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古本夜話1314 吉本隆明「〈アジア的〉ということ」とヘーゲル、河野正通訳『歴史哲学緒論』

 前回の昭和十年代の東洋、支那、アジアという出版のコンセプトからただちに想起されるのは、吉本隆明の「〈アジア的〉ということ」(『ドキュメント吉本隆明』1、弓立社、平成十四年)である。その「序」にあたる「『アジア的』ということ」で、吉本はヘーゲルの歴史哲学の「余りの理想主義的な段階説」に関して、次のように述べている。

ドキュメント吉本隆明〈1〉アジア的ということ

  アジアはヨーロッパに接して交渉を持つ地域だけを問題にし、アフリカは未開、野蛮だから世界史の外に置くという理念だった。マルクスだけがこの図式に疑いをもち、原始と古典的な古代のあいだに「アジア的」という歴史段階を設定した。そこは農業とか漁業とか林業といった自然産業が大部分を占め、なかなか工業は起らず、年々歳々種を播き、実らせ、苅り取るといった同じ作業が繰り返されて、停滞した地域だったが、長年の停滞した自然産業のあいだに、ヨーロッパとは異なった産業支配の特色を生み出していった。わたしはその世界史的な意味での「アジア的」ということの入口に、立ちたいと思い、これらの論考を試みた。(後略)

 この「〈アジア的〉ということ」の最初の講演がなされたのは昭和五十四年の北九州市小倉の金栄堂が主催した会においてだった。その際の質疑応答が思いがけず、『吉本隆明全質疑応答Ⅱ 1973-1979』(論創社、令和三年)に収録されることになった。

吉本隆明 全質疑応答II: 1973~1979

 この講演の始まりとして、吉本は『試行』に「アジア的ということ」を書き継ぎ、先の一冊にそれらが収録されている。それらの論稿が助走的段階で、吉本は平成八年の西伊豆の海での事故をきっかけとして、『アフリカ的段階について』(私家版、同十年、後に春秋社、同年)を上梓するに至る。しかし『全南島論』(作品社、同二十八年)のようなかたちで、『アジア的ということ』はまとめられていないし、それは今年亡くなった弓立社の宮下和夫も気にかけていた。

全南島論

 それらのことはともかく、ここで言及したいのは、アジアやアフリカという段階説を提起したヘーゲルの『歴史哲学』についてなのである。それを吉本の「〈アジア的〉ということ」に合わせてたどってみると、最初に参照されているのは、岩波書店の武市健人訳『歴史哲学』(『へ―ゲル全集』10、11、昭和二十九年、岩波文庫上中下、昭和四十八年)のどちらかだと考えられるが、初読は前者だとしても、再読は後者だと見なすほうが妥当だろう。しかし『アフリカ的段階について』においては、長谷川宏訳『歴史哲学講義』(上下、岩波文庫、平成五年)が「引用文献」として挙げられているので、長谷川の新訳によっているとわかる。

歴史哲学講義 上 (岩波文庫 青 629-9)

 だがここでふれたいのは吉本の長谷川訳のヘーゲルのアジア、アフリカ段階への言及ではなく、昭和十三年に『歴史哲学』が翻訳刊行されていたことに関してだ。それは前回と同じく白揚社からの出版で、河野正通訳『歴史哲学緒論』としてである。その第二編第二「世界史の地理的基礎」の第三節「旧世界」において、アフリカ、アジア、ヨーロッパ段階がたどられ、ヘーゲルはアフリカを片づけた後、アジアへと向かい、ヨーロッパは旧世界の中心にして終局で絶対的に西方だが、アジアは絶対的に東方だとして、そのアジアの地理的本勢と地図の見取図を提出する。

 高い連山を貫いて諸大河が流れて、驚くべき豊穣肥沃な諸々の大盆地、一つの特有な文化の諸々の中心地を形作つてゐる。此の盆地は本来の意味で峡谷と呼ぶことができない泥地である。それはより多く本来的の意味の峡谷とその無数の分岐とを形作つてゐる、ヨーロッパの諸流域の形象とは全く異なるものである。東に向かつて流れてゐる黄河と揚子江、黄色い河と青い河(中略)とに依つて形作られた支那の盆地、及びガンジス川に依つて形作られたインドの盆地は此の種の平原に属する。

 まだ続いていくのだが、このようなヘーゲルのアジアに対する定義からマルクスのアジア的生産様式にまつわる灌漑と専制が導き出されたことが伝わってくるだろう。しかしここで指摘しておきたいのは、前回の佐野袈裟美の『支那歴史読本』の膨大なといっていい「参考文献目録」に、ヘーゲルの『歴史哲学』は原書も含め、挙げられていない。それは同じ白揚社の出版でありながら、『歴史哲学緒論』はまだ刊行されておらず、その出版は佐野の著書の翌年であることによっているはずだ。

 それに武市の岩波書店版は原書がグロックナー版、河野の白揚社版はラッソン版によっているという相違はあるけれど、岩波書店の『歴史哲学』の初訳者である鈴木権三郎、『歴史哲学緒論』の河野正通の双方のプロフィルがつかめないのである。そのことは『世界史の哲学』として訳されている改造文庫版の岡田隆平に関しても同様で、昭和十年代におけるヘーゲルの翻訳の立ち上がり経緯と事情が入り組んでいることを伝えていよう。またその事実は『歴史哲学緒論』の巻末にも顕著で、そこには『近代出版史探索Ⅳ』681でふれた『世界全体主義大系』の一ページ広告が見出せる。昭和十年代の翻訳出版市場も倒錯的環境にあり、それに転向問題も絡んで、奇怪な磁場を形成していたと考えるしかない。


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