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古本夜話1320 『女人芸術』創刊号

  前回、神近市子が長谷川時雨と『近代出版史探索Ⅵ』1054の生田花世に誘われ、『女人芸術』に加わったことにふれた。

 (『女人芸術』創刊号)

 私は「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)を始めとして、『近代出版史探索Ⅲ』434、435などで、三上於菟吉と長谷川時雨が関わった出版社に言及しているし、『同Ⅲ』437においては時雨と『女人芸術』と女人芸術社にもふれている。だがその際にはまだ『女人芸術』の実物を見ていなかったけれど、後に近代文学館編、講談社刊行の「複刻日本の雑誌」を入手し、『女人芸術』創刊号に目を通すことができたのである。

文庫、新書の海を泳ぐ―ペーパーバック・クロール

 この「複刻」には菊判の『女人芸術』よりもひと回り大きい『青踏』も見出され、『蕃紅花(さふらん)』はないけれど、あらためて神近が『青踏』『蕃紅花』『女人芸術』の同伴者だったことを実感させてくれる。彼女がこのような明治、大正、昭和の三代にわたる女性による文芸雑誌に一貫して寄り添ってきた「新しい女」の一人だとわかる。だがそうした事実を追っていくときりがないので、ここでは『女人芸術』だけにとどめたいし、その証言を引いてみる。

 『女人芸術』は昭和三年七月に創刊された。編集会議は長谷川女史のお宅で開かれ、資金面は夫君の三上於菟吉がカバーしてくれた。当時の婦人文筆家で、この雑誌に執筆しない人はないだろう。表紙の絵も女流作家に依頼し、創刊号の巻頭写真にはソ連にp旅行中の中条(宮本)百合子の近影が選ばれた。私は山川菊栄女史といっしょに、主として評論を書いた。
 林芙美子が『放浪記』を連載して一躍流行作家の列に入り、上田(円地)文子が戯曲『晩春騒夜』を発表して小山内薫に認められたのもこの『女人芸術』である。この雑誌では、上記の人々のほかに生田花世、岡田禎子、板垣直子、大田洋子、中本たか子、矢田津世子、真杉静枝らが活躍した。

 この証言に『女人芸術』創刊号を照合してみる。創刊が昭和三年の円本時代だったのは、その前年に平凡社の『現代大衆文学全集』32として、『三上於菟吉集』が刊行され、ベストセラーとなっていたからで、その印税が三上から提供されたのである。さらに『同全集』には続刊二冊の収録も決まっていたはずで、それらの印税も『女人芸術』の資金源となったと思われる。

三上於菟吉集 (現代大衆文学全集 第32巻)

 そうした事実は本探索でも繰り返し指摘してきているが、その創刊が円本時代であるばかりでなく、プロレタリア文学の時代に他ならなかったことを知らしめるのは、神近も挙げている「ソ連旅行中」の中条百合子たちの「巻頭写真」であろう。そこには「モスクワにおける中条百合子氏の近影」として、彼女の他に、秋田雨雀、湯浅芳子、鳴海完造、ニキチナが並び、長谷川時雨のイメージとは異なるが、『女人芸術』の出発に当たっての時代のトレンドをうかがうことができよう。

 雨雀とロシア女性のニキチナのことはこれからもふれるので、ひとまずおく。また百合子と湯浅芳子の関係はすでに『近代出版史探索Ⅳ』657で取り上げているし、鳴海完造はこれも拙稿「叢文閣、足助素一、プーシキン『オネーギン』」(『古本屋散策』所収)で、彼が十年に及ぶソヴエト滞在者にして、『オネーギン』(岩波文庫、昭和二年)の翻訳者だったことを既述しておいた。それらのことから考えると、当時の「女人」にとって、このような百合子たちの写真はアイコンでもあったことを伝えていよう。

古本屋散策

 それに続く「評論」には神近が語っているように、山川菊栄「フェミニズムの検討」、神近「夫人と無産政党」、望月百合子「婦人解放の道」が三本立てのように位置し、中条百合子達の写真とのコレスポンダンスを示している。それにここでの山川の「フェミニズム」のタームの仕様はきわめて早いものではないだろうか。それに合わせるように、『文藝春秋』にならってか、「文壇人気番付」の他に「新興文壇番付」も掲載され、それは「フェミニズム」から見られた「男性番付」を想起させ、何となくおかしい気にもさせられる。ちなみに三上は前者の東方大関を占め、時雨の顔を立てているとも見受けられる。

 翻訳はこれも拙稿「片山廣子『翡翠』」(『古本屋散策』所収)などの松村みね子がリアム・オッフラハアティ「野にゐる豚」、本探索1205の八木佐和子がドーデ「アルルの女」の翻訳を寄せているのは意外でもあった。複刻のほうの表紙は目次に示されているように、植原久和代の「夏の香」で、ブドウやミカンなどを描いた静物画で、「婦人より見たる作家番付俳優番付」との帯が巻かれている。ところが『日本近代文学大事典』第五巻の「新聞・雑誌」における『女人芸術』創刊号の書影は異なっている。それは『近代出版史探索Ⅲ』437で指摘しておいたように、第一期『女人芸術』のほうの創刊号で、大正十二年に元泉社から出され、関東大震災の被害を受け、二号で終わってしまったのである。したがって、昭和三年創刊のほうは第二期ということになる。

(第一期『女人芸術』創刊号)

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