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古本夜話1319 エロシェンコと『神近市子自伝』

 前回、神近市子がバハイ教のアグネス・アレグザンダーの部屋の常連であったことにふれた。高杉一郎は『夜あけ前の歌』において、主として『秋田雨雀日記1』に基づくと思われるが、「エロシェンコはとりわけ神近市子がすきであった」と記し、続けて次のように述べている。

(『夜あけ前の歌』)秋田雨雀日記

 神近市子は、エロシェンコにとっては日本人として最初の女ともだちであったが、どこか郷里にいる妹のニーナを想いださせるところがあり、またロンドンでエロシェンコが好きだった女友だちに声がよく似ていた。一般に、日本の女は、ひとに問いかけられても、「然り」か「否」かさえもはっきり答えないで、ひどくじれったいが、神近市子だけは例外で、なんでもハキハキとものを言ったし、エロシェンコが得意とする皮肉や悪口にたじろがないばかりか、それよりももっと鋭い皮肉や悪口で応酬してきた。それが、エロシェンコにとっては、なんともいえないよろこびをあたえた。

 それだけでなく、エロシェンコは神近にインド旅行を提案したり、彼女の大杉栄、伊藤野枝との三角関係にまつわる助言もしているし、神近が大杉を刺した日蔭茶屋事件による二年ぶりの出獄を迎えたのはエロシェンコと秋田だった。またこれは高杉も証言しているように、エロシェンコの日本での版権は神近に譲られていたのである。

 ところが戦後の「わが愛わが戦い」とある『神近市子自伝』(講談社、昭和四十七年)において、このようなエロシェンコとの交流は「あとがきにかえて」にとどめられているだけで、本文では迂回されているニュアンスが感じられる。エロシェンコと秋田雨雀が彼女の出獄の際に迎えにきてくれたことは書かれているけれど、二人との出会いは明治末とあるので、時代を間違えてもいる。

 ただ神近は戦後の五期にわたる衆議院議員を務め、それなりに功成り名遂げる晩年の自伝であることに加え、昭和四十五年には彼女と日蔭茶屋事件をテーマとする、吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』に対して、名誉棄損、プライバシー侵害で訴えたこともあり、ナーバスな状況においての自伝刊行だったことも考慮すべきだろ。それゆえに大杉栄との事件はともかく、それ以外の若い日のエロシェンコやバハイ教のアグネス・アレグザンダーとの交流に深くふれることは避けたかったのかもしれない。

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 しかしそれ以外のエロシェンコや大杉などと密接に関係する社会主義者たちにはかなり詳細に言及していて、神近ならではの証言となっているのである。例えば、本探索1306の和田軌一郎と労働社、その小新聞『労働者』に関するものだ。大正九年に彼女は評論家の鈴木厚と結婚して青山学院の裏門近くの家で新しい生活を始めるのだが、そこを訪ねてきたのが吉田一や和田で、いつの間にかその新居が労働社と『労働者』編集の場となってしまった。彼らは大杉からの離反者で、神近の出獄後のポジションがうかがわれるような社会主義陣営の流動といえるだろう。そこにはやはり大杉に批判的な宮嶋資夫の存在も作用していたようだ。

 その余波は大正十年のメーデーに於ける吉田の検束や和田の活躍、エロシェンコの追放などに加えて、続けざまに吉田、和田、高尾平兵衛の金の無心として生じていた。後に判明したのはそれがモスクワの極東勤労者大会に向かうための資金でもあったのだ。また同じく、モスクワからの連絡係久板卯之助の伊豆における凍死も語られている。それにどうも神近夫妻の家はモスクワ帰りの吉田たちの秘密の集会所、彼女の言葉を借りれば、「静かな修羅場」と化し、当時の有力な印刷工組合などの幹部が召集されるアジトのようになってしまったのである。つまりいってみれば、吉田や和田などの帰還者のための後方支援の場を形成していた。

 そうした事実は『神近市子自伝』にしか語られていないし、印刷工組合をたどった水沼辰夫『明治・大正期自立的労働運動の足跡』(JCA出版、昭和五十四年)にしても、吉田や和田のモスクワ行きとその帰還に関してはふれられているけれど、その活動の主たる場が神近の家だったことへの言及は見当らない。ある意味で、その家は奇妙なアナキズムとボルシェヴィズムの緩衝地帯だったといえるのかもしれない。

(『明治・大正期自立的労働運動の足跡』)

 だがそれだけで話は終わらないし、高尾と吉田は大正十二年六月に赤化防止団の米村嘉一郎を襲い、逆に拳銃で撃たれ、前者は即死し、後者は足を負傷し、神近のところに逃げこんできたのである。高尾の葬式の日には有島武郎心中事件も報道され、九月には関東大震災が起きて、大杉たちが虐殺される。その後の十一月には突然和田が姿を現わした。彼もまたモスクワから、しかも本探索1306で既述しておいたように、エロシェンコとの小旅行の後に帰ってきたのだった。その後の吉田や和田の消息は確かめていないけれど、神近は『近代出版史探索Ⅲ』438の長谷川時雨と、『同Ⅵ』1054の生田花世の誘いにより、『同Ⅲ』437の『女人芸術』に加わり、文学と編集と翻訳の道を歩んでいることになるのである。


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