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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1341 中野正剛と花田清輝『復興期の精神』

 先に続けて言及してきた『我観』と我観社は戦後におけるアヴァンギャルド的な出版の水脈へとリンクしていくのである。それは近代出版史の事実からすれば、まったく意外でもないのだけれど、『我観』創刊号、及び我観社の花田清輝『復興期の精神』(初版、昭和二十一年)、真善美社の加藤周一、中村真一郎、福永武彦『文学的考察1946』(再版、同二十三年)を並べてみると、やはり奇異な思いはまぬがれない。堂々たる四六倍判の雑誌に対して、菊判フランス装とはいえ、並製に近く、用紙も粗末な単行本は戦後の出版界を象徴していて、混乱期の中でのスタートだったことがただちにわかる。

 (創刊号)  (『文学的考察1946』)

 この二冊は版元名が異なっているけれど、発行者は同じ中野達彦で、これには若干の説明を必要とする。『我観』が政教社の『日本及日本人』から離れた三宅雪嶺による創刊であることは本探索1337で既述したが、それに寄り添っていたのは娘婿の中野正剛であった。それゆえに中野のラインから『我観』もトレースしておかなければならない。

 猪俣敬太郎『中野正剛』(吉川弘文館)などを参照すると、中野は朝日新聞社記者から『東方時論』の主筆となる。これは本探索1333で満川亀太郎も挙げていた大正五年創刊で、中野はその経営も引き受け、この雑誌を中心として東方会が結成される。そして洋行レポート『講和会議を目撃して』(東方時論社)がベストセラーとなり、同九年には衆議院議員に当選し、政治家として躍進していく。だが『東方持論』は関東大震災によって社屋を焼失したこともあり、新たに雪嶺と『我観』を創刊する。

  

 しかし満州事変後、中野はドイツやイタリアのファシズムへと傾倒し、昭和十一年には『我観』を『東大陸』と改題し、東方会の機関誌となった。だが中野は戦時下で東条内閣と対立して逮捕され、自死し、『東大陸』も休刊となる。そして十九年にふたたび『我観』として再刊され、敗戦後も九冊を刊行したところで、雪嶺の死とともに終刊となり、中野達彦を編集発行人とする昭和二十一年創刊の『真善美』へと引き継がれていったのである。

  (終刊号)

『復興期の精神』『文学的考察1946』はそのような『我観』終刊と『真善美』創刊を背景として刊行されたことになる。拙稿「真善美社と月曜書房」(『古本探究』所収)において、埴谷雄高の『影絵の時代』(河出書房新社)の証言を引き、真善美社が「廃墟から現われたパルチザンたちの最初の根拠地となった」ことにふれておいた。

影絵の時代

 そこでは真善美社の軌跡と出版目録、中村真一郎『死の影の下に』や馬淵量司『不毛の墓場』などの「アプレゲール・クレアトリス叢書」を主として紹介しておいたが、あらためて我観社と真善美社をたどってみよう。中野正剛の息子である達彦、泰雄兄弟は祖父の三宅雪嶺から『我観』の復刊を強く依頼され、昭和二十年十月号として復刊し、十一・十二月合併号を出し、新年号から『真善美』と改題する予定でいた。その編集のために第四号から花田清輝が加わったが、『真善美』も昭和二十一年十一・十二月の同じく合併号で休刊となり、これもほとんど花田の企画によって単行本の出版に集中していくのである。

  

 その一冊が花田自らの『復興期の精神』ということになり、『日本近代文学大事典』の花田の立項における同書の二段半ページの解題は戦後文学の始まりにあって、この一冊が与えた影響の大きさをうかがわせるものであろう。私などは未来社の『花田清輝著作集』によって『復興期の精神』を読んだ世代なので、真善美社版が読者に与えた同時代的なインパクトを共有することはできないにしても、この一冊が多種多様な波紋をもたらし、広範な領域に影響を与えたことだけはわかる気がする。なぜならば、花田は『復興期の精神』において、ヨーロッパ文化と文学を自家薬籠中のものとして読み解き、レトリックを駆使し、日本の戦時下という転形期をいかに生きるかを描いたからだ。

花田清輝著作集 全7巻(未来社)  

 本探索でいっても『近代出版史探索Ⅱ』269の澁澤龍彦が花田の愛読者だったことは自明だし、『同Ⅱ』245の沼正三『家畜人ヤプー』のエピグラフのホメロス引用も、『復興期の精神』の「変形譚」の「ホメーロスによれば、日の神へーリオスの娘キルケーの魔術にかかり・・・・・・」という書き出しにヒントを得ているのではないだろうか。それに『同Ⅴ』963の岡本太郎は『復興期の精神』を読んで感動し、花田を訪ね、「夜の会」が結成され、もうひとつの出版社である月曜書房の物語が始まっていく。私も真善美社版で『復興期の精神』を再読し、「生涯を賭けて、ただひとつの歌を、―それは、はたして愚劣なことであらうか」という一節は「歌―ヂョットオ・ゴッホ・ゴーガン」にあったことを思い出した。

(真善美社版)

 しかしである。これは先の拙稿でも既述しておいたが、昭和二十三年十二月に真善美社は空中分解してしまう。それは中野兄弟が『真善美』を戦前の『改造』や『中央公論』のようにしたいという総合雑誌神話にとりつかれ、叔父の中野秀人の関係から綜合文化協会機関誌『綜合文化』を引き受けたことにも作用しているはずで、亡父の遺産の不動産も含めた一千万円をつぎこんだ果てでの結末でもあった。現在にすれば数十億円であり、それこそ『復興期の精神』の最初の「女の論理―ダンテ」に示された、同じバルザックのセリフではないけれど、財産を捨てるなら出版をやれという言葉を実践してしまったことになる。

 なお樽見博は『古書通』(平凡社新書)で、戦後のそうした我観社と真善美社の混乱を象徴するような、『錯乱の論理』や『復興期の精神』の異なる書影を掲載している。残念ながら『文学的考察1946』にはふれられなかったが、同書に続くやはり三人の『マチネ・ポエティク詩集』(同二十三年)にしても、そのようにして刊行された一冊だったのである。

古本通 市場・探索・蔵書の魅力 (平凡社新書)  (真善美社版) 


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