それらはひとまずおくとしても、問題はスーヴァーリーヌ=スヴァーリンのことで、彼は『近代出版史探索Ⅵ』1194のジョルジュ・バタイユの「黒い天使」であるロール=コレット・ペニョの愛人だった。その事実はミシェル・シュリヤ『G・バタイユ伝』(西谷修他訳、河出書房新社)や桜井哲夫「バタイユと『民主共産主義サークル』」(『「戦間期」の思想家たち』所収、平凡社新書)によって明らかにされるだが、そのスヴァーリンが『エマ・ゴールドマン自伝』『一革命家の回想』下のスーヴァーリーヌと同一人物だとはしばらく気づかないでいた。

G・バタイユ伝〈上 1897~1936〉  「戦間期」の思想家たち レヴィ=ストロース・ブルトン・バタイユ

 それはスーヴァーリーヌ表記を採用したこともあるけれど、かつてロール遺稿集『バタイユの黒い天使』(佐藤悦子、小林まり共訳、リプロポート)を読んでいて、バタイユによってロールの愛人はフランス共産党創立者のレオン・ブニンだとされていたことが記憶に残っていたからだ、なぜなのか。その後スヴァーリンと修正されたようだが。

バタイユの黒い天使―ロール遺稿集

 しかしあらためて『エマ・ゴールドマン自伝』とスヴァーリンの関係を喚起させてくれたのは、『「社会批評」のジョルジュ・バタイユ』(『水声通信』34、二〇二一年第一号)のアンヌ・ロシェを聞き手とする「五十年後、ボリス・スヴァーリンは回想する」(安原伸一郎訳)であった。ここで紹介されているスヴァーリンのポルトレは、一八九五年ユダヤ系の両親の間にキエフで生まれ、フランスで教育を受け、本名ボリス・リフシッツで、スヴァーリンは筆名で、拙訳もあるゾラの『ジェルミナール』の登場人物からとられたのだ。
www.suiseisha.net ジェルミナール

 スヴァーリンは一九三一年に民主共産主義サークルのメンバーと『社会批評』を創刊する。それらのメンバーはスヴァーリン、バタイユ、ミシェル・レリス、シモーヌ・ヴェイユなどからわかるように、私のタームを使えば、政治、文学、哲学、美術などの「混住」といっていいグループだった。それこそヴェイユは先の『同Ⅵ』1194のバタイユ『青空』の登場人物のモデルとされている。しかもこの雑誌の出資者はコレットで、三四年までに十一号が刊行されたが、その間にコレットはバタイユと出奔し、三八年に彼に看取られて亡くなっている。そのことでバタイユとスヴァーリンとの間には禍根が残され、後者の五十年後の「回想」にもそれは揺曳している。ただそれも含めてこの『水声通信』の特集は『社会批評』という雑誌を再考する貴重な試みだったと見なせよう。

 それにスヴァーリンはインタビューで、『エマ・ゴールドマン自伝』にもふれ、エマたちとの関係はすばらしいもので、「至極真っ当な批判は、ソヴィエト体制の現実について私に多くを教えてくれました」し、その本は「ソヴィエト国家の歴史についてきわめて真摯な論考となっています」と語っている。またインタビューはヴィクトル・セルジュが二八年にソ連から追放され、フランスでスターリニズムを批判する著書を刊行した事件と『社会批評』の関係についても問うているが、それに対して、スヴァーリンは応えている。この事件を引き起こした著作は『母なるロシアを追われて― 一革命家の回想』下から類推すれば、『文学と革命』だったと思われるが、日本では未邦訳であろう。

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