日本評論社の「東洋思想叢書」は企画編集者の赤木健介によれば、当初全八十三冊の予定だったとされる。ただこの「叢書」は『全集叢書総覧新訂版』にも記載されていないので、赤木が挙げている長与善郎『韓非子』を入手して確認してみると、「刊行予定書目」として、「一般」三十冊、「古典解題」三十一冊、「評伝」二十二冊の明細が示されていた。
しかも著者未定は八冊だけなので、昭和十七年の戦時下においても、このような大型企画が実質的に推進されていたのは驚くに価するし、そこには「東洋思想叢書刊行の辞」も置かれているので、それにも耳を傾けてみよう。
今日、東洋の問題は世界の問題である。文化または思想の領域に於ても、数世紀にわたる欧羅巴思惟の制覇が漸く衰頽の過程に入つたことは、識者の認めらるるところである。それに代わつて、嘗て多くの場面に於て西洋の先進者であつた東洋が、その伝統と、不尽の生命力とを以て、再び世界文化を嚮導せんとする機運が迫りつつある。而してこの新しい東洋文化の座標軸となるべきものが、日本文化に外ならないことは多説を要しないであらう。本叢書は、諸権威による東洋思想文化の現代的立場に基く学問的再反省が、この機運に貢献するところ多大なるべきを信じて企画されたものである。古典への系譜は再検討はまづ本叢書から<始めらるべきであろう。広く教養人のご支援を期待する所以である。
省略を施しながら引くつもりだったけれど、あまりにもシンプルにこれまでの「欧羅巴思惟の制覇」に対して「新しい東洋文化の座標軸」をというコンセプトが語られているので、全文を引用してしまった。日本評論社のシリーズとして、『近代出版史探索Ⅲ』582で『新独逸国家大系』、本探索1253で『日本プロレタリア傑作選集』を取り上げてきたが、昭和十年代後半には時代のトレンドとしての東洋文化や思想にスポットが当たり始め、多くの類似企画が進められていたと考えられる。それらは『近代出版史探索Ⅳ』662の博文館「興亜全書」、『同Ⅳ』703、704の大東出版社「東亜文化叢書」と彰国社「東亜建築叢書』、『同Ⅴ』902の今日の問題者社「東洋民族史叢書」などに見てきたとおりだ。
(『新独逸国家大系』)
ちなみにこれらと異なり、「東洋思想叢書」は冊数が多いので全点は挙げられないが、「評伝」だけでも明細をリストアップしておきたい。
1 | 佐藤信衛 | 『仏陀』 |
2 | 浅野晃 | 『孔子』 |
3 | 大久保幸次 | 『マホメット』 |
4 | 佐藤春夫 | 『陶淵明』 |
5 | 田中克己 | 『李太白』 |
6 | 豊田穣 | 『杜子美』 |
7 | 長与善郎 | 『蘇東坡』 |
8 | 土岐善麿 | 『高青邱』 |
9 | 後藤敏瑞 | 『朱子』 |
10 | 楠本正継 | 『王陽明』 |
11 | 武田泰淳 | 『司馬遷』 |
12 | 佐藤文四郎 | 『鄭玄』 |
13 | 武内義雄 | 『顧炎武』 |
14 | 神谷正男 | 『康有為・梁啓超』 |
15 | 村野孝 | 『ゲマル・アタチュルク』 |
16 | 坂本徳松 | 『ガンディとネール』 |
17 | 高橋勇治 | 『孫文』 |
18 | 宮本正尊 | 『龍樹』 |
19 | 結城令聞 | 『世親』 |
20 | 石津照璽 | 『天台』 |
21 | 石井教道 | 『賢首』 |
22 | 竹内好 | 『魯迅』 |
(『李太白』)(『朱子』)
前回、11の武田泰淳『司馬遷』と22の竹内好『魯迅』には言及しておいたけれど、その他にどれが刊行されたのかは確認できていない。赤木によれば、十八冊刊行されたようだが、長与善郎『韓非子』はこれらの「評伝」ではなく、「古典解題」に属しているので、「一般」も含めてだと考えられる。しかし「古典解題」の丸山真男『孟子』が未刊行に終わったことはすぐにわかるとしても、全冊を調べることは難しいだろう。
(『司馬遷』)(『魯迅』)
それならば、これらの「東洋思想叢書」の著者たちがどのようにして召喚されたのかだが、武田や竹内たちの当時のポジションを考えると、これが中国文学研究会と『中国文学月報』によっていたこと、また竹内や3の大久保幸次などが『近代出版史探索Ⅲ』577の回教圏研究所に属していたことから類推すれば、主としてそれらのグループから人選が図られたと見なしてもいいかもしれない。
それに昭和四十年代に徳間書店から、竹内などによる「中国の思想」シリーズが刊行されているけれど、その企画も未完に終わった「東洋思想叢書」を継承しているように思える。
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