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古本夜話1357 宮嶋資夫とゾラの『金』

 これは『宮嶋資夫著作集』(全八巻、慶友社、昭和五十八年)を入手するまで、その作品の存在も書かれていたことも知らなかったのだが、『宮嶋資夫著作集』第五巻に唯一の長編小説『金』が収録されていたのである。この作品は宮嶋が『英学生』の広告取りや編集を手伝う一方で、蠣殻町の米相場に手を出し、兜町の相場師の店に勤めたり、大阪の鬼権という高利貸の手代となった経験をベースにしている。それは時代的にいえば、明治三十八年から四十年にかけての二十代当初のことだった。この大阪の高利貸に関しては「鬼権」(第六巻所収)という一文がある。

宮嶋資夫著作集 第5巻

 ここで本探索の読者であれば、『近代出版史探索Ⅳ』612のゾラ『金』を連想するであろう。これはゾラの「ルーゴン=マッカール叢書』第十八巻に当たり、宮嶋が大正十五年に『金』(万生閣)を刊行する以前に、『近代出版史探索』195のゾラの翻訳の先駆者飯田旗軒によって翻訳されていたのである。『金』はまず『大阪毎日新聞』に大正三年に連載され、同五年に博文館から単行本化され、十年には大鐙閣から再び刊行されている。私が所持するのは大鐙閣版である。

(万生閣)  (大鐙閣) 

 したがってタイトルと株式取引所という背景を同じくするゾラの『金』を宮嶋が読んでいなかったとは考えられないし、当然のことながら参照したと見なすべきであろう。それに大鐙閣は『解放』の版元であり、宮嶋も小説や評論を寄稿していたし、ゾラの小説の刊行も知っていたはずだ。

 それに宮嶋は『金』を上梓する以前に、評論集『第四階級の文学』(第六巻所収、下出書店、大正十一年)を刊行している。だがそのタイトルと冒頭の論考は本探索1348『坑夫』(『全集・現代文学の発見』1所収)と同じく、中野秀人と平林初之輔の「第四階級の文学」が収録されていたように、同時代にすでに中野と平林によって提唱されていたことを受けてのエッセイである。いうなれば、荒畑寒村から聞いた京都の友愛会演説の際の国粋会と警察の暴力の惨劇を枕とした本歌取りともいえよう。このように、プロレタリア文学にあっても、同時代の翻訳や理論は積極的に利用反復されていたのであり、ゾラの『金』にしても同様だったと思われる。

 (『全集・現代文学の発見』1)

 そうはいっても、双方の『金』を呼んだ上でのプロレタリア文学研究も目にしていないので、とりあえず宮嶋の『金』のストーリーを紹介してみよう。一九二〇年=大正九年の第一次世界大戦後の日本の株式市場が好況を来たしている頃、株屋山八の磯部庄五郎は落ち目になっていたが、いきなり取引所で株を売りに回り、一度に二百万円を手に入れる。そうした中で相場が暴落した兜町の取引所はパニックに襲われ、立会休止に追いこまれる。磯部の背後には栗田や安達といった金主がいて、彼らはさらに大きな利益を得ている。

 磯部には文学青年の息子の茂と深窓育ちの無垢な娘の房子がいて、父の株屋の仕事を嫌っている。茂は房子と親しい池田鈴子に恋しているが、その父は今回の相場で五万円の損失を蒙り、茂は鈴子に頼まれ、父に救済を交渉する。だが拒絶され、病床にあった鈴子の父は自殺し、彼女は悪どい株屋の妾になるしかなかった。一方で茂の友人の杉中は青年相場師で、その地方の銀行家だった父は安達の悪辣な策謀によって銀行をつぶされ、掠奪されてしまう。その復讐のために杉中は上京し、兜町で一旗あげて安達に報復するつもりで、バクチ好きの浜口老人と一枚屋仲買店を開いていく。

 ここまでたどってきて、かつて拙稿「『村上太三郎傳』と『明治文学書目』」(『古本屋散策』所収)で、日露戦争後の東京株式取引所における、村上を始めとする一騎当千の相場師たちに言及したことを思い出した。『金』のほうはそれが第一次世界大戦後へと置き換えられていたことになろう。

古本屋散策

 さてゾラの『金』のほうだが、これは『近代出版史探索』195でふれているけれど、「ルーゴン=マッカール叢書」最終巻の『パスカル博士』において要約されたシノプシスを示しておこう。ここでのサッカールはアリスティッド・ルーゴンの通称で、マッカール家にあって、金と富に執着する象徴的な人物とされている。拙訳を引いてみる。

パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 それから数年後に、またしてもサッカールはユニヴァーサル銀行という巨大な数百万フランに及ぶ搾取機関を作動させたのである。サッカールは決して打ち負かされず、成り上がり、金の野蛮にして文明的な役割を理解し、大金融家として知勇両面に至るまで昇りつめ、アウステルリッツやワーテルローでのナポレオンのように、証券取引所という戦場に出陣し、勝利し、そして敗北した。無数の哀れな人々が災厄の中に呑みこまれ、彼の私生児ヴィクトールは予想もつかぬ犯罪へと解き放たれ、夜陰に乗じて姿を消した。そしてサッカール自身も冷酷無情な環境の中で、健気なカロリーヌ夫人に愛されていたが、おそらく彼の呪われた人生に対する応報であろう。

 もし興味を覚えた読者がおられたら、ぜひふたつの『金』を読み比べてほしい。幸いにして、ゾラの『金』のほうは野村正人訳『金』(「ゾラ・セレクション)7、藤原書店)が新訳として、平成十五年に刊行されているからだ。だが宮嶋の『金』は先の拙稿における大正十三年の飯田旗軒訳の大鐙閣版と通底していると思われるし、ここに日本のプロレタリア文学とゾラのコレスポンダンスを見出すことができよう。

金 (ゾラ・セレクション)
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