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古本夜話1307 和田軌一郎『ロシヤ放浪記』とエロシェンコの帰郷

 エロシェンコは大正十一年の『改造』九月号に「赤い旗の下に—追放旅行記」、後の「日本追放記」(『日本追放記』所収、みすず書房)を残し、日本を去っていった。それからの上海や北京での生活は、藤井省三『エロシェンコの都市物語』で描かれているが、『改造』に先の「追放記」が掲載されたころ、故郷のウクライナの村に八年ぶりで帰ったことにはふれられていない。しかもそれはモスクワ在住の日本人と一緒だったのである。

   エロシェンコの都市物語―1920年代 東京・上海・北京

 その日本人は和田軌一郎で、『日本アナキズム運動人名事典』の立項を要約してみる。彼は夕張炭鉱の坑夫で、全国坑夫組合夕張連合に加入し活動するが、争議に敗れ、大正十年に上京する。大杉栄の『労働運動』に対抗し、『労働者』創刊に関わり、発行編集印刷人ともなっている。十一年モスクワでの極東民族大会に参加し、その後極東勤労者共産主義大学(クートペ)に入学し、東洋語学校で日本語を教え、十三年に荒畑寒村に伴い、帰国するが、その後再び入露し、昭和二年に日本へと戻っている。

日本アナキズム運動人名事典  

 これに補足すれば、全国坑夫組合夕張連合のことを考えると、和田も片山潜や永岡鶴蔵の関係者だと見なせよう。実際に本探索1298の『近藤栄蔵自伝』では、和田が寺田鼎とともに労働運動社に住み込み、『労働運動』の校正や発送などに携わっていたと述べられ、次のように続いている。

 和田軌一郎はまた一風変った青年、堂々たる体躯をそなえ腕力に強く、警官との小ぜりあいでしばしば武勇伝をのこしていた。小柄の和田久太郎と区別するために同志間では彼を大和田と呼んでいた。(中略)彼は第一期ソ連留学生に加わってモスクワに三年ほど居ったが、頑強に共産主義への改宗をこばみ、ついに日本に追い返された。(中略)彼には『ロシア革命運動史』と題した一冊の著書がある。筆も決して立たない男ではなかった。性来の放逸と酒癖が彼を亡ぼしたことは惜しむべきである。

 ここで近藤が挙げている『ロシア革命運動史』は間違いで、『ロシヤ放浪記』のことだと思われる。これは『近代出版史探索』65の南宋書院から昭和三年に刊行され、その奥付裏の出版広告にはやはり和田訳として、ロゾヴスキー『英国労働運動の戦術とレーニニズム』、荒畑寒村訳、ストレイト『帝国主義戦争と製鉄業』などが並んでいる。この二冊の翻訳は未見だが、定価から考えてもパンフレット、もしくは小冊子に準ずるものだと推測されるし、実際の訳者は別の人物であるかもしれない。

 実はこの『ロシヤ放浪記』の四分の一近くを占める最初の章が「エロシェンコ君との小露西亜旅行」で、高杉一郎の『夜あけ前の歌』を始めとして、エロシェンコの八年ぶりの故郷の村への帰還は、和田の記述によっているのである。和田は自らの一九二二年=大正十一年におけるモスクワ状況に関して、田口運蔵と高尾平兵衛がモスクワを去り、片山潜もカラカスで転地療養となり、大庭柯公も監獄に幽閉され、面会もできず、たった一人の孤独な環境の中にあったと始めている。しかも東洋語学校の日本語教師の報酬はわずかなもので、夏休みで学生も帰省し、がらんとした寄宿舎で食糧不足による神経衰弱にも陥っていた。ところが思いがけなく、部屋のドアを叩く人がいた。

 (『夜あけ前の歌』、叢文閣)

 『和田さん、久振りですね』
 一人の日本語を流暢に話す、盲目の露西亜人が、僕の眼の前に立つた。僕はどんなに不思議に思ひ、且つ驚いたか知れない。
 『君は誰ですか』
 僕が訊ね返すと、にこゝゝ笑ひながら、如何にも人なつかしげな声で答へた。
 『私はエロシェンコですよ。忘れましたか!』
 僕は其の顔をよく見ると、なるほどエロシェンコ君だ。思はず飛びついて、彼の手を強く握つた。
 『あゝ、君、何時来たんですか。さうして僕のところがよく判りましたね』
 僕は胸をおどらせながら、彼をやさしくいたわり、彼の手をとり、寝台に腰かけさせた。

 エロシェンコは日本を追放されてからの上海やハルピンでの放浪を語り、その顔には日本にいた頃の楽しげな面影はなく、苦労がにじむ寂しい感じが漂つていた。これも補足すれば、北京大学でエスペラント語を教え、ヘルシンキの世界エスペラント大会に参加した後、モスクワに立ち寄り、和田を訪ねたのである。そしてエロシェンコは和田に語りかけるのだった。

 『和田さん、ウクライナの自然はいゝですよ。あなた、きつと好きになります。文豪ゴオリキが出たところです。私、近々に帰ります。私の家に一緒に行きませんか、どうです?』

 和田は日本でエロシェンコと深い交際はなく、その性格もよく知らなかったので、少しばかり躊躇したが、汽車賃も持ってくれるので、同行することになり、いってみれば、ロシア版弥次喜多道中が始まっていくことになる。しかしエロシェンコにとっては魯迅の「故郷」にも似た八年ぶりの故郷への帰還でもあった。

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