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古本夜話1329 中西悟堂と『野鳥』

 前々回、石川三四郎の近傍の人脈として中西悟堂の名前を挙げたが、彼は思いがけないことに『日本アナキズム運動人名事典』にも長く立項され、それは『日本近代文学大事典』も同様なので、悟堂にまつわる一編も書いておこう。

日本アナキズム運動人名事典 日本近代文学大事典

 小林照幸の「評伝・中西悟堂」とある『野の鳥は野に』(新潮選書、平成十九年)はタイトルが示しているように、昭和に入ってからの「日本野鳥の会」創立者としての悟堂に焦点が当てられている。そのためにアナキスト系文学者としての悟堂についてはほとんどふれられていない。それでも晩年になってからだが、その創刊にも関わった悟堂の『愛鳥自伝』(平凡社ライブラリー上下、平成四年)が残されているので、その前半生をラフスケッチしてみたい。

野の鳥は野に―評伝・中西悟堂 (新潮選書)  愛鳥自伝〈上〉 (平凡社ライブラリー) 愛鳥自伝〈下〉 (平凡社ライブラリー)

 悟堂は明治二十八年に金沢市に生まれ、十六歳で調布市深大寺において得度し、大正二年に東京駒込の天台宗学林に学び、愛媛県新居浜の瑞応寺で禅生活を送る。それとパラレルに『近代出版史探索Ⅵ』1023の内藤鋠策の歌誌『抒情詩』に同人として加わり、大正五年には歌集『唱名』(抒情詩社)を上梓し、同七年にはこれも拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)の東雲堂に入り、『短歌雑誌』の編集に携わる。また同十年にはやはり『同Ⅵ』1052の詩話会同人として『日本詩人』などに詩を発表し、翌年には処女詩集『東京市』(抒情詩社)を刊行史、アナキズムや社会主義運動へと接していく。大正時代に彼は僧侶、歌人にして詩人、それに編集者でもあったのだ。

 このような悟堂の前史というものに注視してこなかったので、石川三四郎との接点もいまひとつ不明のままだったことになる。そして大正十五年に悟堂は三十歳を迎え、僧職を離れ、野鳥と暮らすかのように木食生活に入る。それが「日本野鳥の会」創立の端緒であり、先述の小林の紹介のほうが悟堂の『愛鳥自伝』の記述よりも簡にして要を得ているので、そちらを引いたほうがいいだろう。

 そして、東京府北多摩郡千歳村(現在の世田谷区烏山付近)の山谷の一軒家を、五年分(『愛鳥自伝』では二年分―引用者注)の家賃を前払いして借りた。それから約三年半、米食と火食を断った木食採食生活に入ったのである。主食は水でこねた蕎麦粉だった。茶碗も箸も用いない。木の葉や野草は塩で揉んで食した。
 風呂の代わりに川に入り、雑木林の中に敷いたゴザの上を書斎として、多くの書に触れた。ソローの『森の生活』を耽読し、さらにホイットマン、タゴールの詩に傾倒した。仏教のふるさとであるインドの古代から現代に及ぶ思想史の造詣を養ったのもこの時期である。木食生活は自然との一体感を養い、鳥、昆虫、魚、蛇などをじっくり観察する時間でもあった。

 こうした生活に加えて、『愛鳥自伝』における悟堂の証言によれば、千歳村の周辺には半農生活を営む石川三四郎の他に、田園生活を唱える尾崎喜八、百姓生活の実践者江渡狄嶺、『近代出版史探索』184の農民文芸会とその機関誌『農民』によっていた加藤武雄、鑓田研一、それに『同Ⅴ』807の徳富蘆花もいて、木食生活はともかく、石川のいう「土民生活」の実践がトレンドであったともいえよう。実際に悟堂は石川とも親交し、それゆえに『ディナミック』の寄稿者にもなったのだろう。

 しかし悟堂の本来の野鳥家としてのターニングポイントは木食生活を切り上げ、井荻町善福寺へと移り住んでからで、鳥の放し飼いを始め、「鳥は野にあるべき。野の鳥は野に、鳥とは野鳥であるべし」との心境に達した。そして鳥のすみかは日本中の山林、原野、水辺で、野鳥を守ることは日本の山河を守ることになるのだと。野鳥というタームが悟堂によって唱えられ、それに賛同したのは英文学者の竹友藻風で、柳田国男も竹友に続き、昭和九年に「日本野鳥の会」が発足し、悟堂方の同会を編集所として、梓書房から『野鳥』が創刊される。そのきっかけは梓書房から竹友が『文学遍路』、柳田が『秋風帖』を刊行していたことによっている。

  秋風帖 (1932年) (『秋風帖』)

 梓書房は拙稿「人類学専門書店・岡書院」(『書店の近代』所収)の別会社で、私もすでに「柳田国男『秋風帖』と梓書房」(『古本屋散策』所収)を書いている。岡書院の岡茂雄は『[新編]炉辺山話』(平凡社ライブラリー)において、梓書房とその仕事をまかせた「S」=坂口保治に言及しているけれど、そこでは『野鳥』に関して何も語っていない。悟堂のほうも『愛鳥自伝』で坂口にふれているが、岡と同様に気の毒なほどの扱いで、引用をはばかるほどだ。

新編 炉辺山話 (平凡社ライブラリー)  書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 手元に出版科学総合研究所によって復刻された『野鳥』創刊号がある。A5判本文七八ページは四ページの写真も付され、探鳥というテーマゆえに、写真ページも不可欠だとわかる。それに悟堂を司会者とする竹友、柳田など十二人の「野鳥の会座談会」は『野鳥』創刊に至る経緯と事情が語られ、彼らが悟堂を中心として熱心に盛り立て、創刊となったことが伝わってくる。発行人は岡茂雄となっているが、実質的な編集実務は坂口が担ったと考えてよかろう。しかしよくある編集者の常として、その後の坂口の消息は不明のままだ。

 私は平野伸明『野鳥記』(福音館書店、平成九年)をよく見ているが、この大型の写真集も起源をたどれば、『野鳥』ということになるのだろう。昭和十年に悟堂は『野鳥と共に』(巣林書房)という一冊を出し、よく売れたようで、野鳥のタームも定着したとされるが、古本屋でも出会っていない。

野鳥記 (写真記シリーズ)


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