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古本夜話1333 下中弥三郎『維新を語る』と維新懇話会

 前回の維新社だが、『平凡社六十年史』はダイレクトに言及していないけれど、昭和六年の『大百科事典』の刊行後、満州事変などを背景として、下中弥三郎の社会活動が活発になっていったことが記述されている。これを補足しているのは『下中弥三郎事典』の「維新懇話会」の立項である。そうした下中の動向は農本主義に基づくナショナリスト的なポジションから国家社会主義への移行であり、政治運動としても表出していた。それを簡略にトレースしてみる。

 下中は昭和七年に結成された日本国民社会党準備委員会、後の新日本国民同盟、やはり同年の日本国家社会主義同盟などの中心メンバーとなり、前者の総務委員長、後者の顧問を引き受けていた。下中の政治活動で重要なのは新日本国民同盟との関係で、その綱領は資本主義的機構に基づく政党政治を打破し、天皇親政による独裁制と翼賛体制を樹立し、統制経済を推進しようとするものだった。対外的には列強資本主義のアジアからの追放と東亜新秩序の建設がスローガンで、昭和維新を叫ぶ革新派の青年将校や民間右派の関心を高めたとされる。

 そのために国民思想研究所機関誌『国民思想』が創刊され、そこに掲載された下中の「日本再建の原則と天皇政治の本義」は新日本国民同盟パンフレットとして出版された。そしてさらに昭和八年からは新日本国民同盟のアジア政策をコアとする大亜細亜協会が発足し、機関誌『大亜細亜主義』も創刊され、そこでも下中は健筆をふるい、後に理事長も務めることになる。

 こうした下中の活動から彼自身による『維新を語る』が生み出されたのであり、『国民思想』や『大亜細亜主義』と異なり、昭和九年に平凡社から刊行されている。手元にあるのは裸本だが、四六判上製五六九ページ、総ルビで『現代大衆文学全集』を想起させるし、実際に第一章「ペルリ来航と国論沸騰」から第十二章「戊申戦争と江戸開城」までがまさに新講談=「現代大衆文学」のような語り口で進められていく。つまり嘉永六年六月のペルリ来航から明治元年五月の上野戦争までの十五年間の歴史がそのようにして語られ、しかもそれは下中が『国民思想』に連載したものであった。彼はそのことも含め、「巻頭に一言」で次のように語っている。

  江戸川乱歩集 (現代大衆文学全集 第3巻) (『現代大衆文学全集』)

 昭和維新の機運が日に日に濃厚になるに伴れて、ふりかへつて明治維新の行程と真相を知りたいといふ欲求が若き人達の間に俄に高まつて来た。「維新史の研究には何を読めばよいか。」さういふ質問をしばゝゝ受ける。そんな時私は、サアと首をかたむけて考へて見る。どうも適当な本が出版されてゐない。学術的には、よい本であつても、偏よつた部分的の叙述である。一般に亘るものは簡に過ぎたり、学究的で読みづらくあつたり。

 ということで、自分の『国民思想』連載の維新物語が好評だったこともあり、一冊にまとめたと述べている。そして口絵写真に西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作を一ページ掲載し、大久保利通、伊藤博文、岩倉具視、木戸孝允は明治五年の洋行中の集合写真で示し、「生一本の先駆者は早く死に、利巧ものが後まで残つて要位を占める」と一言付しているのは、下中の維新に対する視座を自ずと物語っていることになろう。

 それはまた巻末広告『大西郷全集』全三巻、『大西郷遺墨集』『大西郷詩選』、下中芳岳=弥三郎『西郷隆盛』に加えて、山川鵜市『神祇辞典』、権藤成卿『自治民範』の出版も下中の維新とリンクしていると見なしていいし、これらは平凡社というよりも、下中のこの時代の社外における政治活動の産物と考えるべきだろう。権藤の『自治民範』に関しては『近代出版史探索Ⅱ』242で既述している。
 
 (『自治民範』)

 『平凡社六十年史』は『維新を語る』が「下中弥三郎にとって『ひさびさの快著』で、徳富蘇峰などに激賞され、読者にも感銘を与えた」と記している。昭和七年の五・一五事件と同十一年の二・二六事件の狭間にあって。『維新を語る』はそれなりにリアルに読まれたことを意味しているのだろうか。ちなみに『下中弥三郎事典』には『維新を語る』の詳細な内容と反響がたどられている。

 この『維新を語る』の出版をきっかけにして、維新懇話会が発足している。この会は愛国諸団体によってその出版記念パーティが催され、そこに集った国家主義的革新団体が提起した組織で、民族、維新運動の連絡や統一化を強化し、そのための会合の必要性が話し合われ、下中がその代表世話人、事務所は大東亜協会に置かれたのである。それらのメンバーは『近代出版史探索Ⅴ』944の赤松克麿、津久井龍雄、『同Ⅱ』394の小池四郎、満川亀太郎、小栗慶太郎たちで、それを機として『国民思想』は『維新』へと改称されて平凡社からの発行となり、総合雑誌化して、懇話会の主張もそこに吸収されていったのである。『平凡社六十年史』の「発行雑誌一覧」には維新社編集『維新』の昭和九年創刊号と二号が平凡社、三号からは維新社発行、『陸軍画報』は昭和九年から十年にかけて、十七冊刊行し、十年後半から陸軍画報社発行となっている。両誌とも下中と平凡社を経由し、後に陸軍画報社へと継承されていったことになる。

(創刊号)  (昭和十年十一月号)


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