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古本夜話1330 阿部真之助『現代世相読本』

 『神近市子自伝』に戻ると、そこには思いがけない人物が出てくる。それは神近の東京日日新聞社の婦人記者としての社会的ポジションと英語ができる女性という評判が作用していたのであろう。ところがそうしたキャリアも、大正五年に大杉栄との恋愛問題で反故にされてしまった。そこで頼ったのは玄文社の結城禮一郎で、神近は彼の私設秘書のようなかたちで庇護され、それは十数年に及んだとされる。結城に関しては「結城禮一郎の『旧幕新選組の結城無二三』(『古本探究』所収)を書いているので、よろしければ参照されたい。

 古本探究

 もう一人は阿部真之助である。彼は東京日日新聞の部長で、神近は結城と同様に、長きにわたって世話になったと述べている。私などの戦後世代にとって阿部はNHK会長のイメージが強いが、意外なことに『日本近代文学大事典』にも立項され、戦前はよく知られたジャーナリストだったとわかる。それによれば、明治十七年埼玉県熊谷生まれ、東京帝大社会学科卒で、東京日日新聞社を経て、大正三年に大阪毎日新聞に転じ、社会部長時代に吉川英治を起用し、『鳴門秘話』を連載させた。昭和四年東日部長、八年学芸部長として、社友顧問に菊池寛、久米正雄、横光利一などを迎え、長谷川時雨、野上弥生子たちの女流作家の東紅会を結成するといった東日学芸部全盛時代を築いたとされる。

 これによって、ずっと前に阿部の『現代世相読本』(東京日日新聞社、大阪毎日新聞社、昭和十二年)を均一台から気まぐれに拾っていたのだが、発行所が二社となっている理由を理解した。東京の最初の日刊紙『東京日日新聞』は明治四十四年に『大阪毎日新聞』の傘下に入り、昭和十六年に『毎日新聞』に統一されることになるので、実質的に同じ新聞社だったのである。

 その『現代世相読本』は「政治論」「時事論評」「人物論」「婦人論」にわたる百二十編余の阿部の「毒舌」の集積で、おそらく昭和十年から十二年にかけて両社や様々な雑誌に掲載した「世相読本」だと思われる。

『神近市子自伝』で挙げられている「人物論・神近市子」は収録されていないけれど、「婦人論」の昭和五十一年五日付の「新聞記者の観た話題の婦人」で、村岡花子、神近市子、長谷川春子、平塚雷鳥、山川菊栄、吉岡弥生、吉屋信子、与謝野晶子、河崎なつの九人の女性を取り上げている。そしてその中でも神近市子が最も長く、親近感がこもっているし、彼女の阿部への言及も同様なので、やはり紹介しておくべきだろう。阿部は自ら「旧弊人」で、「淑女」と交際する機会はまったくなかった。それは男性に対して、「良家」は「絶対に門戸を閉鎖して居た」からで、接触するのは「余り名誉ならぬ職業の婦人方」に決まっていたとして続けている。

 自然私は、女の友達といふものを持つて居ない。たつた一人、神近市子君だけは、その除外例である。神近さんでは友人らしくない『君』と云はして貰ほう。神近君を知つたのは、私にとつては全く女性に対する新発見であり、驚異でもあつた。(中略)
 私が東京日日社へ入社して、三四年して、神近君が同じ社にやつて来た。左様二十年ももつと以前のことだつたから、私が若かつた如く、神近君も若かつた。そこでこの、若き美人と、美青年(?)との間に、恋愛関係でも持ち上りでもしたのだつたならば、それこそ天下の一大事で、一篇の映画物語位にはなつたであらうが、あの頃どうしてあんなに、淡々たる付き合いが出来たものか、今から考へても不思議でたまらない。多分、恋愛を求める対象が、正反対の方向を指して居たせいかも知れない。(中略)
 ある晩、晩飯に呼ばれて、神近君の下宿を訪ねたことがある。そこで、現在の山川均氏夫人、当時の青山菊栄さんも来合わせてゐた。牛肉を突きながら、どんな話をしたが忘れてしまつたが、何でも、何かの議論をおつ始じめて、二人の御婦人に、さんざん凹まされたやうに覚えてゐる。それは口が達者といふ計りでなかつた。頭脳の冷徹さに於て、世の中への知見の該博さに於て、なまけ坊主で酒くらひの、私なんぞは、太刀討ちのしようが無かつたのであつた。(中略)それにしても、あの人達は、私の持つ、女性の概念とは、全く別のカテゴリーに所属するのであつた。これが私の女性観を一変させた。一変しないまでも、女を見る目を、非常に遠慮深くさせたことに間違ひない。

 『青踏』に象徴される「新しい女」の出現に阿部という「毒舌」ジャーナリストがどのように対処したかが率直に語られているので、あえて長い引用を試みた。あまりにも散文的にして通俗的であるにしても、彼の「女性観」を一変させた「驚異」の事件であったことがよくわかる。しかし本探索1320の『女人芸術』創刊号の山川、神近、望月の「評論」三本立てが示しているように、「フェミニズム」の道はまだ遠かったのである。
 
  

 それに加えて、彼女たちのアイコンも問われなければならない。女性のアイコンが中條百合子たちだったように、男性アイコンは青山にとってはコミュニストの山川均、神近にとってはアナキストの大杉栄に他ならず、阿部のようなジャーナリストとの「恋愛関係」は「天下の一大事」でもなく、「一篇の映画物語」は成立するすべもなかった。神近は大杉との「恋愛関係」に向かい、それこそ「天下の一大事」的事件となり、戦後になって「一篇の映画物語」のテーマともされてしまったのである。

 阿部の死は昭和三十九年で、吉田喜重の映画『エロス+虐殺』の上映は同四十五年、『神近市子自伝』の刊行は同四十七年である。阿部が存命であったならば、映画と彼女の自伝にどのような戦後の「世相」を見たであろうか。

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