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古本夜話1327 加藤シヅエ『ある女性政治家の半生』とマーガレット・サンガー『性教育は斯く実施せよ』

 前回、加藤シヅエ『ある女性政治家の半生』に関して、石本静枝時代をラフスケッチしただけなので、表記を加藤に代え、もう一編続けたい。

 加藤シヅエ―ある女性政治家の半生 (人間の記録) (日本図書センター復刻)

 加藤は大正九年に渡米し、ニューヨークでバラードスクールに籍を置き、速記タイプライターなどを主とする秘書学の勉強を始めた。その一方で、マーガレット・サンガーのバースコントロール運動を知り、親交のあったアグネス・スメドレーを通じて、サンガーという「生涯の師との出合い」が実現したのである。それは何よりも、加藤の三池炭鉱体験に起因し、彼女の言葉を引けば、「私の頭の中には、三池炭鉱の、あの子だくさんの家庭の有様が浮かび上がり」「この方法を炭鉱のお母さんたちに教えて上げたい」と思ったからだ。サンガーは彼女にいうのだった。「自分の性生活をコントロールする方法を知らなくては、女性は自分自身を解放することはできません」と。

 本探索1289の『エマ・ゴールドマン自伝』においても、この時代の産児制限闘争でのエマとマーガレットとの共闘、及びその離反が語られているし、アグネス・スメドレーに関しても、後述するつもりでいる。そのようなニューヨークのフェミニズムと産児制限闘争の場に加藤も立ち合っていたことになる。

エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 大正十年に帰国すると、加藤はサンガーの産児制限の共鳴者として日本のジャーナリズムでも知られ、翌年には改造社がバートランド・ラッセル、アインシュタインに続いて、サンガーを日本に招くことになった。「産めよ殖やせよ」の「富国強兵」の時代にあって、産児制限を唱えるサンガーの来日は報道合戦を引き起こし、ビザや講演などの問題も生じたが、加藤たちの世話によって、無事に乗り切られた。

 この来日と加藤のことはエレン・チェスラー『マーガレット・サンガー』(早川敦子監訳、日本評論社、平成十五年)でも言及され、サンガーの言として、「私の訪日を通して、産児制限についての関心が高まった様子には本当に驚きました」「まる一週間にわたってこの問題についての見出し、一面記事、論説がこの国の各紙の紙面をにぎわしたのです」が引かれている。また同書には特別寄稿「加藤タキ 母、加藤シヅエを語る」も収録され、昭和二十九年のサンガー再来日の時の三人を含んだ集合写真も掲載されていることを付記しておこう。

マーガレット・サンガー―嵐を駆けぬけた女性

 その後加藤は産児制限相談所を開設し、講演活動に携わる一方で、サンガーの『文明の中枢』も翻訳刊行しているようだが、これは未見である。だがチェスラーの評伝には来日時にすでに翻訳が出され、読まれていたと記されている。実は最近、浜松の時代舎で、サンガーの『性教育は斯く実施せよ』を入手している。これは大正十三年に烏山朝夢訳として朝香屋書店からの刊行である。朝香屋は『近代出版史探索』17で伊藤竹酔が梅原北明訳『デカメロン』を出版し、イタリア大使館も利用したプロパガンダで評判になったことを既述しておいた。また同58で、サンガーと並ぶ英国の産児制限運動家のマリー・ストープス『結婚愛』も朝香屋から出されていることにも言及している。

 ただサンガーの『性教育は斯く実施せよ』の奥付発行者は伊藤ではなく、大柴四郎であり、彼は『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

大柴四郎 おおしば・しろう 一八五六~一九二九(安政三~昭四)朝香屋創業者。大分県生れ。一八八三年(明一六)上京、東京稗史出版社につとめた後、八六年(明治一九)神田鍛冶町に朝香屋を創業、はじめは三遊亭円朝の口述講談本などを出版したが、翌年から医学書の出版を専門とした。九二年(明治二五)、一専門分野の団体として最も早くできた医書組合の初代組長をつとめたほか、東京書籍出版営業組合協議員を経て、一九一〇年(明治四三)から一五年(大正四)まで東京書籍商組合組長をつとめた。また日本書籍株式会社取締役、東京書籍株式会社常務取締役などもつとめた。朝香屋は昭和初期閉店した模様。

ここに見られる朝香屋と大柴のプロフィルからすれば、大柴は近代出版業界の重鎮と見なすべきだろう。それに対して初版発禁のストープスの『結婚愛』やサンガー『性教育は斯く実施せよ』はそぐわないし、朝香屋二代目としての伊藤竹酔のセクソロジーやポルノグラフィー文献の出版企画の系譜上に成立したと判断すべきだろう。しかも訳者の烏山は「文部当局に感謝の辞」を掲げ、教育者は同書を読むことで、性的知識に熟通すべしという文部省声明を発しているとの断わりを入れている。

 この烏山は同じくサンガー『処女愛』(文省社、大正十四年)の訳者の矢口達ではないかと当初は思っていたけれど、このようなパフォーマンス的仕掛けからすれば、梅原北明だと考えるしかない。この時期に昭和艶本時代は用意され始めていたのである。

 

 また最後になってしまったが、石本静枝が再婚する加藤勘十とは、彼女に足尾銅山での講演を依頼したことで初めて出会っている。彼は大正九年に結成された全日本鉱夫総連合会の書記を務めていた。その事実からすれば、加藤は本探索1288の田口運蔵、同1298の片山潜、近藤栄蔵、同1303の永岡鶴蔵たちともつながっていたことになり、当時の社会主義運動における炭鉱と鉱夫の重要性をあらためて教示してくれる。それは『近代出版史探索Ⅵ』1180などのゾラの『ジェルミナール』の翻訳とも密接にリンクしていたのである。

ジェルミナール


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