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古本夜話1318 エロシェンコ、アグネス・アレグザンダー、バハイ教

 これも高杉一郎の『夜あけ前の歌』で教えられたのだが、「バハイ教」と題する一章があって、エロシェンコの来日と同年の大正時代の日本に、アグネス・アレグザンダーがその布教のためにやってきて、住みついていたのである。

(『夜あけ前の歌』)

 「バハイ教」に関しては『近代出版史探索Ⅳ』655で、『世界聖典外纂』における、やはり『同Ⅳ』656の松宮春一郎の「光の教」とされる紹介と解説を挙げておいた。この『世界聖典全集』の言及にしても、すでにアグネスによる布教に由来していたと推測される。だがここでは松宮の言及よりも、出典は定かでないけれど、高杉の説明のほうを参照すべきであろう。

世界聖典全集

 バハイ教は一八四四年にペルシアで、モハメッドの子孫のミルザ・アリ・モハメッドが人間世界は新しい時代に入り、新時代における大教育者があらわれるという神託をもたらしたことで始まり、彼は新時代の門を開いたとして「バブ」(ペルシア語で門)と呼ばれた。そしてペルシアで「バブ」の教えが広まり、為政者にとって大きな脅威になると、「バブ」と信徒たちは迫害され、一八五〇年に処刑され、その死骸はハイフアのカーメル山に埋められた。

 「バブ」の殉教後、高弟のミルザ・ホセイン・アリが牢獄で大教育はおまえだという神託を得て、彼は新時代の大教育者バハ・ウラー(ペルシア語で神の栄光)となり、四十年にわたる追放と幽囚の中で、布教を続けたが、一八九二年に七十五歳の生涯を閉じた。バハ・ウラーは長男のアッパス・エフェンディを指導者として指名し、彼はアドゥル・バハ(バハ・ウラーのしもべ)と呼ばれ、欧米にも布教活動を広げ、一九二一年に七十七歳で永眠したが、バハイ教信者は五大陸、百四十七ヵ国にも及び、シカゴ郊外の「バハイ礼拝堂の家」は世界五大寺院のひとつに数えられるに至っていた。

 このようなバハイ教の説明の後で、高杉は述べている。

 さてこのバハイ教なるものには、お寺も教会もなく、したがって僧侶も牧師も存在しない。礼拝の家はあるが、そこでは説教のようなことは全然おこなわれない。あらゆる宗教的背景をもったひとたち―ユダヤ教徒やキリスト教徒、ヒンズー教徒や仏教徒、それに無神論者さえ集まって、あらゆる宗教の経典を朗読し、祈ったり、冥想したりするのである。

 そして「バハイ教は、近代の合理主義的な精神を大いにとりいれた宗教」で、その精神はトルストイの思想、ザメンホフのエスペラントの内在思想としての人種一家主義(ホマラニスモ)、ゴーリキーの理性的造神運動とも通底しているのではないかと指摘されている。また高杉はバハ・ウラーの挙げたバハイ教の内実を示す「十二の原則的な教理」も挙げている。それは世界平和の確立とエスエランとの採用なども含んで興味深いが、長くなってしまうこともあり、ここではふれない。

 アグネスはホノルル大学学長のウィリアム・アレグザンダーの娘で、父の遺言により、バハイ教布教のためにヨーロッパ回りで日本にやってきたのである。それがどうしてエロシェンコとつながったかというと、彼女がジュネーヴの世界エスペラント協会を訪ねた際に、そこにいたロシア女性のアンナ・シャラーボヴァから、日本にいるエロシェンコに会うように頼まれたことによっている。

 アグネスは九段坂上の横上にあるアパートに居を定め、英語とエスペラントを用いて布教につとめた。バハ・ウラーの予言書『隠語録』(The Hidden Words of Baha’u’llah)の研究会も開いた。エロシェンコは彼女の助力を得て、『隠語録』をエスペラントに訳し、それを持って秋田雨雀を訪れ、日本語への翻訳も頼んでいる。アグネスの部屋に集った人々はエロシェンコの他に福田国太郎、望月百合子、秋田雨雀などで、エスペランティストではなかったが、神近市子も『東京日々新聞』の記者として取材に訪れたことで、アグネスの部屋の常連になっていた。福田は『日本アナキズム運動人名事典』にも立項があるように、アナキストとしてのエスペラント運動に邁進した人物で、エスペラント文芸誌『緑のユートピア』を刊行し、エロシェンコの講演の通訳も担ったとされる。

The Hidden Words of Baha'u'llah: Illustrated by Corinne Randall (Baha'i Books) ( The Hidden Words of Baha’u’llah) 日本アナキズム運動人名事典

 高杉はこれも大正四年付のアグネスとエロシェンコの並立写真を掲載し、エロシェンコもバハイ教信者ではなかったにしても、それに強く心を引かれていたことは確かだと述べている

 『近代出版史探索Ⅲ』563で、『秋田雨雀日記1』に見える神智学者であるフランス人リシャール夫妻のことにふれているが、この二人にバハイ教のアグネスやエロシェンコも加えられるのである。それゆえに、大正時代後半はまさに『近代出版史探索』104の『世界聖典全集』が編纂刊行される時期にふさわしかったことを今さらながらに気づかされる。そうして出版物が時代の合わせ鏡のように残されたことにもなろう。

秋田雨雀日記


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