前々回もふれたように、望月百合子は百合名義で、大正十三年に新潮社からアナトオル・フランスの『タイース』を翻訳刊行している。『タイース』は『近代出版史探索Ⅴ』810で、『舞姫タイス』として取り上げているし、望月訳はこれも同815で挙げておいた「現代仏蘭西文芸叢書」としての一冊である。この「叢書」は紅野敏郎『大正期の文芸叢書』にも見出せるので、それらのラインナップを示す。
1 | アンドレ・ジッド | 山内義雄訳 | 『狭き門』 |
2 | アナトオル・フランス | 小林龍雄訳 | 『我が友の書』 |
3 | ピエェル・ロテイ | 和田伝訳 | 『ラマンチョオ』 |
4 | アナトオル・フランス | 平林初之輔訳 | 『白き石の上にて』 |
5 | ポオル・モオラン | 堀口大學訳 | 『夜ひらく』 |
6 | アンドレ・ジッド | 石川淳訳 | 『背徳者』 |
7 | ルイ・フィリップ | 井上勇訳 | 『ビュビュ・ドゥ・モンパルナッス』 |
9 | ポオル・モオラン | 堀口大学訳 | 『夜とざす』 |
10 | アナトオル・フランス | 望月百合訳 | 『タイース』 |
11 | ポオル・ジェラルディイ | 岡田三郎訳 | 『銀婚式』 |
12 | アンリ・ドゥ・レニエ | 鈴木斐子訳 | 『生ける過去』 |
この「現代仏蘭西文芸叢書」で『タイース』の巻末広告において、どうしてなのか、6までが掲載されているが、それ以降は見えていない。ここで8が抜けているのは、紅野によれば、編集の手違いだとされている。そのことはさておき、これは「吉江喬松氏監選」と銘打たれているように、『近代出版史探索』189などの吉江の現代フランス文学者兼企画編集者としてのセンスが発揮され、ここでジツド、フランス、フィリップ、モオランなども本格的に紹介され始めたといえよう。紅野は「大正末から昭和にかけてのわが国の近代文学者の聖典の如きものになった」と指摘している。とりわけ5のモオランの『夜ひらく』が新感覚派に与えた影響は、先の拙稿でも既述しておいたとおりだし、6の石川淳訳『背徳者』も特筆すべきだろう。
訳者たちは主として早稲田の吉江の関係者、東京外語出身者で占められ、三田の堀口はともかく、「望月百合(百合子)などは特別の人」の感があると紅野は述べている。彼にとって、望月の「山梨の山人会の会長もしておられ、山梨県立文学館の創設の構想準備段階から熱心に参加され、オープン後もしばしば来館、百歳に近い現在もお元気そのもの」という姿に接していたので、彼女の若き日の翻訳を示すに際して、感無量の思いが生じたのであろう。私にとっては前回の大日向村のこともあるので、ここで望月と3の和田伝が並んでいることに注目してしまう。
それならば、和田のロテイはともかく、どのようにして「特別の人」による『タイース』の翻訳は成立したのだろうか。彼女の「一九二四・四・一六/巴里にて」とある「訳者の序」を読んでみると、この日がフランスの八十歳の誕生日で、それを記念して『タイース』の翻訳原稿を日本へと送るに際して、この「訳者の序」もしたためられたとわかる。彼女によれば、二四年八月にパリで有島武郎の情死を知らされた。彼女にとって「有島先生は文学者としても私の敬愛してやまぬ一人でした。私も他の人々のやうに先生の作品が好きで、先生の『人』それ自身を敬ひ愛する者」だったのである。
有島の死は望月の神経衰弱をエスカレートさせ、その病気を紛らわせようとして、『タイース』の翻訳を思い立つ。それは有島とフランスに同じ人道的愛を見出し、前者もまた後者の愛読者だったことも挙げているが、望月は『タイース』に情死した有島と波多野秋子の関係を重ねているように思われる。『タイース』の物語は先の『舞姫タイス』のところで提示しているが、ここでもう一度そのシノプシスを簡略に紹介してみる。
原始キリスト教の指導者パフニュスは世俗生活の頃に見た舞姫タイースを思い出し、彼女を生活から清めようとして、アレクサンドリアに向かい、説得して尼僧院に入れる。だがこの時から彼はタイースの魅力に取りつかれ、それを忘れるために苦行に励み、名声は高まるけれど、悩みは募るばかりだった。そこにタイースの臨死の知らせが届き、彼が駆けつけると、彼女は信仰のうちに平安な死を迎えようとしていた。そこでパフニュスは叫ぶ。死んではならぬ、神も天国もつまらない、地上の生命とその恋だけが真実なのだと。その彼のわめき立てる形相を見て、尼僧たちは「吸血鬼!」だと叫び、逃げ出してしまう。
この物語に関する注釈と読解は繰り返さないが、望月訳『タイース』に込められた心情は、パフニュスが有島武郎、タイースが波多野秋子ということになるだろう。それは有島情死事件が望月を始めとするフェミニズム陣営の女性たちに与えた衝撃の一端を物語っているように思える。望月が「私にとっては恩師でもあり、心の父でもある。石川三四郎先生の御校閲を経て公にすることができるなら」とも記しているのは、そのことを意味しているのではないだろうか。そうして石川を通じ、吉江、もしくは「現代仏蘭西文芸叢書」関係者のところに持ちこまれ、刊行されたのではないだろうか。
ちなみに紅野によれば、1の山内義雄の夫人の山内緑は『女人芸術』同人の小池みどりであるという。そのことを考えると、12の鈴木斐子はプロフィルがつかめないが、そちらのラインからの翻訳者かもしれない。私はそれを『生きている過去』(窪田般弥訳、桃源社)として読んでいるが、この女性がその初訳者であることをここで初めて知った。
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