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古本夜話1355 飲食物史料研究会編『趣味の飲食物史料』

 浜松の時代舎で、飲食物史料研究会編『趣味の飲食物史料』という一冊を見つけ、購入してきた。大阪の公立社書店を版元として、昭和七年に刊行されている。宮嶋資夫たちと『飲料商報』の関係をトレースしてきたこともあるし、私以外にはこのような書籍を取り上げる者もいないと思われるので、続けて書いておこう。

趣味の飲食物史料 (1932年)     (『飲料商報』)

 これは菊判上製函入、本文は二段組総ルビ、三七八ページで、テーマと時代から考えても労作であり、堂々たる大冊といっていいだろう。内容構成も神代から大正昭和の飲食物史をたどった上で、原料及び加工飲食物史にも言及し、酒料、清涼、果実飲料なども取り上げ、日本飲食料の将来までを論じて閉じられている。だが編とある飲食物史料研究会の実態は詳らかにされず、そのモチーフは冒頭の「小引」に次のような文言に表われているだけである。

 大和民族の故郷に対して、飲食料方面の研究から一道の光明を投げんとする抱負も有つてゐる、だが大体に於て日本国民の飲食料に対する情感を風俗史料に描写したものである、日本国民の飲食料並に夫れに対する情感は、仏教伝来以前と以後とに於て頗る差異があるが、始終一貫してゐるのは、清浄を愛し汚穢を嫌つたことである、尤もこの清浄観は日本国民に固有してゐるものであるから、生活の前面に顕現してはゐるが特に飲食料方面に於て、強烈な色彩を示してゐる、だから大和民族は神代の昔から天津真清水の生活を根元として熱愛した、従つて其一章を以て、本篇の破題とした。

 そして「常陸風土記」に示された「天津真清水」の例証が引かれ、『古事記』『日本書紀』『万葉集』から泉鏡花の小説、蜀山人の江戸向島の料亭における水のエピソードまでが挙げられ、「本編の破題」にふさわしい多彩な「天津真清水」伝説の披露となっている。そこからこの著者が飲食物史のみならず、神道を含めた古典に通じ、蜀山人の随筆や鏡花の小説にも馴染んでいるとわかるけれど、そのアリアドネの糸はまだつかめない。本山荻舟の『飲食事典』(平凡社、昭和三十三年)はこの分野の最大のものだが、残念なことに索引や参考文献一覧が付されていないので、『趣味の飲食物史料』が参照されているのかどうか不明である。

 

 それは版元の公立社書店も同様で、脇阪要太郎『大阪出版六十年のあゆみ』や湯川松次郎『上方の出版と文化』にも見当らない。考えられるのは発売所公立社書店と記されているが、印刷者は公立社印刷部で、発行者の藤堂卓は出版者というよりは印刷者であることから、編者の飲食物史料研究会を発行所とし、印刷所公立社が発売所を引き受けたようにも思われる。またさらに付け加えれば、このような書籍と造本にもかかわらず、定価は一円五十銭であり、その事実は助成金出版でなければ成立しない価格ではないだろうか。

 それらの様々な事柄を考えながら同書を繰っていると、第九章「明治の飲食料」と第十章「大正昭和の飲食料」に突き当たる。これは拙稿「田園都市の受容」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)でふれている柳田国男の『明治大正史世相篇』を受けての照り返しのように思える。柳田はその第二章を「食物の個人自由」、第七章を「酒」に当て、これらは彼の明治大正の「飲食物史料」ともいうべき章であり、昭和六年一月に朝日新聞社編「明治大正史」の一冊として刊行されている。

郊外の果てへの旅/混住社会論   明治大正史 世相篇 新装版 (講談社学術文庫)

 『趣味の飲食物史料』のほうは先述したように、昭和七年十月で、『明治大正史世相篇』が範、もしくは参照されたと見なすべきであろう。とりわけ「大正昭和の飲食料」のところでは最大の事件として、大正初めの栄養学研究の台頭が挙げられている。それは同九年の栄養研究所の設立によって隆盛となり、その生活改善とともに飲食料の背景に栄養化の必然を伴うようになり、そのために「幾多の新事象が出現した」として、次なる例が引かれている。

 衛生思想の進歩により、一膳めし屋、居酒屋がすたれ、公衆食堂、常温酒場に移行し、洋食料の需要が増大し、その国内生産も増え、カフェや喫茶店もその余波として出現した。それは洋酒も同様である。一般の料理観念は栄養化したことで家庭でも食材の組み合わせに新味が生じ、医薬的飲食料も増加するとともに、禁酒運動の新しい風潮も起きたとされている。

 これらは柳田が『明治大正史世相篇』の最後の章の「生活改善の目標」としている事実と照応する関係にある。このように考えてみると、『趣味の飲食物史料』は著者や版元、その企画や出版に至る経緯と事情はまったく定かでないけれど、『明治大正史世相篇』の「飲食物史料篇」として編まれた一冊としても読めるのではないだろうか。


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