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古本夜話1334 満川亀太郎『三国干渉以後』

 前回既述しておいたように、下中弥三郎『維新を語る』の出版をきっかけとして、維新懇話会が発足し、下中がその代表世話人となり、そのメンバーに満川亀太郎も名を連ねていた。

 

 実はこの満川も『維新を語る』の翌年に平凡社から自伝『三国干渉以後』を刊行している。大正八年から昭和十一年にかけての『満川亀太郎日記』(長谷川雄一他編 論創社、平成二十三年)の昭和十年のところを読むと、二月十二日に『三国干渉以後』を脱稿し、十六日には下中に届け、九月二十五日に「『三国干渉以後』五部を持ち帰る」とある。そこで以前入手した裸本の『三国干渉以後』の奥付を確認すると、九月二十三日発行と記載されているので、満川が平凡社に原稿を渡してから七か月後に出版の運びになったとわかる。「人名索引」も含めて四六判三四二ページの上製本の編集製作過程がわかるし、この時代の平凡社の奥付の発行日がほぼ正確であることも了承される。

(伝統と現代社版)三国干渉以後 (論創叢書) (論創社版) 満川亀太郎日記―大正八年‐昭和十一年

 『平凡社六十年史』によれば、大正七年に老荘会が結成される。これは左右の思想家、軍人、実業家を含み、堺利彦、吉野作造、北一輝などが名前を連ね、下中は満川の勧めでこれに加わっている。それぞれに思想的立場は異なっていたが、現状打破と新たな政策を求めることにおいて共通し、下中は大川周明を通じて、アジア主義の構想をふくらましていったとされる。それもあって、まず満川のプロフィルを『[現代日本]朝日人物事典』から引いてみよう。『近代日本社会運動史人物大事典』の立項よりも、こちらのほうが適切だと思われるからだ。

  

 満川亀太郎 みつかわ・かめたろう 1888・1・8~1936・5・12 国家主義者。大阪府生まれ。1907(明40)早大卒。軍国主義的雑誌『大日本』記者となり、多数の知名士と交際をもつ。18(大7)年米騒動に衝撃を受け、時局懇話会、老荘会を組織し、主催者として左右両グループを結集した。翌年8月、大川周明とはかり、老荘会の実践的右派を中心に、上海にいた北一輝を迎えて猶存社を結成した。猶存社の解散後は、大川とともに行地社をつくり、大学寮で国際問題などを教えた。昭和期には、32(昭7)年新日本国民同盟中央常任委員となる一方、33年より拓大教授として、学生の教育にうちこんだ。『黒人問題』など多数の著書があるが、自伝の『三国干渉以後』が有名。

 ここにアジア主義者としての満川の軌跡がそのグループとともにたどられている。それは大正七年の老荘会から始まり、猶存社、行地社として続いていくもので、本探索1295の北一輝の『支那革命外史』や『日本改造法案大綱』の出版とも併走している。また下中のほうにリンクさせれば、やはり大正八年に発足した啓明会を挙げられるし、これは下中の埼玉師範時代の教え子たちを中心とする教育団体で、『維新を語る』の出版に際し、維新懇話会と並んで啓明倶楽部へと引き継がれている。

 

 それからこれは『三国干渉以後』の「自序」を読んで知ったのだが、満川は前回挙げた平凡社の『大西郷全集』全三巻の編纂委員であり、その「大西郷五十年を記念する」仕事に参画したことが、『三国干渉以後』の発端となっているように思われる。同書刊行の昭和十年は「日清戦役四十年であると同時に、三国干渉遼東還付の四十年にも当たつてゐるのだ」。しかも「昭和十年三月二十七日、日本国民は正式連盟脱退の第一日を迎えへた」ことになる。そして満川は記している。

 一八九五年一九三五年、時を隔つる満四十年の歴史は、日本が白人勢力に対する屈服と反発との連続であつた。而して今や完全に過去の歴史を超克しつゝ、日本国家の上に輝かしき自由と光栄の日が来らんとしてゐる。北鉄問題の解決は、三国干渉劇の大団円であり、華府条約の廃棄は太平洋上に築かれたる記念碑でもあるのだ。

 いってみれば、『三国干渉以後』は満川の自伝であると同時に、アジア主義者満川から見られた「一八九五年―一九三五年、時を隔つる満四十年の歴史」に他ならないのである。

 それから『満川亀太郎日記』の「解題」に、『大百科事典』の「民権運動」項を担当しているとあった。そこで『大百科事典』の「民権運動」を繰ってみたのだが、「民族国家」「民族自決」「民族主義」はあっても、それらは住谷悦治によるもので、満川ではなく、しかも「民族運動」は見当らない。それをさらに確認するために、昭和九年に刊行された『大百科事典』最終巻の27所収の「編纂顧問及び執筆者」リストを見てみると、「執筆者」として「拓殖大学教授満川亀太郎(民族運動)」とある。『大百科事典』全巻に目を通すことはできないけれど、おそらく満川は「民族運動」関連の項目を引き受けていて、それが「民族運動」の立項を担ったと見なされたことから生じた誤解のように思われる。

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